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ちんどん

 投稿者:  投稿日:2018年 4月23日(月)06時55分49秒
返信・引用
  ちんどんちんどん チンドン屋でござ~い  
 

Re: ブラック野郎

 投稿者:ジョンウン  投稿日:2018年 3月13日(火)13時28分48秒
返信・引用
  > No.331[元記事へ]

馬鹿さんへのお返事です。

祭を始めたのは朝鮮同胞の輩だ。
分かってんのか

> NT○みたいなクソ企業が、石取に協賛するなや。
> 穢れるわ。
> 同和、在日系企業のくせに、するな!!
 

(無題)

 投稿者:原告支持  投稿日:2018年 3月 1日(木)06時16分12秒
返信・引用
  がんばってください。現保存会をぶっ潰してください。  

又してもミス

 投稿者:原告  投稿日:2018年 2月26日(月)08時15分35秒
返信・引用
  会計報告の 「入院」ではありません。「入金」でした。悪しからず。  

第八組青年会さんへ

 投稿者:原告  投稿日:2018年 2月26日(月)00時28分42秒
返信・引用
  石取祭の歴史を一番よくご存知なのは、小川雅生さんです。
先日18日にも図書館4階で「石取祭車の芸術美」と題された、小川氏の講演会がありました。

高校生の頃から調査研究を始められて、はや半世紀。彼の膨大な資料収集の努力には頭が下がります。
講演は、祭車の創意発展の解説が主なものでしたが、興味深いのは文政年間に藩主の交代があってから、急激にそれまでの4輪だんじり形態から、現在の3輪御所車形態に変わったことです。

それを示す当時の絵図からは、4輪時代には、それこそ岸和田のだんじりの様に走って祭車を曳き、時にはぶつかり合うこともあったそうですが、3輪になると歩いてゆっくり曳いています。

4輪では城下町の街路で、方向転換が出来ないので、綱を前後取り替えて後進したと思われます。
その点、関町のだんじり祭車が上部構造だけ回転できるように造られている先進性には負けていましたね。
また、戦災で焼失した町の祭車は3輪でも、さらに前輪が方向舵になっていたものもあり、祭車に限定しても、この石取祭が凍結されたものではなく、現在進行形だということが判ります。

平成19年3月をもってこの発展にストップをかける伝承委員会と、その走狗に堕した自称保存会の誤りは明らかですね。

また20日には、四日市地裁で公判がありまして、そこでは商標権を明らかに侵害している「桑名石取祭保存会」の銘が入った震災バッジ寄付金(南魚町では町単位で強制購買)が被災地に送られていると証言されましたが、入手した会計報告には入院も出金も記載がありません。

文化財や世界遺産を誇るのなら、金銭の動きに関しては一点の陰リもあってはならないと思うのです。

(追伸 初代桑名市長は貝塚栄之助です。変換ミスしてしまいました。ご容赦願います。)
 

歴史と伝統さんへ

 投稿者:八組某町青年会員  投稿日:2018年 2月 8日(木)19時52分36秒
返信・引用
  いいこと言われますね。歴史を凄く勉強されておられる
のですね。
自分も、上は人格者でないといけないと思います。
自分は下っ端ですが、人間的に成長して、将来は
上になっていきたいです。
石取御神事は歴史もすごいですし、時代の波に洗われながも永遠に続いていって欲しいです。
 

石取起源

 投稿者:朝鮮  投稿日:2018年 1月24日(水)12時20分14秒
返信・引用
  もともと桑名の朝鮮人がはじめた祭ではないか  

朝鮮との関連性

 投稿者:推測  投稿日:2018年 1月20日(土)08時27分48秒
返信・引用
  ドンジャカ鳴らすのが朝鮮のサムルノリと確かに似ている
関連あんかな
 

Re: ブラック野郎

 投稿者:山車の展示  投稿日:2018年 1月17日(水)00時45分41秒
返信・引用
  馬鹿さんへのお返事です。

桑名のトップ企業はパチンコ在日系企業や


> NT○みたいなクソ企業が、石取に協賛するなや。
> 穢れるわ。
> 同和、在日系企業のくせに、するな!!
 

