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鳥越「淫行」報道 すべての疑問に答える 「事実無根」刑事告訴に被害者夫は「傷つきました」

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 7月28日(木)09時10分0秒
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  鳥越「淫行」報道 すべての疑問に答える
「事実無根」刑事告訴に被害者夫は「傷つきました」


小誌が先週報じた鳥越俊太郎氏の「淫行」疑惑への反響は大きかった。その衝撃的な内容に加えて、選挙期間中であったことに対して、「選挙妨害では」という批判も寄せられた。その声は真摯に受け止めつつ、なぜ小誌が今、疑惑を報じたのか、明らかにしておきたい。

選挙戦の最中に記事を出したのはなぜか?

「私たち夫婦だってこんなことを公にしたくはありませんでした。でも彼が都知事に立候補すべき人間でないことはこの十数年間でよくわかっています。彼の正体を知っている私たちが黙っているのは、結果的に都民を騙すことになるんじゃないかと罪悪感を感じ、告白したのです」
 小誌が先週号で報じた鳥越俊太郎氏(76)の「女子大生淫行」疑惑は大きな反響を呼んだ。その衝撃的な内容に「なぜ選挙戦の最中に記事を出したのか」という声が小誌編集部にも寄せられた。そうした声に対して、被害者A子さんの夫、永井一晃氏(仮名、30代後半)が改めて、告白の真意を語る。

 二〇〇二年、当時、知人の教授を通じて有名私立大に出入りしていた鳥越氏は、“お気に入り”だったA子さんにこう声をかけた。
「別荘で君の誕生日パーティーをしよう」
 だが富士山麓の別荘に到着するや鳥越氏は豹変した。強引にキスをし、抵抗するA子さんに性行為を迫り、未遂に終わるや、こう言い放ったのだ。
「バージンだと病気だと思われるよ」――。
 これが小誌が先週号で報じた疑惑の内容であり、事件当時、交際相手であるA子さんから相談を受け、現在は夫となった永井氏は「事実です」と認めた。さらに永井氏は、その後、A子さんと二人で鳥越氏と会い、話し合いをしたことも明かした。
 だが――。小誌発売日の七月二十一日、鳥越氏の選挙事務所で開かれた民進党都連の選挙対策会議。
「書かれていることは一切事実無根であります」
 鳥越氏は関係者を前に疑惑を真っ向から否定した。その後、東京地検に告訴状を提出したと明かした。
 だが「事実無根」と言いながら、鳥越氏は小誌に、以下の事実を認めている。
〈数名の学生たちが鳥越の自宅や別荘を訪れて懇親の機会を持ったこと、および、その後A氏ならびにB氏(=永井夫妻・編集部注)と会ったことはあります〉
 後述するが、鳥越氏が永井氏に面識があることは、重要な意味をもつ。
 編集部は記事が都知事選の行方に影響を与える可能性があることは承知していた。だが、都知事候補である鳥越氏は公人中の公人である。その資質が問われる事実がある以上、それを報じることは公共性、公益性に広く資するものであると判断し、掲載を決断した。元東京地検検事の落合洋司弁護士はこう語る。
「個人の私生活に関する記事ではありますが、これから都知事になろうとする人の人間性や資質に関わる内容です。今回の文春の書き方であれば、裁判所が『公益性が無い』と判断する可能性は低いと思います」
 そもそも鳥越氏の出馬表明は告示の二日前、いわば“究極の後出しじゃんけん”だった。それを受けて、小誌が鳥越氏の資質を検証するためには選挙期間中とならざるを得なかった。「選挙後に報じればいい」という批判もあったが、選挙前に報じなければ、読者に判断材料を提供することはできない。
 ジャーナリストの青木理氏はこう指摘する。
「正直、文春の記事は『ちょっとファクトが弱い』と感じました。選挙期間中である以上、一層の慎重さと正確さは必要ですが、取材した事実を読者に提示するのはメディアとしての責任です。むしろいまのテレビや新聞は大人しすぎるという思いもあります」
 鳥越氏自身、「サンデー毎日」編集長時代に宇野宗佑元首相の“三つ指”愛人問題を報じた際、「編集長から」(一九八九年六月二十五日号)でこう記している。
《性の問題は決して「下品」などと斬って捨てられるものでなく、(略)一国の首相には政治家としての能力以外に「ふさわしい人格と倫理」が求められるのではないでしょうか》
 永井氏はこう嘆息する。
「彼が文春の記事を事実無根だと主張して刑事告訴したことには驚きましたし、なにより傷つきました。平然と嘘をつく人間なのは知っていましたが、結局今回も何も変わらなかったんですね……」
 鳥越氏に、都知事として「ふさわしい人格と倫理」はあるのか。

「公職選挙法違反」「選挙妨害」ではないか?

 先述した通り、鳥越氏側は、報道は〈事実無根〉として、小誌に抗議文を送付。さらに選挙妨害及び、公職選挙法上の「虚偽事項の公表罪」、刑法上の「名誉毀損」などに当たるとして東京地検に告訴状を提出した。

 公職選挙法第二百三十五条には、虚偽事項の公表について〈当選を得させない目的をもつて公職の候補者(略)に関し虚偽の事項を公にし、又は事実をゆがめて公にした者〉は罰せられる旨が記されている。
 一方で、同法第百四十八条にはこうも記されている。
《選挙運動の制限に関する規定は、(略)雑誌が、選挙に関し、報道及び評論を掲載するの自由を妨げるものではない》
 まず小誌は、「当選を得させない目的」で記事を掲載したのではないことは、既に述べた通りだ。
 また記事化に際しては、事件の詳細をA子さんから直接聞いている夫の永井氏に対し複数回の対面取材を行い、「淫行」が事実であるとの証言を得ている。前出の落合弁護士はこう語る。
「疑惑のウラを取って記事にするのはメディアの表現の自由の範疇です。もちろん、いい加減な噂話を垂れ流せば選挙妨害になるでしょう。ただ文春側がきちんと事実関係を立証できれば、公選法違反や選挙妨害には当たりません」
 鳥越氏は今年二月、高市早苗総務相の“電波停止発言”に、「表現の自由に真っ向から反する」などと猛反発した。当時、鳥越氏とともに記者会見したジャーナリストの田原総一朗氏は、今回の「選挙妨害」との指摘にはこう語った。
「規制があるわけでもないし、選挙期間中に報道しても構わないと思います。まさに言論の自由がありますから。文春は批判を百も承知で報道したのでしょう」

「キスをしただけ」なら「淫行」ではない?

「キスしただけで“淫行”はおかしい」
 小誌が先週号で報じた鳥越氏の行為について、インターネット上で、こうした書き込みをするジャーナリストも少なくない。

 まず、このような事件を報道するうえで、被害者に最大限の配慮をすべきことは言うまでもない。小誌が事実として把握していて、記事には敢えて書いていないことも少なくない。「セカンドレイプ」が社会問題化している昨今ならなおさらだ。永井氏は語る。
「記事では、未遂と一言でくくっていますが、別荘で実際に何があったか、妻から詳細に聞いています。鳥越氏の人間性を疑うような内容でした。すべてを書けば妻はもう一度傷つきます。妻を守るために、このような記事になりました」
 鳥越氏は、〈身体の関係を迫った等の事実は一切ありません〉と完全否定したが、A子さんがときに自殺を口にし、今もなお事件に触れることができないほど傷ついているのは事実だ。
 ノンフィクション作家の立石泰則氏はこう指摘する。
「女子大生が師弟関係にあるような憧れのジャーナリストに、以前行ったことのある別荘に誘われたら、ついていくのは無理もない。『キスぐらい』という人もいますが、一人でついて行ったら何をされても仕方ないのでしょうか。分別ある男性が教え子を一人で誘うことこそ慎むべきです」
「未遂かどうかはそもそも問題ではない」というのは、山梨学院大学法学部の小菅信子教授だ。
「重要なのは、大学の授業の一環で起きたということ。十年以上前の古い話だとか、そういうレベルの問題ではありません。学内のセクシャルハラスメントであり、女性の人権侵害に当たります。仮にも指導的な立場で来ている人間が、学生に対して、性的な話を持ち出すこと自体が厳禁です」

なぜ被害女性の証言を掲載していないのか?

 小誌は、「淫行事件」に関する情報提供を受けて、取材を進める過程で永井夫妻に接触した。

 A子さんの心の傷は、想像以上に深かった。永井氏が、A子さんの現状を語る。
「今でも、トラウマを抱えたままです。A子の口から、事件を直接話すのは、とても無理だと思いました。今回の件に関する報道も目に入らないようにしているほどです。あれから十数年、一番近くでA子を見てきたのは私です。だから、私がお話をしたのです」
 前出の落合弁護士はこう語る。
「記事に女性の証言はありませんが、夫からの証言は大きい。事件のことも、話が広まり騒ぎになって他の人から又聞きしたのではなく、当時から交際をしていて、本人から話を聞いている。真実だと信じるに足る根拠だと言えるでしょう」
 小誌既報通り、事件後にA子さんから相談を受けた永井氏は、鳥越氏に連絡をとり、都内のビジネスホテルで三者の話し合いの場を持った。鳥越氏はその場でA子さんと永井氏に対して「悪かった」と謝り、「もうテレビからは引退する。余生もあまり長くないから」と約束したという。
 先述した通り、鳥越氏も、小誌の取材に対して、この面会を認めているのだ。
 永井氏が指摘する。
「当時の鳥越さんは、『スーパーモーニング』のキャスターに加えて、関西大学の教授も務めていて、多忙なはず。そういう人が、何のために、私たちに会いにビジネスホテルにまで出向く必要があったのでしょうか」
 二〇一四年、永井氏は、自身の関わるイベントに鳥越氏が出演することを知り、〈あれからずっと貴方のその後を見てきました〉と、メールを送っている。
「話し合い後も、彼はテレビに出続け、そのたびに私たちは苦しんできました。イベントに出ると知り、我慢できなかった」(同前)
〈あの日、テレビはもうすぐ引退するから許してくれと言いながら、何年も毎朝出続け、あの山荘をへらへら笑いながら紹介する番組も、懲りずに女子大学生とコンパすると言ってメールをやりとりする番組も、怒りを抑えながら、復讐しても人生は良くならないだろうと、耐えていました〉
 このメールが届いた後、鳥越氏はイベントへの出演を急遽、キャンセルした。
 永井氏もまた事件の当事者なのである。

鳥越氏はジャーナリストなのになぜ説明しないのか?