(無題)

 投稿者:偶然見た  投稿日:2018年 1月12日(金)14時29分50秒
返信・引用
  ふ~ん それで  

歴史と伝統

 投稿者:原告  投稿日:2017年12月31日(日)18時18分39秒
返信・引用
  石取祭とずれてしまった話題で、今年を終わるのに違和感を覚えています。
そこで、石取祭をとりまく悠久の流れを語りながら新年を迎えたいと思います。

下で紹介した昭和2年(大正2年を訂正)の石取祭を催行した社頭貝塚栄之進は後の初代桑名市長です。
自ら無給で働き、部下に高給を払いました。また私財を投げ打って、道路などのインフラを整えました。現代なら公選法違反で速逮捕、実刑を食らいますね。

日本発のノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士の実兄が、これまた高名な歴史学者の貝塚茂樹氏です。
そう、茂樹博士は貝塚家のお嬢さんの夫で婿養子なのです結婚当時は養子ではありませんでしたが、貝塚家の御曹司が昭和19年6月のマリアナ沖海戦で戦死をしてしまいます。
栄之進の落胆はいかほどのものだったでしょう。それを受けて茂樹先生は貝塚姓を名乗るようになったのでした。
しかし、この海戦は大日本帝国の消滅を決定付けた海戦で、日露戦争の日本海海戦に匹敵する決定的な戦闘でしたから、その後の日本、桑名そして貝塚家を決定する大きな事件として避けられない歴史でした。

敗戦以降の桑名市長は、初代をピークに劣化を続け、現在が最低ということでしょう。

社頭(保存会会長)や、青年連盟会長は貝塚さんのように人格識見共に抜群で、他者をもって替え難い人物でなければなりません。
それで無ければ、宗教行事と警察権務とを兼ね備えることが出来ないのです。

さて、来年は戊辰戦争150周年の記念年です。
勝者である薩長の手によって書かれた明治の歴史が、間違っていたことに此の頃やっと日本人にも気が付き始めています。
戦後民主主義が問われる前に、明治維新を再評価しなおさなければ憲法改正は出来ないでしょう。

慶応四年から明治元年に移行するその年、立見鑑三郎率いる幕軍最強の桑名雷神隊が会津の窮状をを救うために会津鶴ヶ城に向かいます。
その入城の前に、ちょうど石取祭本樂の日を迎えました。桑名藩士たちはどこからか調達した、鐘や太鼓を持ち出して、会津の地で石取御神事を行ったと、桑名藩家老の服部半蔵日記に記録があります。

その中の何人が生きて桑名の地を踏めたのでしょうか?
最後の戦闘になった寒河江の戦いで、立見隊長も実弟を喪います。
さしもの強者、鑑三郎も弟の首をはねられなかったと、桑名藩戦死者を祀る寒河江の陽春院の住職から聞いたことがあります。

日露戦争最大の危機だった黒構台の会戦で陣地を師団あげての夜襲で奪回した、護国の英雄、立見大将の最期に脳裏を掠めたのは、若き時代の桑名石取祭の鉦鼓と最後の任務地だった第8師団のあった弘前のねぷた祭だったろうと、小説家の柘植がその著書に書いています。

なぜ、春日木造楼門が建ち、重要無形民俗文化財指定を受けられたのか、濡れ手に粟でユネスコ世界遺産をもらった、保存会?の諸君は考えたことがあるのでしょうか?
 

朝鮮

 投稿者:ジョンウン  投稿日:2017年12月22日(金)19時19分11秒
返信・引用
  朝鮮をバカにするな  

Re: ブラック野郎

 投稿者:ジョンウン  投稿日:2017年12月20日(水)17時11分37秒
返信・引用
  > No.331[元記事へ]

馬鹿さんへのお返事です。

ミサイル飛んでくるぞ

> NT○みたいなクソ企業が、石取に協賛するなや。
> 穢れるわ。
> 同和、在日系企業のくせに、するな!!
 

ブラック野郎

 投稿者:馬鹿  投稿日:2017年12月14日(木)17時26分53秒
返信・引用
  NT○みたいなクソ企業が、石取に協賛するなや。
穢れるわ。
同和、在日系企業のくせに、するな!!
 