 小誌が疑惑を報じた七月二十一日、報道陣のぶら下がり取材に対して、鳥越氏はこう答えている。
「弁護士の方が窓口になってますのでそこを通してください。これ以上のことを言うつもりはありません」

 こうした鳥越氏の姿勢に対して、いち早くツイッター上で批判したのが、前大阪市長の橋下徹氏だ。
〈あれだけ報道の自由を叫んでいたのに自分のことになったらちょっとケツの穴が小さくないか?〉〈鳥越さん、訴える前に、いつも政治家に言っていた説明責任を果たしなさい〉
 前出の青木氏もこう語る。
「政治家などの公人がメディアを刑事告訴したり名誉毀損で訴えるのは好ましいことではないと思います。そうした政治家の姿勢がメディアの自由な言論環境を蝕んできた側面がありますし、言論や報道を法律で縛ることには反対です」
 鳥越氏は自著『がん患者』のなかで、自身ががん患者として取材を受けてきた理由をこう記している。
〈私は基本的に同業者からの取材依頼は断らない主義だ。自分が常日頃取材する立場でいながら、取材される側になった途端に断るのでは首尾一貫しない〉
 なぜ鳥越氏は自ら疑惑について説明しないのか。
「満足に取材に応じず、すぐに法的手段に訴えるというのは昔からで、そのやり方は変わっていません」
 こう語るのはジャーナリストの寺澤有氏だ。寺澤氏がそれを知ることになるのは、鳥越氏が出演していた番組がきっかけだった。
「九九年、同番組のスタッフが警察から行動監視のために尾行されるという事件が起こった。スタッフは尾行の一部始終を撮影していたので、国民監視の例として番組で放映しようとしたそうです」(同前)
 だがその尾行映像が放映されることはなかった。
「私が鳥越さんにその理由を尋ねると、『テレビ局の上層部と警察が裏取引をしたんだ』と説明されました」(同前)
 寺澤氏が顛末を記事にするため、再度鳥越氏に取材すると、驚くべき返事が返ってきた。
「『裏取引をしたかどうかは知らない』と前言を翻したばかりか、雑誌の発売直前になると版元に対して警告書を送り付け、法的手段をちらつかせてきたのです」(同前)
 ネット新聞「JanJan」の元記者、増田美智子氏も鳥越氏の“被害者”の一人だ。〇七年、ネットメディア「オーマイニュース」の編集長を務めていた鳥越氏の辞任について、増田氏が報じた時のことだ。
「執筆前に編集長辞任について鳥越氏に電話で聞くと、あっさりと事実関係を認めました」(増田氏)
 だが記事が出た直後、
「『オーマイニュース』から『鳥越氏の発言は捏造だ』と抗議が来たのです。驚いてすぐに鳥越氏に確認の電話をすると『そんなことは言ってない』と言い出し、『(記事を)訂正しないとあなたを訴えるよ』などと恫喝されました。辞任を認めたわずか二日後のことでしたから、本当にいい加減な人だと、怒りを通り越して呆れました」(同前)
 小誌が改めて、鳥越氏に寺澤氏と増田氏の発言内容は事実かと尋ねると、「ご承知の通りのこれまでの経緯からして、貴社からの質問にはお答えいたしかねます」と回答が返ってきた。
 鳥越氏は、小誌報道について、「なにか政治的な力が働いているとしか思いようがありません」と発言したが、その根拠を問われると「理由は何もありません。僕のカンです。何も事実があるわけではありません」と答えている。
 前出の永井氏が憤る。
「彼は政治的圧力云々と言っていますが、私はそもそも野党候補に一票入れたかったんです。けれど、皆が彼の本性を知らないままに、都知事に担ぎ上げてしまうことに危機感を感じて告白に踏み切ったのです」
 都民は鳥越氏にいかなる判断を下すのだろうか。

「週刊文春」2016年8月4日号
 

都議会のドン 内田茂(77)「黒歴史」 小池百合子に「どっちが上座かわかっているのか」

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 7月28日(木)09時08分36秒
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  都議会のドン 内田茂(77)「黒歴史」
小池百合子に「どっちが上座かわかっているのか」


七月三十一日、新たな東京都のリーダーが誕生する。激戦の続く都知事選は小池百合子氏リードと伝えられるが、誰になるにせよ、その生殺与奪の権を握るのが、都議会のドンこと内田茂自民党東京都連幹事長だ。歴代知事を屈服させてきた力の源泉はどこにあるのか。

 今から十一年前の夏、当時の小泉純一郎首相が郵政解散に踏み切った直後のことである。小池百合子環境大臣は、一人の男の事務所を訪ねた。“刺客”第一号として、兵庫から東京への国替えのあいさつだった。
 小池氏はその男に促され、入り口から遠い席に座った。そして、男は小池氏にこう言い放った。
「あなたは、そっちが上座と思っているかもしれんが、ここでは富士山が見えるこっちが上座なんだよ」
 男の名は、内田茂都議(77)。今や自民党東京都連幹事長にして「都議会のドン」と呼ばれる男だ。

恨みを綴った自殺都議の遺書

 七月三十一日、新都知事が誕生する。有力視される小池百合子氏、増田寛也氏、鳥越俊太郎氏の三人のうち誰になろうとも向き合わざるをえないのが都議会、そして内田氏だ。
 舛添要一前知事の辞任を決定づけたのも内田氏だった。
「辞任論が高まった当初、内田氏は『まだ辞めるのは早い』と、リオ五輪後の辞任で舛添氏と握っていた。ところが、世論に押され、自民党も不信任案賛成に舵を切った。舛添氏は、内田氏に切られ、進退窮まったのです」(都政担当記者)
 二〇一二年末の都知事選で、自らが候補者だった猪瀬直樹元知事が振り返る。
「安倍さんは私を推薦しようとしていたのに、結局、内田氏の反対で自民党の推薦は出なかった。(知事就任後)仁義を切ろうと電話したのに、本人が出ない。後で聞くと、内田氏は『猪瀬から電話かかってきたけど、出ねぇよ』と吹聴していたそうだ」
 内田氏はその後猪瀬氏に「五輪までやれると思うなよ」と言い放ったという。
 その後、徳洲会事件で辞任に追い込まれた猪瀬氏は今、公然と「東京のガン」と内田氏を批判する。さらには、自殺した元都議の遺書を公開した。
〈内田、許さない!!〉
〈人間性のひとかけらもない内田茂。来世では必ず報服(ママ)します。! 御覚悟!!〉
 一一年七月に自殺した故・樺山卓司元都議が綴った遺書には、内田氏への恨みが書き殴られている。樺山氏の次女・A子さんは小誌の取材に怒りを滲ませた。
「遺書が見つかったのは亡くなった一年後でした。内田氏は父に対し、党の控え室で悪口を言ったり、幹事長選に立候補しようとした時も、他の都議に『支持するな』と圧力をかけたりしていました。父は地元に原爆慰霊碑を建てようと尽力していましたが、内田氏からは『共産党員になればいい』とも言われていた。父の苦しみに気付いてあげられなかったという思いもあって、今も涙が止まりません」
 石原慎太郎氏、猪瀬氏、舛添氏ら歴代都知事さえひれ伏してきた都議会のドン・内田氏。彼の政治力を物語るエピソードがある。
 一五年十二月十六日、内田氏の妻、セイ子さんの通夜が芝公園の増上寺で行なわれていた。この通夜に、わざわざ官邸から安倍晋三首相が駆け付けたのだ。
「ただ、本来二人はそれほど親しくない。それでも首相は葬儀委員長も務め、改めて内田氏の政治力を内外に示した恰好になりました」(政治部デスク)
 なぜ一地方議員に過ぎない内田氏に、それほどの政治力があるのか。
 都連所属の国会議員の一人はこう語る。
「首都・東京の政治を動かしているのは実質上、自民党東京都連です。知事は、彼らが担ぐ御輿にすぎない。その都連の会長は石原伸晃経済再生担当相ですが、実際にカネとポストを握っているのは、長年、都連幹事長を務めている内田氏。都議はもちろん、選挙で都議に動いてもらう国会議員も内田氏には逆らえない。伸晃氏も内田氏の前では『そうですね』と言うばかり。七月五日に、推薦を求める小池氏と面談した時も、伸晃氏は『私には決められないのは分かっているでしょ』と言うしかなかったそうです」
 直近の収支報告書(一四年)によれば、「自民党東京都支部連合会」の収入総額は約十億円。この十億円が「内田氏が差配できるカネ」(同前)という。都連のカネで自らのパーティー券を購入したり、自身が代表者を務める政党支部に厚く支出したりもしている。
「年末の総会では、党本部から所属議員に配られる餅代・氷代(活動資金)の報告があり、『内田先生のお力添えでもらいました』とアナウンスされる。すると、議員たちは内田氏にお礼の挨拶に行くのです。一方で、内田氏は対立する議員を徹底的に干す。自殺した樺山氏もそうでした。品川区選出の有力都議も内田氏と衝突し、最終的に引退を余儀なくされました」(同前)
 内田氏の権勢は、その集金力からもうかがい知れる。
 収支報告書(一四年)によれば、内田氏が代表者を務める政治団体は内田茂後援会、自民党東京都千代田区第二支部、自民党千代田総支部、世界一の東京をつくる会の四つ。その収入総額は約八千万円だ。
「都議会で内田氏に次ぐ実力者」(都連幹部)という高島直樹都議が代表者を務める二つの政治団体の収入総額は約千三百万円。内田氏の資金力は群を抜いていると言える。
 大きな収入源となっているのが、恒例の政治資金パーティーだ。例えば、内田茂後援会は一四年十一月に政治資金パーティーを開き、約一千万円を集めている。
「国会議員並みの集金力でしょう。内田氏のパーティーには大手から地元の中小企業まで、建設会社や不動産会社が勢揃いする。実は、内田事務所の女性秘書は千代田区でまちづくり政策が専門だった優秀な職員。彼女を事務所に引き抜き、内田氏は都の再開発を主導してきました。その代表例が、大丸有(大手町・丸の内・有楽町)地区の大幅な容積率緩和です。容積率を緩和すると、高いビルも建てられる。そうすれば建設会社や不動産会社も潤う。そして、彼らは内田氏を支援するという構図です」(同前)
 内田氏ら都議会が大きな影響力を行使できるのは、約七兆円という巨額予算を誇る都政だけではない。
 東京で開催されるオリンピックにも、内田氏の影が見え隠れする。
「五輪組織委員会理事の都議枠は、二人とも内田氏の側近議員です。舛添前知事が五輪会場の見直しを宣言した時も、内田氏率いる都議団は猛反発していました」(同前)

監査役の企業は売上急増

 内田氏は、落選中の一〇年から地元・千代田区に本社を置く東光電気工事の監査役に就任した。内田氏の所得等報告書、関連会社等報告書を総合すると毎年数百万円の役員報酬を受けているとみられる。
 東光は、大手建設会社などとジョイントベンチャー(JV)を組み、今年一月、バレーボール会場の「有明アリーナ」(落札額・約三百六十億円)、水泳の「オリンピックアクアティクスセンター」(約四百七十億円)の施設工事を落札。東京五輪に向けては三つの恒久施設が新築されるが、このうち二件を東光のJVが受注したことになる。
 特に、有明アリーナの競争入札では、東光のJVの入札価格は、ライバルのJVより高かったが、施工計画などの技術点で上回り、落札に成功。専門紙の建設通信新聞も〈逆転落札〉(一月十八日付)と報じたほどのどんでん返しだった。
 東光は、五輪施設だけではなく、豊洲新市場の関連工事など、都発注の工事もたびたび受注。売上高は、内田氏が復活当選する一三年までは七百億円前後だったが、一四年には約一千億円へと急成長しているのだ。
 日本大学の岩井奉信教授はこう指摘する。
「内田氏は都の予算に大きな影響力を持つ人物。条例等で禁止されていないとはいえ、五輪関連工事を受注するような企業の監査役を務めていること自体、望ましい話ではありません」
 今や都議会に君臨する内田氏は、神田淡路町で四人兄弟の長男として生まれ育った。地元の九段高校に進学したが、同級生は「頭は良かったが、タバコを吸って不良ぶっていた。部活は柔道部。同窓会で中退の理由を『意見の合わなかった担任を殴ったから』と言っていた」と振り返る。
 内田氏の公式プロフィールでは、一九五六年に中退して以降、七五年に千代田区議選に初当選するまでの約二十年間が「空白」だ。
「中退後、内田氏はテキヤに出入りして、世の中の“裏側”に接していたようです。今でもテキヤの親分は『露店の陳情で頼れるのは内田氏だけ』と言っています。同級生の経営する電気屋で働いたり、喫茶店の店番をしたり。神田の雀荘にも入り浸り、自ら雀荘を経営している時もあった。長男の不良ぶりに、内田氏の母親も『茂だけが出来損ない』と嘆いていました」(内田氏の親しい知人)
 ところが内田氏のブログによれば、二十八歳の時に火事で一家離散に陥ってしまう。障害を持つ二つ年下の弟を抱え、途方に暮れていたところ、後の参院議長、安井謙氏らに助けられ、政治の道を志したという。
「実際は、知人が出馬した千代田区議選で、神田地区の票を取りまとめる中、政治の世界に接近して行きました。本人は『俺の周りは不良ばかりだから』と言っていましたが、伝手(つて)を頼り、鳩山威一郎元外相の下足番になりました。秘書の名刺も持ち歩き、政財界に人脈を広げていった。そして、知人の後釜として、七五年に区議選に初当選以来、四期区議を務めました」(支援者)
 八九年、木村茂都議(当時)の千代田区長選出馬に伴う補選で、都議に初当選する。だが、木村氏の元側近はこう吐き捨てるのだ。
「内田氏は当時から議会で大して質問をせず、ヤジばかり飛ばしていた。淡路町の事務所には、建設会社をいつも呼び寄せていました。木村区長室にも入札の予定価格を聞きに来るので、木村氏は秘書に『内田をもう部屋に入れるな』と言って締め出したほどです」
 そんな内田氏にとって最初の転機が、九一年の都知事選だ。自民党と公明党はNHKキャスターの磯村尚徳氏を擁立。一方、都議会自民党の主流派は現職の鈴木俊一氏を支持する。
「都議三年目の内田氏は磯村氏についた。負けはしましたが、自民党幹事長の小沢一郎氏との太いパイプを作り、都議会公明党の重鎮、藤井富雄氏とも密な関係を築いたのです」(前出・都連幹部)
 当時の内田氏の人脈が垣間見える資料がある。九〇年代前半に赤坂プリンスホテルで開かれた内田氏の娘の結婚披露宴。席次表によれば、小沢氏や住友不動産社長、鹿島副社長、清水建設常務、旧平和相互銀行事件などに絡み、フィクサーと呼ばれた川崎定徳社長らが列席者に名を連ねる。
「主賓は小沢氏でした。内田氏夫婦は小沢氏夫婦とパリに旅行に行ったりするほど親しかった」(出席者)

石原慎太郎知事も屈服した

 九五年に青島幸男都知事が誕生して都政が混乱すると、内田氏は公明党と議会の主導権を握っていく。そして九八年、都議会の幹事長の椅子に座る。
「幹事長職は話し合いで決めるのが慣例でしたが、党内が分裂して、投票に持ち込まれました。内田氏側はゴルフ会を企画したり、多数派工作に精力を注いでいた。ホテルで行なわれた幹事長就任パーティーは、党三役からゼネコン幹部まで顔を揃える盛大なものでした。この頃から、当時自民党幹事長を務めていた森元首相との関係を深めていきます」(前出・都連幹部)
 ドンの権力を都庁中に知らしめたのは〇五年、石原慎太郎知事時代のことだった。知事の最側近・浜渦武生副知事が、答弁の偽証で辞任に追い込まれたのだ。
「都議会で三十五年ぶりの百条委員会が開かれたことがきっかけで浜渦氏は辞任した。そもそも出席議員の四分の三の賛成が必要な百条委は、自民党が反対すれば設置できなかった。公明党や民主党(当時)の都議と太いパイプを持つ内田氏は、都議会の威光をバックに、石原氏に『浜渦は辞任させるべきだ』と引導を渡したのです。当時、衆院選に出馬予定だった三男・宏高氏に支援しないと迫ったと言われています。都知事が、“都議会のドン”に屈服した瞬間でした。この頃から、都庁の重要案件は『この話は内田さんは了解しているのか』が合言葉になりました」(同前)
 浜渦氏はこう振り返る。「石原さんもいろんなことを頼む時に『内田と連絡を取っておいてくれ』と言っていた」
 浜渦氏辞任の三カ月後、内田氏はついに自民党東京都連の幹事長に就く。ところが、自民党が政権を失った〇九年、内田氏は都議選で落選。権威は失墜したかに思えた。だが、「役員任期は二期四年」という慣例を覆し、内田氏は幹事長職を続投する。その理由は前述のように「カネと人事を掌握できるからにほかならない」(前出・都連幹部)。
「『バッジのない幹事長はおかしい』と、石原親子が影響力を削ごうとしましたが、内田氏は伸晃氏に『誰にモノを言っているんだ』と猛反発しました。元を辿れば、伸晃氏を都連会長に担いだのは、内田氏。伸晃氏はすぐさま矛を収めました。結局、内田氏は落選中も都議会自民党の控え室に顧問部屋を用意させ、黒塗りのハイヤーで移動していました。東京都選出の国会議員は、下村博文自民党総裁特別補佐、萩生田光一官房副長官ら都議出身が多い。小池氏は周辺に『みんな若い頃の行状を押さえられているのよ』と、内田氏への言いなりぶりを嘆いていました」(前出・国会議員)
 都議会解散を唱える小池氏は内田氏をこう批判する。
「実は、内田氏が独自候補を擁立した選挙はことごとく負けているのです。例えば、一三年の千代田区長選では現職の石川雅己区長に対し、当時の副区長を自公で擁立しましたが、勝てなかった。結局、自らの権力の維持ばかりを優先し、民意を蔑ろにするから選挙に勝てないのでしょう」
 権力の大きさとは対照的に、都民にはなじみの薄い内田氏だが、歴代知事と同様、政治とカネにまつわる問題を抱えている。
 資産等報告書によれば、一五年時点の所有不動産や株式はゼロ。だが関係不動産の登記簿をたどっていくと、二つの不動産の存在が浮かび上がってきた。
 一つ目は、現在HPなどで内田茂事務所として案内している千代田区神田淡路町の三階建てビルである。
 同ビルの土地は内田氏が父親の死に伴い、九一年に相続。ところが九八年、ビルメンテナンス企業の関係会社、O社に売却されている。O社の経営者は、内田氏の政治団体・千代田区第二支部の会計責任者だ。O社の取締役には一一年、内田氏の娘が就任。O社は一三年にT社と名を変え、事実上娘夫婦の個人会社となった。不動産価格は「六千万円程度」(地元業者)という、この物件を所有するのは、内田氏の“ファミリー企業”なのだ。
 もう一つの不動産が、一三年の都議選で内田氏が自身の住所として届け出ていた千代田区神田須田町の五階建てビルだ。

税金が娘の会社に“還流”

 内田氏は八二年に土地を購入。ところが、九八年に妻が所有権移転の仮登記を行ない、〇二年に内田氏はこの土地を妻と二人の娘に贈与して、ここも資産公開から消えた。
 このビルは取り壊され、土地は新築マンション建設予定地として三井不動産レジデンシャルが購入した。
「売却価格は一億円は下らないでしょう。内田氏が現在自宅としているのは、芸能事務所の社長も暮らすセキュリティ万全の高級賃貸マンションと聞いています。家賃は約五十万円で、娘婿の内田直之千代田区議も同じフロアの別室を借りています」(不動産関係者)
 約二億円近い不動産を所有していたことになる内田ファミリー。問題は、この不動産に、税金を含む政治資金が流れていることだ。
 自民党千代田区第二支部の主たる事務所の所在地は、前出の神田淡路町のビルだ。この第二支部は、政務活動費から毎月八万円(一四年五月以降は六万円)を事務所費として、前出のT社に支出している。政務活動費は税金が原資だ。つまり、年間百万円近い税金が事務所費として、娘夫婦の会社に還流していることになる。
 政治資金規正法に詳しい上脇博之神戸学院大教授はこう指摘する。
「税金が身内に還流しているという意味では、事務所費を自身の妻が代表を務める会社に支払っていた舛添氏と変わりません。政治的、道義的に問題があります」
 内田氏の“政治とカネ”を巡っては、都の公用車を選挙応援に使用し、“公私混同”として約十一万六千円を返納した過去もある。
 四年ぶりの復活を期した一三年の都議選では、危ない橋を渡った。
「社員に虚偽の転居届を出させていたとして、兜町で仕手筋として知られる支援企業の執行役員が逮捕されました。選挙前に地元の祭りでビール券を配ったとして、公職選挙法違反罪で告発されましたが、不起訴になった。内田氏は毎年のように警察・消防委員会の委員を務め、予算面から警視庁を押さえている。疑惑が浮上しても、逃げ切るのです」(社会部記者)
 数々の疑惑や批判に本人はどう答えるのか。七月十八日朝九時半、小誌は増田氏の選挙対策事務所から現れた内田氏を直撃した。
――週刊文春です。都議の自殺や事務所費についてお伺いしたい。
 だが、内田氏は最後まで口を開くことはなく、黒塗りのハイヤーで走り去っていった。直撃後も対面取材を再三申し込んだが、「期限までに面談はかないません」との返事だった。書面での質問状に対しては、次のように回答した。
「(樺山氏の)遺書の存否及び内容を知る立場にありません。(事務所費の還流については)『税金を原資とする』政治資金は収入としてありません。(五輪施設や都発注の工事について)口利きのような事実はない」(東光は「(五輪施設について)個別の営業について相談したことはございません」と回答)
 新知事は、ドンとどう対峙するのか。それは、都政、そして東京五輪の行く末を大きく左右することになる。

「週刊文春」2016年8月4日号
 

障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が死亡した事件

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 7月28日(木)01時16分34秒
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  障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が死亡した事件。
加害者のツイッター酷すぎる・・・。

https://twitter.com/tenka333


神奈川県警津久井警察署、宮ヶ瀬ダム周辺のスピード違反検挙より
この事件を未然に防ぐ対策が必要だったのでは・・・。










 

東京都知事候補者 2016 政見放送 桜井誠

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 7月28日(木)00時11分2秒
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  東京都知事候補者 2016 政見放送 桜井誠

 

28.7.24【桜井誠 候補】東京都知事選 街頭演説in上野マルイ前

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 7月25日(月)08時36分21秒
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  神奈川新聞の石橋記者と直接対決

28.7.24【桜井誠 候補】東京都知事選 街頭演説in上野マルイ前




在日韓国人は脅迫が得意技?!

 

【桜井誠 候補】東京都知事選 街頭演説in新宿駅西口

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 7月24日(日)09時56分10秒
編集済
  【桜井誠 候補】東京都知事選 街頭演説in新宿駅西口

 

〈天皇生前退位〉報道直前に告白された美智子さま「雅子皇后」への真意

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 7月23日(土)15時21分44秒
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  〈天皇生前退位〉報道直前に告白された美智子さま
「雅子皇后」への真意


《象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだと考え、大きく公務を減らしたり代役を立てたりして天皇の位に留まることは望まれていない》。だがこのNHK報道を宮内庁は否定。天皇皇后のご真意はどこにあるのか。そして“雅子皇后”へのお気持ちは。

「これからいろいろ出てくるかもしれないから、気をつけて見ていて」
 ある千代田関係者は、昨年末、美智子さまからこうお言葉をかけられたという。
「そのお言葉にいろいろな想像をめぐらせておりましたが、いま思えば、皇后さまは“天皇陛下のあり方”について仰っていたのかもしれません。両陛下は国民の中に分け入って、公務をできる限りきちんとなさることが、ご自分たちのレーゾン・デートル(存在理由)だと思っていらっしゃる。しかしながら、最近になってご高齢になられた実感を強く持たれ、客観的な視座から、天皇の務めを十分に果たせる者が皇位に就くべきとのお考えに至られたのでしょうか」
 衝撃の一報は七月十三日十九時前だった。NHK「ニュース7」の放送直前、速報のテロップが入った。
〈天皇陛下「生前退位」の意向示される 内外にお気持ち表明検討 宮内庁関係者〉
 この報道は、全国民に驚きをもって受け止められた。
「あの晩、天皇陛下という言葉がテレビから聞こえましたので『お体の具合に何かあったのか』と思い、一瞬狼狽しました。しかし報じられた『ご意向』を反芻して考えますと、陛下のご決断は非常に重いものです。お仕えしていた者が軽々に発言できることではありませんが、陛下が単にお疲れになって、ご隠居なさりたいというお考えでは決してないはずです」(元宮内庁関係者)
 番組では、スクープしたNHK宮内庁キャップである橋口和人記者がスタジオに登場。天皇の「ご意向」について解説した。

象徴のかたちを次代へ

《宮内庁の関係者によりますと、天皇陛下は数年内に天皇の位を皇太子さまに譲りたいと考えられているということです》
《天皇の務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだと考えられ、務めが果たせなくなれば譲位すべきだというお気持ちだということです。今後年を重ねてご自身の考える天皇としてのあるべき姿が体現できなくなるのを前に、天皇の位を次の世代に譲られたいということだと思います》
 公共放送であるNHKが天皇の「お気持ち」を断言した意味は重い。
 別の千代田関係者が話す。
「今上陛下は実質的に初めて象徴天皇を具現化させた方です。昭和天皇には大日本帝国憲法下で『元首』と定められていた天皇のイメージが色濃く残っていました。陛下が象徴のあり方を模索され辿り着かれた一つの結論が、公務を通して『国と国民のために尽くす』ことだったのだと拝察します」
 天皇は、一九九八年の誕生日にあたっての会見で、平成になって十年が経ち昭和の時代と天皇のあり方が変わってきたことについて、こう述べられている。
〈日本国憲法で、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると規定されています。この規定と、国民の幸せを常に願っていた天皇の歴史に思いを致し、国と国民のために尽くすことが天皇の務めであると思っています〉
 千代田関係者が続ける。
「たとえば、被災地に赴き、膝を折って被災者と同じ目線で話されるという“平成流”です。いまでは忘れられていますが、当時は保守層からはずいぶん強い批判があったのです。それでも陛下は皇后さまと一緒にその道を突き進み、多くの国民の支持を得たのです。
《務めが果たせなくなれば譲位すべき》だというのは、自身で形作られた象徴のかたちを次代に継いでもらいたいということでしょう」
 昨年の戦後七十年にあたり、四月にパラオを訪問され、今年一月にはフィリピンご訪問も実現されるなど、戦没者慰霊の旅が一段落した事も大きな節目となったと考えられている。