根源の問題提起です

 投稿者:原告  投稿日:2017年12月13日(水)17時35分53秒
返信・引用
  石取りファン様のこの問いかけこそ、この4半世紀間、春日神社(桑名宗社)と石取祭を取り巻く諸問題の根本となったテーマです。

「石取祭はイベントか神事か?」で、ずっと論争が湧き、解決されずに今日まで来てしまいました。
このことは、先に紹介したように祭りは神事(宗教行事)であることを、今日のCBC放送で宗教学者の島田先生が述べられています。
そのため、税法上も非課税となっているのです。

文化庁に提出された平成15年版の祭典規約には、保存会という文字はありません。
社頭(神社責任役員)という名称が、石取祭を取り仕切る最高責任者という地位で書かれています。
続けて翌16年版規約が追加発行されて、社頭と言う名称が保存会会長に換えて書かれており、規約そのものは同じでした。
宗教行事100%の色彩を薄めるために文化庁から、そう替えさせられたのだと思います。

その頃から、前宮司が社頭(保存会会長)との間で神社と祭りの根源問題で、もめ始めました。
桑名市の威光をバックにイベント化しようとする保存会と神事を守ろうとする宮司の抗争の体を形作っていきました。

それが一気に表面化したのが平成17年の御木曳き行事と石取祭の宮司による拒絶宣言だったのです。

重要無形民俗文化財調査最終年度の17年から18年は、私達新執行部の説得で桑名宗社のすべての宗教行事を成し遂げることが出来ました。

文化財指定決定後の平成19年こそ、桑名市全体で「石取祭とはなんぞや?」「これでよいのか?石取祭と憲法(信教の自由)」などを考えて話し合うために、あえて石取祭を休祭するのは、大正2年の石取祭催行の逆パターンとして極めて重要なことでした。

宗教行事に公的資金(税金)を投じることの是非は石取ファンさま以外にも大勢の市民・国民の関心があることでしょう。

「石取祭は桑名市の宝」と云うからには、市民間だけでなく議会においても論駁し、より良い方向に進むべき道を、現保存会ー派が断ち切って強行するのは、利権が見え隠れして不順だと思います。

話し合いの時機は、彼ら保存会自らが閉ざし、裁判に進みました。
時あたかも、富岡八幡神社における宮司殺傷心中事件と、貴乃花親方による神事であるべき角界暴行事件の公的機関に訴えた行動などが話題になっています。

石取祭も春日神社もこの神事浄化の流れに抗することは出来ないでしょう。
CBC放送では島田先生が、国税(マルサ)も介入するはずだと述べられていました。
 

宗教行事

 投稿者:石取ファン  投稿日:2017年12月12日(火)06時23分55秒
返信・引用
  宗教行事であれば、公的機関がかかわるのはおかしいと思います。  

過大評価ですよ

 投稿者:原告  投稿日:2017年12月11日(月)17時14分3秒
返信・引用
  文化人なんて、とてもそのレベルには到達していません。
第一、「重文」を書き間違えてます。「重要文化的建造物群保存地区」ではなく、「重要伝統的建造物群保存地区」でした。冊子によっては「重伝建」と略することもあるそうです。

立派な大会のパンフレットにもこの長い正式名称が印刷されているところは極めて少ないのは、
40年も続く大会の参加者には、分かりすぎている名称だからでしょう。

初参加の悲しさで、まだスッとこの言葉が正確に出てこなかったのは、文化人じゃない証拠ですね。

さて、「町並みと山車・まつり」の分科会で話をされた飛騨古川のユネスコ世界遺産である気多若宮神社の祭りに、氏子総代で町並み保存連盟の理事を兼ねられている柳七郎さんこそ「文化人」でした。

祭りの歴史も、故事も待ちの保存などもすべて頭の中でそらんじて、質疑には即答でした。
面白かったのは、戦前から現在も、祭りの警護は警察ではなく消防団が行っていることです。
昔、ケンカが絶えなかった時代に、ペナルティーを科せられた山車が、警察署長以下が綺麗どころをはべらせて酒盛りをしている料亭に突撃したらしいのです。