雅子妃に皇后が務められるか

 作家の半藤一利氏が話す。
「今年六月、両陛下にちょっとお目にかかる機会を得ましたが天皇陛下はあまりお話しにならず、大分お疲れになっているようにも見えました。できる所まで、自分の務めをやり遂げたという思いがおありなのでは。
 考えてみると、サイパン島やパラオ諸島のぺリリュー島、フィリピンへの慰霊の旅は、憲法でいうところの象徴天皇としての公務であるとは思えないところがある。ただ私に言わせれば、昭和天皇が崩御されてから天皇に即位された時、日本が平和で穏やかな国であるために、ご自分で何ができるかを考え、天皇が為すべきことを、ここまで広げて解釈されたと思うのです」
 天皇皇后の周囲では、昨年のパラオで海外訪問は打ち止めと考える向きが強かったが、日比双方の戦没者慰霊を両陛下が強く希望され、アキノ大統領在任中のフィリピンご訪問が今年一月に実現した。
「宮内庁では、フィリピンご訪問後の今年春頃から、七年ぶりに公務軽減案を検討して、天皇陛下はかなり難色を示されたそうです。五月九日に発表された『当面のご公務について』では、『拝謁』など一部分を取りやめ、わずかですが皇太子ご夫妻に譲るという内容に留まりました。『できるうちは天皇としての務めを果たしたい』ということを常々おっしゃっていたそうです」(宮内庁担当記者)
 NHKの報道について、宮内庁は会見で否定しているが、生前退位は“既定路線”と化しつつある。
 そこで皇室関係者の間で強く危惧されているのが、「ご病気の雅子さまに皇后が務められるのか」という問題だ。〇四年の人格否定発言、そして雅子さまの適応障害療養開始から十二年。以来、長らく千代田と“途絶状態”にあった皇太子ご一家、特に雅子さまのご体調問題は、つねに天皇皇后、そして千代田関係者の頭を悩ませ続けてきたからだ。
「公務や公的行事をなさり、御簾(みす)の向こうではなく、国民の前に姿を現すことが、象徴のかたちならば、つねにその横で天皇陛下を支えてこられた美智子さまの姿こそ“皇后のかたち”と言えます。公務先や被災地慰問、戦没者慰霊の旅で、天皇陛下の隣には常に美智子さまのお姿がありました。二人三脚で創られた象徴のかたちなのです。
 皇太子殿下はこれまでお一人で公務をなさることが多かったわけですが、例えば、即位の礼の後の祝賀パレードに雅子さまはお出になれるのか。一九九〇年の際は、両陛下そろってオープンカーに乗って国民の祝福を受けられました。ここに来て徐々に雅子さまのお出ましも増えてきていますが、周囲は固唾(かたず)を呑んで見守っている状態です」(前出・千代田関係者)
 NHKの報道によれば、天皇が生前退位の意向を示されたのは「五年ほど前のこと」だというが、
「五年前、二〇一一年といえば、三月に未曾有の大災害となった東日本大震災が起き、十一月には天皇陛下がマイコプラズマ肺炎でご入院された年です。翌年二月には心臓のバイパス手術を受けられました。
 震災の五日後、陛下は国民にむけたビデオメッセージを発信されました。悲嘆に暮れる被災者の心に訴えかけられ、『日本に皇室があってよかった』と深く感じ入った国民は多かった。象徴天皇の有り難みが再認識された年です。平成皇室にとって激動の一年でした。

二〇一一年の「明と暗」

 一方で、皇太子ご一家の生活はというと、学習院初等科に通われる愛子さまのご登校問題が中心で、雅子さまのお付き添い登校の真っ最中でした。九月には、愛子さまの二泊三日の山中湖校外学習へ雅子さまが密着同行するという前代未聞の『山中湖お付き添い事件』が起きました。妃殿下はホテルのインペリアルスイートに泊まられた。宮内記者が『常識的に考えられない出費。“税金泥棒”との批判を受けるかもしれません。それを許した殿下はどうお考えなのですか』と東宮大夫に詰め寄る場面もありました」(別の宮内庁担当記者)
 この年の十一月二十二日、天皇の入院中に行われた誕生日会見で、秋篠宮は意味深な発言をされている。
〈定年制というのは、やはり必要になってくると思います。というか、ある一定の年齢を過ぎれば、人間はだんだんいろんなことをすることが難しくなっていきます〉
 これは天皇のご意向を汲んだものとも受け取れる。この時期に、天皇は、大正天皇のご病気が深刻になるに伴って皇太子だった昭和天皇が摂政に就かれた経緯を、医学的な事柄や摂政制度の背景を含め調べさせたことがあった。
「一二年春頃には月に一回、御所で天皇陛下、皇太子さま、秋篠宮さまのお三方が長官を交え、象徴天皇や皇位継承のあり方など、様々なテーマのお話をされていました。“頂上会談”などと呼ばれるものです。一三年十一月に発表された両陛下の葬送や、今回の生前退位についても共有されていたようです。
 一三年初め、陛下は象徴として社会的弱者に光を当てて社会全体で支えていくことが、継承されていくことを願っているというお話を関係者にされたそうですが、そのとき陛下は続けて『秋篠宮なんかは分かっているみたいだけどね』と仰ったそうです」(同前)
 また歴代皇后に受け継がれてきた前代からの伝統の継承も危惧されている。
「皇后考」の著書がある、原武史・放送大学教授が解説する。
「美智子皇后は、昭憲皇太后、貞明皇后、香淳皇后と続いてきた宮中祭祀や養蚕、日本赤十字社の名誉総裁職の伝統を重視し、受け継がれています。これらは近代の皇后のイメージを形作っている。そういったものから雅子さまはかなり遠ざかっておられる。ここに明治から平成まで続いてきた“皇后像”との断絶があるように見えます。雅子さまはキャリアウーマンのアイデンティティが強く、皇后の御事蹟には馴染まないのかも知れません。一方で美智子皇后は途絶えさせたくない思いが強いでしょう」
 皇居・紅葉山御養蚕所では、毎年皇后が四月から六月頃にかけ、公務の合間を縫って「給桑(きゅうそう)」や「上蔟(じょうぞく)」「繭掻(まゆかき)」を行われる。
「皇后さまは素手で蚕を触られて『こんなにいい糸を出してくれて』『かわいい』とおっしゃりながら、愛情を込めてご養蚕に取り組まれています。明治期は生糸が最大の輸出品目でした。現在、繭から取った生糸は反物にして、外国賓客への贈り物などに使うそうです」(前出・宮内庁担当記者)
 だが、つい最近、生前退位の報道が出る直前に美智子さまからお話を賜った前出の千代田関係者は、ご心境に“ある変化”を感じたという。
「皇后陛下は『生きる悲しみ』をしみじみと感じる人生があるはずで、自らのさだめを受け容れるということが、本当に生きているということなのよ、ということを仰ったのです」

雅子妃への不安と期待

 この諦念にも聞こえる言葉の裏には、昨年来、美智子さまのご心痛の核心にあった「天皇の“健康不安”がある」と、この千代田関係者は推察する。
「それは何より公務を重要視されてきた天皇陛下にとっては大きな問題でした。昨年八月十五日の終戦記念日に行われた全国戦没者追悼式で、陛下は黙祷をささげる前にお言葉をフライングされました。また、十月二十五日に富山県で開かれた『全国豊かな海づくり大会』の式典行事の最中に式の進行を中断された一件もありました。もう終わろうとしていた式典で、陛下は壇上で登壇者に対し、『最優秀作文の発表は終わりましたか』と訊ねられたのです。両陛下はこういったことをとても気にされていらした」
 昨年十二月、八十二歳を迎えられるにあたっての記者会見で、天皇は「年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました」と率直に述べられている。
 皇后の講演録「橋をかける」を手掛けた編集者の末盛千枝子氏は今年三月、父である彫刻家・舟越保武との物語や、夫の突然死、再婚相手の介護と看取りなど、自身の波乱の人生を綴った著書「『私』を受け容れて生きる」を上梓した。末盛氏が話す。
「この本は雑誌『波』に連載していたものを一冊の本にまとめたのですが、世の中の良いところを見続けることで、どんなに困難に満ちている人生でも、生きるに値すると思える。私の経験からそういったことを書きました。恐れ多いことですが、皇后さまにも共感していただけたところがあったのかもしれません。というよりも、皇后さまから学ぶところが大きかったと思っています」
 次代の雅子皇后に、美智子さまはどんな思いを託されるのだろうか。
「両陛下がご健在のうちに、次代の天皇、皇后が生まれれば、さまざまに支えたりアドバイスできる。『させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ』というわけで、皇太子ご夫妻を実際に重責に立たせることで自覚が深まり、病気療養中の雅子さまのご活動の幅も広がって、お二人でのお出ましに期待が持てるという面もあるかもしれませんね」(ベテラン宮内庁担当記者)
 前出の千代田関係者はこうも語る。
「皇后陛下は、次代につないでいくことで何か明るい兆しが時代の中に生まれないかしら、とも仰いました。雅子妃への不安と期待がない交ぜのお気持ちだと拝察しました。皇太子殿下が次代の天皇として務めを果たすことができるよう、お支えする存在になってくれることを切に願っておられるのです」
 まずは天皇が広く内外に示されるというお気持ちを、しかと拝聴したい。

「週刊文春」2016年7月28日号


新皇位継承「5つの疑問」 ●秋篠宮は〈皇太弟〉に?
●〈上皇 法皇〉権力闘争史 ●〈元号〉〈お住まい〉は? ほか


〈天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する〉
 皇室典範第四条にはこう明記されているが、天皇の崩御以外に皇位継承については想定されていない。天皇の「生前退位」の実現には皇室典範の改正など法的措置が必要になる。
 新しい皇位継承のもとで皇室はどう変わるのか。

退位した天皇の〈呼び名〉は?

 天皇が生前退位された場合、第百十九代の光格天皇以来、約二百年ぶりの譲位となるが、先帝となった天皇の呼称はどうなるのか。
「その際の呼び名は皇室典範に規定がなく、近代でも例がありません。歴史的に見ると、『太上(だいじょう)天皇』(上皇は通称)が一番有力でしょう。皇后の美智子さまは『皇太后』になられます。こちらは現行典範にも規定があります」(皇室ジャーナリスト・山下晋司氏)
「太上」の由来を古代史に詳しい聖心女子大学の佐々木恵介教授が解説する。
「語義そのものは『もっともすぐれた』という意味のようですが、本来、太上天皇の称号は、中国で退位した皇帝に奉られる称号の『太上皇』や『太上皇帝』にならったものです。日本の律令制度では、太上天皇は退位した天皇に自動的に付与される地位でした」
 日本で最初に生前退位が行われたのは六四五年。第三十五代皇極天皇は、前代の舒明天皇が没後に即位した女帝で、皇后から天皇になったが、「大化の改新」で有名な息子の中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を滅ぼした乙巳(いっし)の変の後、弟に譲位して、第三十六代の孝徳天皇が誕生したという。
 実は百二十五代の歴代天皇のうち約半数が生前に譲位をしていた。なぜ現行の典範に規定がないのか。
「明治憲法制定の際、旧皇室典範に『天皇より上の地位を作らない』と定めたことの名残です。現行典範は一般の法律として改めて制定されたものですが、旧典範を受け継ぐ部分も多いのです」(日本大学教授・古川隆久氏)
 ただし、日本大学教授の百地章氏は、もし認めるとしても、生前退位実現までの道のりは長いと解説する。
「皇室典範第四条の改正ですね。特別措置法で一代限りの例外規定を作るという意見もありますが、これでは何でもできてしまう。本来的に、天皇陛下は安定した皇位継承の制度を望んでおられると思いますし、立憲君主制である以上、典範の改正には慎重でなければならないと考えます」

秋篠宮は〈皇太弟〉に?

「皇太子殿下が即位されれば、秋篠宮殿下が皇位継承順位第一位となります。しかし、現行典範上は皇太子となるわけではなく、皇太子の地位が空白となる。皇太子ではなく『皇太弟』となる、といった風説もありますが、現行典範にはそんな言葉は無い。歴史的に天皇の弟が皇太弟と呼ばれていたことはありました」(皇室担当記者)
 現行典範の第八条は、皇太子をこう定義している。
〈皇嗣たる皇子を皇太子という〉
 皇子とは天皇の息子を指すため、兄である皇太子が天皇になったとしても、弟である秋篠宮は皇太子とはならないのだ。
「現行典範では親子間の直系継承しか想定していないのです。現状を考えると秋篠宮殿下のために皇太弟の身分を設けるなど制度の見直しが必要なのは明らかでしたが、これまで見送られてきた。東宮家に男子誕生の可能性は常にあるという前提からです」(同前)
 ちなみに過去、皇太弟が起こした反乱もある。有名なのは、天智天皇の子・大友皇子に対し、同天皇の弟の大海人皇子が起こした壬申の乱(六七二年)だろう。皇太弟・大海人皇子は一カ月余の戦いの結果、勝利し、第四十代の天武天皇として翌年即位した。

〈上皇〉〈法皇〉権力闘争史

 〇一年十一月、参議院で行われた「共生社会に関する調査会」の中で、高橋紀世子議員(当時)の「天皇も人間ですから、天皇自身が望まれたときは退位なされるようにした方がいいと思うが」という質問に、宮内庁の羽毛田信吾次長(当時)はこう述べている。
「(退位を認めていない理由は)歴史上いろいろ見られたように、上皇や法皇的な存在というものの弊害を生じるおそれがありはしないかということと、必ずしも天皇の自由意思に基づかない退位の強制があり得るということです」
 法皇とは、出家した上皇のことだ。上皇、すなわち太上天皇は「院」とも呼ばれ、彼らが天皇を退位した後も政治の実権を握ることを「院政」と呼んだ。悪名高い上皇や法皇の中で、最も有名なのは後白河法皇だろう。五代の天皇にわたって院政を行い、上皇・法皇として約三十年君臨した。
「平安時代末期の一一五六年、院政を敷いていた崇徳上皇と後白河天皇は、執政体制をめぐって武力衝突に発展。平清盛や源義朝らを動員して、崇徳上皇を捕らえました(保元の乱)。後白河天皇は在位三年で皇子の二条天皇に譲位して院政を開始し、法皇になった。その後、平家に失脚させられたものの、壇ノ浦の戦い(一一八五年)で源義経らが平氏を粉砕して返り咲くのです」(皇室ジャーナリスト)
 後白河法皇の政略によって即位した後鳥羽天皇も波乱の人生を送った。在位十五年で、わずか四歳の為仁親王に譲位して院政を始め、後に鎌倉幕府と対立。上皇自ら武装して北条氏に挑んだが、敗北して隠岐へ流される破目になった。
「歴代天皇総覧」(中公新書)の著者で、慶応大学の笠原英彦教授は院政の歴史についてこう語る。
「平安朝の終わりに院政が開始されて以降、天皇の権威に翳りが見え始めた。さらに、後鳥羽上皇が起こした無謀な承久の乱は、武家政権に朝廷への介入を許すきっかけを与えました」

新しい〈元号〉は?

「天皇陛下が崩御された場合、一日でも空白ができてはならず、徳仁親王がすぐに即位されるわけだから、考案者の指名も行われていて、候補がいくつか挙がっていると考えるのが自然です。昭和から平成への改元手続きもスムーズでした」(静岡福祉大学教授・小田部雄次氏)
 日本の最初の元号は「大化」から始まり、二百四十七の元号が生まれた。「日本の元号」(新人物文庫)によると、これまで五百四個の漢字が用いられ、重複を除くと七十二文字が使われているという。
 元号は「論語」や「孟子」といった「四書五経」や「史記」など、すべて中国の古典が出典である。最も多く使われた漢字は、「永」の二十九回。江戸時代の「寛永」や室町時代の「永禄」などがある。
 新元号はどのように決定されるのか。
「平成に改元されたときは、漢学者や歴史学者が集まって新元号案を作成。官房長官室の金庫に厳封されていたという話もありますが、極秘に行われるため真相は明らかにされていません」(前出・皇室担当記者)

〈お住まい〉は変わる?

 天皇のお住まいは皇居・吹上御苑にある「御所」(通称・吹上御所)、皇太子のお住まいは赤坂御用地にある「東宮御所」だが……。
「生前退位で新しい天皇陛下が即位された直後は、現在のお住まいを『仮御所』とされ、その間に新しい『御所』を造られるはずです。昭和天皇と香淳皇后が暮らしておられた吹上大宮御所(現在の吹上御所とは別)は、昭和天皇の崩御後も香淳皇后がお亡くなりになるまでお使いになりました。現在は宮内庁が建物を管理しています。ただ、両陛下が退位後に現在の御所に住み続けられるかは分かりません」(宮内庁関係者)
 天皇が京都御所を住まいとして使っていた時代は、退位すると、隣の仙洞御所へ移り住んだという。
 では、皇位継承順位第一位となる秋篠宮ご一家は東宮御所にお住まいになるのか。前出の山下氏が話す。
「新しい皇位継承がどうなるか次第でしょう。私は皇太子の定義を『皇位継承順位第一位のものが皇太子』と変えればいいと思います。そうすれば皇太子殿下が即位された時点で、秋篠宮殿下は皇太子になり、悠仁さまが天皇になる流れも自然と作られます。東宮職という組織も残り、ご一家は東宮御所にお住まいになるでしょう」
 生前退位は皇室のあり方そのものを左右する大きな問題なのだ。慎重かつ有意義な議論が求められる。

「週刊文春」2016年7月28日号
 

鳥越俊太郎 都知事候補「女子大生淫行」疑惑  被害女性の夫が怒りの告白!

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 7月21日(木)07時23分4秒
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鳥越俊太郎 都知事候補「女子大生淫行」疑惑
被害女性の夫が怒りの告白!


「週刊誌に話をする」。一般の人にとって、そのハードルはいかばかりか。復讐心だけでは、そのリスクは背負いきれるものでない。それでもなお覚悟をもって為される告白がある。都知事候補の知られざる“裏の顔”は単なる醜聞なのか――判断は読者諸賢に委ねたい。

「あの男が都知事選に出るときいて、この十年あまり我慢してきたことが、抑えられなくなりました。絶対に許すことはできません」
 都知事候補の鳥越俊太郎氏(76)に対して、怒りを露わにするのは永井一晃氏(仮名・30代後半)だ。
 本稿で後述する鳥越氏をめぐる永井氏の告白は、あまりに衝撃的である。
 当然のことながら、既に告示された東京都知事選に影響を及ぼすことも考えられる。だがそれでも、本稿の内容が日本の首都を預かる可能性のある人物の資質を厳しく問う内容である以上、これを報じることは広く公共性、公益性に資するものであると小誌は考える。編集部として熟慮を重ねたうえで、掲載したものであることを最初にお断りしておきたい。
 発端は、都知事選の取材に入った小誌取材班が、思わず耳を疑うような“情報提供”に出くわしたことであった。有名私立大学関係者が絶対匿名を条件に次のように語る。
「鳥越氏は、十数年前、ウチの大学によく来ていました。あるメディア関係の教授と親しかった関係で、その教授のゼミなどを訪れて、学生たちとも交流をもっていたんです」
 当時の鳥越氏は、まさにメディアの寵児だった。
 鳥越氏が一躍、名を挙げたのは、「サンデー毎日」編集長だった一九八九年に、宇野宗佑首相(当時)の“三つ指”愛人問題を掲載し、退陣に追い込んだことによる。
「当時、タブーとされていた政治家の下半身の醜聞を報じたことで、話題になりました。社内的には、本流ではなかったけど、自己プロデュース力には長けていた。よくも悪くも組織に馴染まない人です。一方で『サン毎』に連載を持っていた女優の岸惠子さんとも噂になるなど、女性関係の話が絶えなかった」(毎日新聞OB)
 毎日新聞を退社後は、「ザ・スクープ」などテレビの報道番組を中心に“ニュースの職人”として活躍するようになるが、こんな声も少なくない。
「鳥越さんはとにかく女好き。テレビに出るようになってからは、食事にいってもTBSのあの女子アナはどうで、テレ朝のあの子はこうで、という話ばかりで、女子アナのプライベートにまで異常に詳しい。彼女たちの相談にのったりもしていましたが、天性の女好きだな、と思いました」(テレビ朝日関係者)

東京の父と思いなさい

 だが学生たちにとっては、テレビで活躍する鳥越氏は憧れの存在だった。
「特にマスコミ志望の学生などは鳥越さんを慕っていたし、鳥越さんもよく学生たちの相談にのっていたようです。一方で学生たちの間では、『鳥越さんは露骨にかわいい女の子にばかり声をかけている』という評判もあった。地方出身の女子学生に、鳥越さんが『東京の父と思いなさい』と声をかけているのを聞いた人もいます」(前出・大学関係者)
 ときには、鳥越氏の自宅や別荘に女子学生たちを集めて、ホームパーティーや誕生日パーティーを開くこともあった。
 ところが――。
「ある日、鳥越さんは、とりわけ気に入っていた女子学生を別荘に連れ込んで、強引にみだらな行為を行ったんです。これが原因で、鳥越さんは大学を出入り禁止になったんです」
 この証言をもとに、取材を重ねた小誌取材班が掴んだ“事件”の全貌は、以下のようなものだった。
「別荘で君の誕生日パーティーをしよう」
 当時大学二年生だった女子学生・A子さんが鳥越氏にそう声をかけられたのは、二〇〇二年夏のこと。
 それまでも何度か鳥越氏の自宅や別荘を訪れたこともあったA子さんに、鳥越氏は冗談めかして「何もしないから」とも言っていたという。
「マスコミ志望で、上京してきたA子さんにとって鳥越氏は憧れの存在でもあった。信じていたんだと思います」(別の大学関係者)
 鳥越氏の車で向かったのは、富士山麓にある鳥越氏が父から譲り受けた別荘だった。
 別荘に着き、お酒で乾杯した頃から、恋愛の相談と称して鳥越氏は“本性”を現し始めたという。
「二十歳にもなって、そんなに性のことを知らないのか」
 普段はほとんどお酒も飲まなかったというA子さんは、鳥越氏の豹変ぶりに戸惑ったことだろう。
 鳥越氏は強引にキスをすると、抵抗するA子さんにさらに迫り、こう言い放ったという。
「大人の恋愛というのはこういうものだよ」
 結局、行為は未遂に終わったが、「バージンだと病気だと思われるよ」と言ったばかりか翌日、東京へ戻る車中で鳥越氏はA子さんに「ラブホテルに行こう」と誘ったという。A子さんが心に深い傷を負ったことは想像に難くない。
「A子さんは“死にたい”と口にするようになり、当時の恋人に、別荘で起きたことをすべて話した。それから鳥越氏が大学に来ることはなくなったそうです」(前出・大学関係者)
 小誌取材班は、この“当時の恋人”に接触することができた。この人物こそが前述した永井氏なのである。
 当初、永井氏は「もう思い出したくもない話なので」と取材に応じることはなかったが、度重なる説得の末、重い口を開いた。
「この十数年、私たち夫婦は我慢していました。けれど、もし彼が都知事になったら、いつもあの顔を目にすることになる。それは耐えられません」
 永井氏に接触するまで小誌取材班は把握していなかったが、永井氏はその後、A子さんと結婚していたのである。
 永井氏が取材に応じたのも、「妻への取材は勘弁してほしい。そのかわりに私が話します」という条件においてだった。
 小誌が取材した山荘での出来事は事実かと尋ねると、永井氏は「その通りです」とこれを認めた。
「A子が泣きながらあの話をしたときは、怒りで目の前が真っ暗になりました。鳥越はA子に『これを公表されたら自殺する』とメールを送って、口止めをしていました。それで私から連絡をとり、三人で会う場を設けたのです」
 場所は、都内のビジネスホテルの一室。最寄駅で鳥越氏と待ち合わせて、タクシーでホテルへと向かったという。