それ以降、地元の警察は祭りを遠巻きにして眺めているだけだそうです。
替わりに。自主防災組織である消防団がその役割を果たすようになったということでした。

少し違いますが、似たような故事が桑名の石取祭にもあります。
それは、大正天皇崩御の翌昭和2年、日本中の祭りや歌舞宴曲が中止や自粛される中で、桑名の石取祭は催行されました。
それは、当時の青年会幹部の「石取祭は歌舞宴曲(現在でのイベント)ではなく、御神事である」という強い情熱が当時の傑物であった貝塚社頭(後の初代桑名市長)に通じ、あの強大な戦前の国家権力に抗して実施されたのです。

警護を渋る警察に、自主警護組織の青年会幹部は翌年「青年連盟」と名づけられて発足した自主規制組織を立ち上げて見事に困難を克服したと伝えられています。

社頭も偉人なら青年連盟も素晴らしかったのでしょう。この時から石取祭ははっきりと御神事(宗教行事)であると位置づけられたのです。
青年連盟はイベント保存会の下部組織などではありません。宗教法人桑名宗社の責任役員(社頭)に直結する誇りを持った組織なのです。
 

(無題)

 投稿者:応援団  投稿日:2017年12月11日(月)05時25分7秒
返信・引用
  原告さんは文化人と思います  

伝統と文化とは

 投稿者:原告  投稿日:2017年12月10日(日)18時11分16秒
返信・引用
  先月中頃に名古屋市有松を舞台に開催された、第40回町並みゼミに参加したしたことを紹介します。
第40回という回数からお分かりのように、40年前から全国で開催されている「重要文化的建造物群保存地区(略して重伝)」を保持してきた市民団体の報告会です。

石取祭などが重要無形民俗文化財に指定された「祭り」の「町並み」版で、個別の屋敷が重要文化財になっているのではなく、町並みにその文化価値を公的に認めて、その保存に努めることを助ける国の政策が重伝指定なのです。

石取祭も「祭り」そのものが無形文化財なのであって、個々の祭車が重要文化財なのではないのと同じです。

有松では、表通りから少し中に入った蔵などが修復されずに、漆喰がはがれた壁がそのままになっていました。
案内人にその訳を尋ねると、「修復のための補助金割り当ての順番待ちで放置している。」との返事。
現地視察の後の分科会(町並みと山車・まつり)で指定業者による保存対策のおくれを質問しました。つまり建築時の材料と工法で再現修復することがマイナスに働いているのではないかという問いかけです。

すると、パネリストの有識者(大学教授)が、「それは(指定業者に限る)というのは誤解である。現在普通では手に入らない材料や業者指定は、建物が重要文化財の場合であって、重伝では材質と色彩が同じであれば地元の職人を使うのが本筋だ。極端なことを言えば、持ち主自身が直してもよい。」と答えました。
また、「それも制限されるのは外見だけであって、家の中は住みやすいように改造するのはかまわない。」とも付け加えられました。

無形文化財である「祭り」の道具である山車も同じように、外見は保たれても見えないところは創意工夫で改善されていくのは、その祭りが生きている証拠です。
高山祭りの山車も、各町が自由に改造しているとの事でした。

また町は重伝、祭りは重文の飛騨古川町は、祭りの開催は曜日ではなく、毎年同じ月日に開催されるから文化財なのであり、その日は祭り開催町以外の学生児童も休校となっています。
古川町も三重県関町も祭りの舞台は、旧街道筋です。町並みと祭りは一体だというのは常識なのです。
それを聞いていた京都祇園祭からの参加者は「祇園祭はその点でお恥ずかしい限りです。」と恥じ入っていました。

祭車の修繕に「指導」と言う口をだして邪魔をし、一桁高価な指定業者を推薦する「利権」はまともな市民がいる誇り高い町には存在していません。

桑名の石取祭の現状がいかに異常なのかが浮き彫りになる3日間でした。
 

原告、応援しています

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年12月 8日(金)11時54分14秒
返信・引用
  応援しています。  

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