「テレビ引退」を約束した鳥越氏

「こちらの用向きは分かっているはずなのに、彼は車内では『君はどこの出身?』などと軽い調子で語りかけてきました」
 ベージュのパンツにジャケットを羽織った鳥越氏は、話し合いが始まるや否や、「悪かった」「大騒ぎになってすまない」と謝りだしたという。
「実は当時、この話を『週刊新潮』が取材していたんです。それで記者が校門のところで学生たちに片端から、声をかけたため、A子が望まない形で話が広まってしまった。彼がいう“大騒ぎ”とはそのことを指しているのですが、一方で鳥越は、周囲には『彼女は頭がおかしい。妄想癖がある』などと言いふらしていたそうです」
 その鳥越氏はこの席で、A子さんにこう言った。
「だから、そういうことを周りに話すと不幸になると言っただろ」
 永井氏が「何言ってるんですか!」と声を荒らげると、鳥越氏はこう言い出した。
「もうテレビからは引退する。この先、余生もあまり長くないから」
 当時、鳥越氏は『親父の出番』という本を出したばかりだったが、その中に次のような一節がある。
〈最近の女の子は発育がよいですから、ナマ足に短いスカートをはいていたりすると、もうほとんどが犯罪を誘発しているようなものです〉
 自らの行為は棚にあげて、著書ではロリコン批判を展開する鳥越氏を永井氏が、「よくこんなこと書けますね!」と責めると、笑いながらこう言い放った。
「だって、書いてるときは、こんなことになるとは思わないじゃない」
 印象的だったのは、鳥越氏の靴下だったという。
「短めの靴下がズリ落ちているのが、やけに目について『だらしない人だなあ』と。それから自分の都合の悪い話になると、しきりに耳を押さえて、首を傾げて、聞こえにくい、というフリをするんです」(永井氏)
 それでも最後には「反省している。これ以上、(テレビで)やっても、いいことないし」という鳥越氏の言葉を信じて、一時間ほどの話し合いを終えた。永井氏はその時のやりとりを克明に記憶している。
 それから十年ほどの間、テレビから鳥越氏が消えることはなかったが、我慢していたという永井氏が、再び鳥越氏と接触したのは、二〇一四年夏のこと。
「私が仕事で関わっていたあるイベントに、鳥越氏が出演することがわかったんです。私にとっても大事なイベントを汚される気がして、すぐに彼に向けて“出演をキャンセルしてほしい”とメールしたのです」
〈貴方はとっくに無かったことの様に過ごしていますが、こちらはあれからずっと貴方のその後を見てきました〉
 永井氏がメールを出してから、ほどなく主催者側に鳥越氏から出演キャンセルが伝えられた。
「一週間ほど前に“検査入院をする日と重なったため出席できなくなった”と連絡がありました」(同イベント関係者)
 それから二年。徐々に平穏を取り戻しつつあった永井氏とA子さんは、鳥越氏の都知事選出馬を知ることになったのである。
「石田純一氏、古賀茂明氏など野党側の候補者が浮かんでは消える中で、告示二日前のタイミングでの“究極の後出し出馬”でした」(政治部デスク)

鳥越氏は告白をどう受け止めるのか

 七月十八日、東京都巣鴨で街頭演説に立った鳥越氏の隣には、歌手の森進一氏が並んだ。
「鳥越俊太郎でございます」と切り出した鳥越氏だったが、挨拶もそこそこに、こう続けた。
「私の三十年、四十年来の友人である歌手の森進一さんが応援に駆けつけてくれました。早速森さんにバトンを渡してお話をいただきます」
 森氏が応援演説を行い、「襟裳岬」を少しだけ披露したところで、街頭演説はお開きに――。
 呆気にとられた聴衆からは、「もう終わり?!」「短い!」と怒号も飛んだ。
 鳥越氏の選対関係者が溜息をつく。
「最大の誤算は政策を全然語れないこと。街頭に立てばボロが出るし、とてもじゃないが討論会に出せない。これは想定外だった」
 出馬会見で「公約はこれから考える」と言い放つなど準備不足は明らかな鳥越氏だが、選挙戦では健闘しているという。
「小池百合子氏と鳥越氏が競っていて、増田寛也氏が水をあけられている。小池氏優勢ですが、鳥越氏も六十代女性など高齢層で人気が高い」(前出・デスク)
 では、永井氏の重い告白を鳥越氏はどう受け止めるのか。
 小誌が鳥越氏に対面取材を申し込むと、次のような回答書が返ってきた。
〈数名の学生たちが鳥越の自宅や別荘を訪れて懇親の機会を持ったこと、および、その後、A氏ならびにB氏(=永井氏・編集部注)と会ったことはあります。しかし、鳥越がA氏に対し身体の関係を迫った等の事実は一切ありません〉
 小誌は、鳥越氏に次のような質問もしている。
・鳥越氏の別荘に一泊した翌日、帰り道でA子さんをラブホテルに誘ったのか。
・A子さんに「話したら自殺する」というメールを送ったのか。
・A子さんとの関係の噂が広まると、「彼女は頭がおかしい」などと周囲に話したのか。
・永井さん、A子さんに対して「テレビから引退する」と告げたのか。
 このいずれについても、鳥越氏側は〈事実無根〉と回答した。
 永井氏によると、A子さんは今もなお、事件のトラウマに苦しみ、ときに自殺を口にすることさえあるという。事実無根だと言うならば、いったい何が彼女をそれほどまでに苦しめているというのだろうか。
 鳥越氏は都知事選における第一声で、「私の最大の長所は聞く耳を持っているということ」と語ったが、永井氏は憤りを隠さない。
「妻の苦しみとは比べるべくもありませんが、私もこの十数年、苦しんできました。あのとき、私たちが言ったことを本当に聞いてくれていれば、出馬なんてできないはずです。私がこうして告白したことで、妻はまた苦しむでしょう。それでも、あの男が都知事になることだけは許せません」
 鳥越氏の都知事としての資質が問われている。

「週刊文春」2016年7月28日号
 

桜井誠 東京都知事選挙街頭演説 新宿駅東口アルタ前於 平成28年7月16日

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 7月18日(月)23時35分40秒
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  桜井誠 東京都知事選挙街頭演説 新宿駅東口アルタ前於
平成28年7月16日


 

おおさか維新の会の真実

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 7月17日(日)21時43分0秒
編集済
  タレコミ

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参院選で維新の会の2人の候補者の関係者が3人、買収容疑で逮捕された。

金権ぶりは松井知事も同じだ。退職金を0にしたというが4年間に受け取るお金は、退職金プラス毎月の給料ーよりも348万円増やしたー。なんの事はない。退職金プラス348万円を給与に上乗せしたのだ。

政党交付金は2016年、7億300万円に増えた。政治資金パーティーは公開されている最新の2014年で6396万円で大阪府でⅠ番。政治資金パーティーは形を変えた企業団体献金ともいわれている。

8億円のお金を貰って、熊でのうちわ?を買ったなどと苦しい弁明で政治家を辞めた渡辺氏を維新の会の参院候補として抱え当選させた。

また5000万円を医療法人から貰って都知事を辞めた猪瀬氏を大阪府・市特別顧問にして、大阪都構想の手伝いを有料でさせる。

維新の会のどこにも清潔さはない。
 

安倍・麻生「改憲」「改造」極秘会談

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 7月17日(日)07時42分3秒
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  安倍・麻生「改憲」「改造」極秘会談

「票の出方が止まっている」。参院選当日、圧勝が明らかになる中、自民党のごく一部で“疑心暗鬼”が芽生えていた。安倍首相の悲願である「改憲」への道は開けたが、公明党はこの状況に動揺を隠せない。内閣改造に取り掛かる安倍首相の足元で亀裂は広がっている。

 七月十一日、都心某所。
「このたびは大変お世話になりました」
 濃紺のスーツ姿で姿を現した麻生太郎副総理兼財務大臣は、目にも鮮やかなオフホワイトのボルサリーノ帽を脱ぐと深々と頭を下げた。
 先に到着し、ネクタイをはずしたワイシャツ姿で麻生を待っていた安倍晋三総理は、麻生に小走りで歩み寄ると手を差し出しながらこう返した。
「いやあ、選挙区最後の当選者が中西で本当に助かりました。いろいろ経緯はあったと思いますが、すべて麻生さんのおかげです」
 硬く握手を交わした安倍と麻生だったが、二人の表情に笑顔はなかった。
 この日、参院選圧勝の興奮も冷め遣らぬ中、安倍と麻生は、極秘会談を行っていた。さまざまな軋轢を生んだ参院選を総括し、今後の政権運営を円滑に進めていくためのツートップ二人きりの密談だった。
 冒頭麻生が安倍に謝意を示したのは、全国の選挙区選挙で最後の当選者となった神奈川選挙区の中西健治の選挙戦についてだった。
 背広を脱いだ麻生が席に着くと、安倍が続けた。
「中西の当選の時には、自民党本部の総裁室で幹部と一緒にテレビの開票速報を見ていたんです。中西に当確が出たら、真っ先に菅さんが立ち上がって『中西の一議席は大きい。本当によかったですね』と言ったんですよ」
 菅の名前を聞いて麻生は思わず苦笑いした。安倍が中西の当選について敢えて菅の名前を出したのには、わけがあった。
 神奈川では、自民党から三原じゅん子、公明党からは三浦信祐(のぶひろ)の立候補が早くから決まっていた。一人増えて定数が四となった神奈川選挙区で自公が二議席を分け合えば、両陣営にとってこれほど楽な選挙戦はない。
 しかし、少しでも議席を積み増したい安倍が「定員増の複数区には複数の自民党候補を」という号令をかけた事によって事態は一変した。事実上の二人目の自民党候補として、麻生のバックアップのもと、中西を立てる事があとから決まったのだ。
 これに、まず公明党が「三浦の当選を危うくさせる」として激しく反発。
 さらに、かつて自民党候補として横浜市長選に出馬して落選した後、一〇年の参院選ではみんなの党から出馬して当選した中西に対しては、自民党神奈川県連も根強いアレルギーが残っていた。結局自民党本部は、中西に公認は出さず、推薦にとどめていた。
 選挙戦が中盤に入っても民進党や共産党の候補との争いから抜け出せない中西にとっては、「自民党からの追加公認」は喉から手が出るほど欲しかった。
 しかし、中西公認に最後まで首を縦に振らなかったのが菅義偉官房長官だった。官邸で連立のパートナーである公明党と緊密に連携している菅は、自民党神奈川県連の幹部でもあり、中西を許すわけにはいかなかった。先月二十八日、菅は関係者にこう言った。
「中西の公認なんて、絶対にありえないんですよ」
 いつもは冷静な菅らしからぬ激しい口調に、関係者は非常に驚いたという。
 麻生はやむなく、選挙戦の最終盤になって、神奈川県下の各種団体への働きかけを強めた。そして安倍自らも電話作戦に協力した。

「公明が最終盤でブレーキをかけた」

「安倍晋三です。中西健治さんへのご支援をお願いできませんか?」
 携帯電話にいきなり総理から電話がかかってきた関係者は大変驚いたという。
 選挙区選挙の最後の当選者として何とか議員バッジをもぎ取った中西と次点の差は約三万六千票。安倍と麻生の最後の三日の電話作戦がなければ、ひっくり返っていてもおかしくない僅差である。
 中西に当確が出た直後の十一日未明、麻生は中西の後援者に、こんなメールを送っている。
〈この業界に入って四十年近くになりますが、参議院選挙の投票結果を此れだけハラハラ、イライラしてみた事はありません〉
 神奈川県の選挙区選挙は、官邸、自民党本部、県連、公明党と学会がそれぞれの思惑で激しく動き、あるいは動かなかった。「三分の二」を巡って与党内に内在する微妙な不一致を象徴する選挙区だったのである。
 そして戦いが終わって改めて浮き彫りになったのは、最後まで折り合いをつけられなかった麻生と菅の亀裂の深さだった。
 開票が進むにつれて苛立ちを募らせていたのは麻生ばかりではなかった。開票から三時間がたった二十三時頃から、自民党幹部の間では舌打ちと嘆息が多く聞かれるようになった。激戦区で自民党候補が次々と苦杯を舐めたのである。新潟で野党共闘候補の森裕子に当確が出た直後、ある安倍側近はこう唸った。
「完全に票の出方が止まっているよ」
 青森、新潟、福島。直前の調査で自民党候補が逆転したと思われた選挙区で次々と敗北が明らかになり、自民党関係者のある懸念は確信に変わった。
「公明が最終盤でブレーキをかけたのは明白だよ」
 参院選の結果、「安倍一強」の構図がさらに強まることを一番いやがっているのは、実は公明党なのではないか――ごく一部の自民党関係者にこんな懸念を抱かせるきっかけとなる“事件”が起きたのは、六月末のことだった。
 参院選公示から一週間後の六月三十日。「改憲勢力が三分の二をうかがう勢い」という選挙情勢の報道が一斉に流れる中、自民党側と公明党側の最高幹部が、都内のホテルで極秘会談を行った。仲介者の民間人を入れた三人の会合は二時間半に及んだ。公明党が選挙区で候補者を立てた神奈川や兵庫の選挙区選挙での協力のあり方について突っ込んだやりとりをした後、話題は憲法に移った。
「もし参院選で改憲勢力が三分の二を獲得したら、憲法改正について議論を加速させていくことになる。そちらはどのように対応するのか?」
 自民党側の問いかけに対して、公明側はうろたえたようにこう答えた。
「具体的な議論はこれからです。拙速は避けるべきだというのがわれわれの一致した立場です」
「公明党は『加憲』という立場だが、憲法九条については第三項を追加すればいいという事か?」
「しっかりと議論をしていきたい」
 双方の議論は全く噛み合わなかった。公示までは予想もしていなかった「改憲勢力三分の二」が急に現実味を帯びてくる中、学会・公明側の狼狽を如実に示していた。
 一方で、「改憲勢力三分の二」と並ぶ今回の参院選の焦点は「自民党の単独過半数」獲得だった。まず改憲勢力が三分の二を取れば、安倍は悲願である憲法改正に向けて一気に歩を進める可能性が高い。さらに自民党が参院で単独過半数を手にすれば、法案審議で公明党に頭を下げる必要はなくなる。
 七月に入ると、公明党関係者は、「必要以上に勝ちすぎるとロクな事がない」と漏らすようになる。
 こうした公明党の懸念は自民党側にも様々なルートで伝わった。そして「選挙戦終盤で公明が勝ちすぎないようにブレーキをかけるのではないか」という懸念が自民党側に拡大しつつあった七月四日、麻生は、安倍にメールを送った。
〈『たとえ三分の二を取っても、憲法改正は熱狂の中ではやらない。先ずは憲法調査会で、丁寧な議論から始めようと考えている』という首相の意向を伝えないと、疑心暗鬼が拡大してしまう可能性があります〉
 公明党側に太いパイプを持つ麻生ならではのアドバイスだった。
 結局、安倍は参院選で、「改憲勢力三分の二」を手にした。「単独過半数」については、追加公認の中西を加えても、一議席届かなかったが、今後、さらに一人を加えてこれをクリアする目途はついている。
 一方で、選挙戦最終盤の与党内の不協和音は、政局の行方に影響を与える。
 十一日月曜日の安倍と麻生との極秘会談に戻ろう。

安倍「ある程度の規模の改造」

 カリフォルニア・ナパバレーの白ワインでほろ苦い祝杯を挙げていた二人の話題は自然と内閣改造に移った。この日、一部メディアが「来月三日に内閣改造」と報じたことに対し、安倍はこう述べた。
「別に時期も規模も細かくは決めてないんですけどねぇ。どうしてああいう報道が出るんだろう」
「選挙で汗をかいた人、かかなかった人、それぞれに皆人事は気になるんですよ。いずれにしても信賞必罰、皆が納得する人事をしなきゃいけませんから、総理大臣は大変ですなぁ」
 麻生が宰相の孤独を慰労すると、安倍はこう応じた。
「まぁ、選挙というのは皆それぞれに必死なんでしょうから、それで誰かを罰したり干したりするつもりはありませんよ。ただ、今回はある程度の規模の改造はしなければならないと思っています」
 島尻安伊子沖縄北方担当相、岩城光英法相という落選した二人の大臣の代わりを補充するだけではなく、他の大臣も入れ替える中規模以上の内閣改造と自民党役員人事を行うというのである。総理大臣の専権事項である人事について、根掘り葉掘り穿鑿(せんさく)することを潔しとしない麻生は、話題を逸らすようにこう言った。
「安倍総理、人事はさておき、何しろ憲政史上初めて改憲の発議という道筋が見えてきたんです。イギリスの国民投票という反面教師もある。今こそ、熱狂と喧騒を戒めて、じっくりとした議論をしなければなりませんね」
 安倍は深くうなずいた。
「憲法改正は、まずはじっくり党で議論を進めていってもらう。じっくり国民の意見に耳を傾ける体制を作らなければならない。政治の局面が変わったんですね」
 安倍は麻生とがっちりと握手した。麻生は安倍を労(ねぎら)うように続けた。
「一人の総理が、衆参衆参四連勝。これは少し前なら本当に考えられなかった事ですよ。最後に逃げていった三議席ぐらいは残念でしたがね」
 すると安倍はしばらく間をおいてこう言った。
「満月は、あとは欠けるばかりですからね。十三日目ぐらいがちょうどいいのかもしれないですよ」

この世をば、
わが世とぞ思ふ望月(もちづき)の
欠けたることも
なしと思へば

 平安期にわが世の春を謳歌した藤原道長の歌を意識した安倍の発言に、麻生がこう応じた。
「満月までは時間がかかりそうですな。まぁ慌てない事です」
 選挙に圧勝し、衆参両院で憲法改正に向けて念願の三分の二を手中に収めた政府首脳の宴にしては、極めて自制的なやりとりだった。それは、この後に控える公明党との与党内調整、国会での改憲論議、そして国民世論への訴えかけという難題が控えているからに他ならなかった。
 国民の理解を深めるには、麻生の言う通りじっくりとした議論が不可欠だ。しかし、安倍に残された自民党総裁任期はあと二年余り。憲法改正という安倍の悲願達成に向けた最大のハードルは、もはや野党でも公明党でもなく、時間との戦いである。(敬称略)

「週刊文春」2016年7月21日号
 

小池百合子「タイガース後援会」会費は政治資金/増田寛也「赤坂二億円豪邸」は大臣規範違反?/鳥越俊太郎 がん手術4回76歳の健康状態

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 7月17日(日)07時32分57秒
編集済
  小池百合子「タイガース後援会」会費は政治資金
増田寛也「赤坂二億円豪邸」は大臣規範違反?
鳥越俊太郎 がん手術4回76歳の健康状態


人の名が 浮かんで消える 都知事選 ほんにお前は 何とやら……思わずそんな文句も口をつく大混乱の前哨戦だった。ともあれ、何とか各候補出揃った。打算と裏切り、そして各々の“脛の傷”を抱えて闘う約二週間の短期決戦。場外乱闘を制して最後に笑うのは?

 告示日直前まで候補者が出揃わない異例の事態を政治部デスクが解説する。
「都知事選は、印象に残り、かつスキャンダルを追及される時間のない“後出しじゃんけん”が有利とされてきましたが、参院選を挟んだこともあって、軒並み候補者の出馬表明がずれ込んだ。これほど多くの名前が浮かんでは消える状況は、かつてありません」
 お騒がせの代表格が、八日の出馬会見からわずか三日後に断念に追い込まれた俳優石田純一氏(62)。実は小誌は“最新不倫疑惑”をつかんでいた。
「お相手は自動車メーカーのショールームに勤めるMさん。三十歳前後のショートヘアの美女です。彼女は最近もSNS上で『J氏と食事に行きました』とワイングラスの写真をアップするなど、石田氏との関係を隠そうともしないので、周囲に心配されていました」(Mさんの知人)
 出馬会見翌日の九日深夜、友人男性の高級車で帰宅した石田氏を直撃。「わお! ついに文春が。お手柔らかに」と言いながら、取材に応じた。
「Mさん……はいはい、知ってます。全然付き合ってないですよ。もう一〇〇〇%。たまに電話かかってきて『(友達と)二人で(石田氏の友人の店に)行くからおカネ払っといて』的な。最近会ったのは、一年くらい前かな。ヤッたこともねえよ。言い過ぎかな。ヤラしていただいたこともありません」
 この直撃が出馬断念の引き金となったかはさておき、いったい誰が都知事にふさわしいのか。
 小誌は取材開始時に名前が挙がっていた小池百合子氏(63)、増田寛也元総務相(64)、宇都宮健児弁護士(69)、長島昭久衆院議員(54)の四択で、小誌メルマガ読者を対象に緊急アンケートを行った。

 その結果、回答数千七十八人のうち六割近く(六百十八票)を占めて、一位となったのが小池氏だ。
「他の誰もが躊躇して有利になるまで表明しないズルさがあるのに、一番先に名乗りを上げた心意気を感じた」(76歳・男性)と、“女の度胸”を評価する声が相次いだ。
 十日午後八時すぎ。参院選の投票締め切りとほぼ同時に自民党本部に現れた小池氏は、東京都連に出していた推薦依頼の取り下げを都連事務局に伝えた。
「記者団でごった返すタイミングを狙うなど、巧みなメディア戦略の陰には参謀がいると見られていました」(政治部記者)
 だがプロデュースは小池氏自身が行っていると、事務所関係者は明かす。
「誰も口出しできないだけですが(笑)。八日の外国人特派員協会での英語のスピーチも自分で考えていました。誰に連絡を取るのかも自分の判断です」
 石原伸晃都連会長には事前の出馬報告はなかったが、旧知の太田昭宏公明党議長には仁義を切っていたという。
 その小池氏は、ツイッターで「都議会のドンの都政運営を改める」と発言し、都議会改革をブチ上げた。
「名指しされたドンとは、自民党の内田茂都連幹事長。かつて小池氏は防衛相時代、当時、防衛省のドンと称された守屋武昌事務次官を退官に追い込んで名を挙げた。それと同じ構図です」(前出・政治部記者)
 守屋氏は、今、小池氏に対して何を思うのか。
「小池さんについてはコメントする気もないですね。都民のために本当に仕事ができる方を選ぶのが一番」
 新たな標的となった内田氏を、参院選投開票日に直撃したが、「いやいやいや、もう全然!」と黒塗りの車に乗り込んでいった。

名指しされた“都議会のドン”を直撃

 その小池氏は、小誌が先週号で指摘した野党時代の政治資金パーティの不記載を即座に“修正”したが、政治資金をめぐっては新たな問題もある。
 小池氏が代表を務める資金管理団体「フォーラム・ユーリカ」の二〇一二年分収支報告書には、「政治活動費」として、「豊虎会事務局 東洋アルミニウム株式会社」に「諸会費」三万五千円の支出があったと記載されている。
「『豊虎会』とは、東京の政財界による阪神タイガース公認後援会。東洋アルミニウムの今須聖雄会長が、同会の世話人なのです。兵庫県出身の小池氏は今岡誠・元選手の後援会長を務めたこともある阪神ファン。だったらパーティへの参加は自腹で行くべきでしょう」(自民党関係者)
 熱狂的な阪神ファンとして知られるタレントの千秋のブログには、〈小池百合子議員と。たまに、この会に顔を出してくれます〉と、豊虎会での小池氏とのツーショット写真が掲載されている。
 果して政治資金から支出すべき会費だろうか。
「政財界の方々との懇親会と認識しており、政治活動の一環として出席いたしました」(小池事務所)
 アンケート二位の増田氏の得票は小池氏の半分以下にとどまった。
“改革派知事”と呼ばれた増田氏は、一九九五年から三期十二年、岩手県知事を務めた。
「建設省の官僚だった増田氏を政界に引っ張り込んだのが小沢一郎新進党幹事長(当時)。増田氏の父・盛参院議員が岩手出身という縁です。小沢氏の全面バックアップで当時、全国最年少(43歳)の知事となりました」(別の政治部記者)
 だが小沢氏が新進党を解党し自由党を結党すると、増田氏は距離を置いていく。「四選不支持」を小沢氏が表明したために、二〇〇七年四月に退任。だが四カ月後の同年八月、第一次安倍内閣の総務大臣に抜擢された。福田康夫内閣でも残留し、〇八年九月まで一年一カ月務めた。
「反自民を標榜していたはずが、いつの間にか自民党政権の大臣に納まる芸当には、政界渡り鳥と揶揄された小池氏の“男版”という批判もあります」(同前)
 その増田氏について総務省関係者が指摘する。
「大臣・副大臣・政務官には在職中の不動産取引の自粛を求めた『大臣等規範』がありますが、増田氏はそれに違反していたのではと言われています」
 現在増田氏は、港区赤坂の四十五階建てマンションの三十五階(広さ約百m?)に妻とともに住んでいる。不動産関係者によると「価格は二億円ほど」だという。
 増田氏はそのマンションを大臣退任直前の〇八年七月に購入。一方、同年八月に大田区下丸子のマンションを売却しているのだ。
 この点について増田事務所はこう述べた。
「大臣等規範における不動産取引の自粛の趣旨は、『大臣等としての在任期間中にその地位を利用して不当な取引を行うことのないようにする』ものである。マンション購入は、投機目的ではなく、自宅用として大臣就任前(〇六年七月一日)に売買契約を締結したものであり、規範の趣旨に反するものではない。大田区内のマンションの売却は投機目的でなく自宅購入資金の調達のため行ったもの」
 赤坂のマンションは当時、マンションブームの象徴としてメディアに取り上げられる話題の物件だった。
「平均価格一億円以上と高額ながら平均倍率八・四倍、即日完売でした。値上がり益を狙った投資目的で購入した人も多かったようです」(前出・不動産関係者)
 増田氏が四選目不出馬を表明したのは同年十月。契約を結んだ時点では、知事続投の可能性もあった。
 にも関わらず、岩手から遠く離れた東京の一等地に「自宅用」のマンションを買う必要があったのか。
 アンケートで最下位の長島氏は十一日に不出馬を表明したが、同日、民進党都連は元経産官僚の古賀茂明氏(60)に出馬要請した。

「公約はこれから考える」鳥越氏

 だがこれに先立つ七月八日、参院選東京選挙区に立候補していた三宅洋平候補の応援演説に立った古賀氏は、こう言い放っていた。
「まあ民進党もいいこと言ってますよ。原発反対とか。だけど僕は信じてない」
 だが信じられなかったのは、民進党も同様のようだ。最後の最後に民進党が担ぎ出したのは、古賀氏ではなく、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏(76)だった。
「鳥越氏は出馬会見前日の十一日午後に、松原仁都連会長に『推してほしい』と電話をしています。一方で、松原氏は古賀氏に出馬要請をしていました。結局、同日夜に岡田克也代表が押し切る形で鳥越氏に決定したため、都連は『執行部が決めきれないから動いたのに』とブチ切れていました」(民進党関係者)
 翌十二日、帝国ホテルで出馬会見に臨んだ鳥越氏だったが、本人も「公約はこれから考える」と認めたように準備不足は否めない。
「『(増田、小池両氏の)公約は読んでません。関心がなかった』。都有地の韓国人学校への貸し出しの問題も『具体的に知りません』と述べ、記者たちも白けていました。何より、過去に大腸がん、肺がんなどで四度手術をしており、四年後には八十歳。ジムなどで鍛えているそうですが、健康面に不安は残る」(民進党担当記者)
 直近では、〇九年に肝臓への転移で手術を受けたが、その後に会ったという知人は「食欲旺盛で、元気そのもの、『がんで講演が増えた』と。“原人”みたいな人なんです(笑)」。
 野党統一候補となった鳥越氏の強みは「政治信条がないこと」と知人たちは口をそろえる。交流の深い元木昌彦氏(元「週刊現代」編集長)が語る。
「彼の口から思想信条をはっきり聞いたことがない。その分、政党は相乗りしやすいだろうが、発言は縛られてしまう。彼は〇七年の都知事選でも民主党から打診を受けていますが、がん療養中で、奥さんに反対されて取りやめています。それでも当時はまだ若く、テレビによく出ていたから優位に戦えたろうが、今回は高齢ということもあり厳しい戦いになるでしょう」
 いずれにしろサバイバルマッチのゴングが鳴った。

「週刊文春」2016年7月21日号
 

【桜井誠 候補・民団新聞抗議!】東京都知事選 街頭演説in韓国民団前

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 7月16日(土)10時19分34秒
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  都政を国民の手に取り戻す会

【桜井誠 候補・民団新聞抗議!】東京都知事選 街頭演説in韓国民団前






【鳥越当確】鳥越210万、増田170万、小池120万票の予測


東国原英夫が大胆予測。都知事選は鳥越氏が当選確実?
週プレNEWS 7月16日(土)

ポスト舛添を巡る都知事選は事実上、元防衛相・小池百合子氏、元岩手県知事の増田寛也氏(自公推薦)、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏(野党統一候補)の3人の戦いになったと目されている。

現時点で都知事に一番近いのは誰なのか。2011年の都知事選に出馬した経験を持つタレントで元衆議院議員の東国原(ひがしこくばる)英夫氏が本誌に独自の票読みを披露してくれた。

「東京都には約1千万人の有権者がいます。都知事選の近年の投票率は、平均して58%くらい。すると候補者は約500万人の票を分け合うことになるわけです。その大まかな内訳は、自公が200万票、野党が150万票。これが固定票です。そして無党派層の150万票が浮動票。

ここで、自公の200万票は小池さんと増田さんとで必ず割れる。例えば7割が増田さんに3割が小池さんに入れたとすると、増田さんは140万票、小池さんは60万票です。これに対して鳥越さんは150万票です。

じゃあ、無党派層の150万票はどう動くのか? ここが一番肝心なところなのですが、無党派層の投票のポイントは知名度です。となると増田さんは弱い。

僕は、増田さんに30万票で、残りを小池さんと鳥越さんで分け合うと見ています」

東国原氏の票読みによると、鳥越俊太郎氏が210万票。増田寛也氏が170万票。小池百合子氏が120万票となる。

「僕は野党統一候補になった鳥越さんが都知事に一番近いと思います。今回の参院選で見ても、東京選挙区では、民進党の蓮舫さんが110万票以上取っていて、もうひとりの民進党の小川敏夫さんも50万票取っている。民進党だけでも150万票以上あるんです。これに共産党の山添拓さんの66万票を加えると200万票を超えてきます。

さらに無党派層の票も入るわけですから、現時点では鳥越さんが圧倒的に強いといえるでしょう」
東国原氏は今回、小池氏が独自の判断で都知事選に立候補したことが鳥越氏に追い風になったとみる。

「結局、小池さんの出馬で自公の票が割れるという事実は大きいですよ。自民が本当に勝ちたいなら、小池さんが出るという段階で、彼女に推薦を与えて候補にするべきだったんです。

でも、自民党には小池さんを嫌いな人がたくさんいます。今回の都知事選の立候補のプロセスを見てもわかるように、小池さんは周りを無視して自分勝手な行動を取る。だから自民党や都連は怒って増田さんを担いだ。自民党が増田さんを擁立したということは、小池さんだけは絶対に都知事にさせたくないという気持ちの表れですからね。

そもそも自民党が一番怖かった野党候補は蓮舫さんです。しかし、彼女は都知事選には出ないと言った。それで、自民党はあとの野党候補はショボイ人だけだろうと安心して、自公票が割れても増田さんで勝てると判断した。ところが直前になって、知名度の高い鳥越さんが出てきたので予定が狂ったんです」

実は東国原氏は、以前からメディアなどで鳥越氏の出馬をにおわせていた。

「はい。僕は告示の10日くらい前に鳥越さんが選挙プランナーと話をしているのを聞いていましたから。鳥越さんは『野党統一候補で、参院選で野党がボロ負けした場合なら、僕は出る』と条件をつけていたみたいです」

東国原氏の読みどおりに鳥越氏が都知事に当選したら、果たして都政をしっかりとやってくれるのか?

「ある筋からの話によれば、鳥越さんも『叩いても埃(ほこり)が出ない体』とは言いきれないとか。またワイドショーを騒がせることになってほしくはないですが…。ただし、それは小池さんや増田さんがなっても同じことですが…」

スキャンダル続きの東京都知事。都民が安心して暮らせる日は、まだまだ先になる!?
 

桜井誠 都知事選 街頭演説第一声

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 7月16日(土)00時24分10秒
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  桜井誠 都知事選 街頭演説第一声








在日韓国人朝鮮人の犯罪を撃滅させる

 

「エグザイル事務所の体育会系イジメ」 丸刈り謝罪、路上土下座…〈元社員4人が告発〉

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 7月14日(木)10時29分16秒
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  「エグザイル事務所の体育会系イジメ」
丸刈り謝罪、路上土下座…〈元社員4人が告発〉


「頭を地面につけろ」
 昨年夏の深夜二時過ぎ。大阪・福島区の国道で、若い男性が二人の男に命じられるまま土下座をした。若い男性を残酷な目で見下ろした男たちは、EXILEや三代目Jソウル・ブラザーズ、E-girlsなど多くの人気アーティストが所属する芸能事務所「LDH」の双子の名物役員だ。

 目撃していたLDH関係者が一部始終を語る。
「双子の副社長Xと専務Yをはじめ関連会社のスタッフら計八名ほどで焼き鳥店で会食をしていたんです。が、帰る間際になってXが突然、自分の運転手に対して激怒し出したんです。『なんでお前がこんなに飲み食いしてるんだよ!』。そして弟のYが店外で運転手に土下座を強要しました。会計してみたら、運転手の分が六千円もかかっていたということなんです」
 運転手の分際では逆らえるワケもないという。
「LDHでは、社長のHIROさん(五十嵐広行・47)を頂点に、上下関係は絶対。よく言えば体育会系、悪く言えばヤンキー系の“ノリ”。ヤンチャな見た目の所属タレントが多いのですが、じつは鉄の掟があるんです。例えば先輩とハイタッチする際にも、後輩は片手ではなく、手を添えて両手でタッチをするというのは有名な話です」(同前)
 同社の社名は基本理念だという「Love」「Dream」「Happiness」の頭文字に由来する。芸能だけでなく、障がい児サーフィン教室や小中学生向けの講演会、震災募金などの社会貢献活動にも力を入れており、その甲斐もあって、二〇〇九年の天皇即位二十年の祝賀式典ではEXILEが歌とダンスを天皇皇后の前で披露した。
 全アーティストと社員に配布される同社の“憲章”「LDH our promise」にはその理念が綴られている。
〈アーティストは、特別じゃない。一人の人間として、社会性が大切〉
〈みんなが思いやりを持ち、みんながほめ合う〉
 この本は非売品にも関わらずファンの間で一万円以上の値で取引されている。この社風に憧れ、全国から入社希望の若者が後を絶たないというが――。
「表では“仲間”や“夢”を謳っていますが、実態はイジメや体罰が横行するブラック企業。この一年で二十名近い社員が退職し一五年度入社の新入社員は半年足らずで全員辞めました」
 こう話すのは元社員のAさんだ。今回小誌にはAさんをはじめ四人の元社員が、同社の“体育会系イジメ”の実態を告発してくれた。
 特に酷いのが、冒頭の土下座強要のX氏だという。
「ある元社員は入社二カ月で自主退職を迫られました。理由はXの指示で買いに行ったiPhoneケースが、『薄さが足りない!(厚すぎる)』から。信じられませんよね。手術を強要された社員もいます。当時Xの運転手だった社員に他の社員を通して、『腋が臭うから手術しないとマネジャーに昇格させない』と伝えたんです。でも周囲は臭いに気付かなかったし、病院でも手術は意味がないと言われた。ですが結局、彼は一五年六月に指示通り手術をしました。術後は激痛から業務につけず、Xの指示で三週間休暇をとらされていました。休みの間はもちろん無給。結局、彼はマネジャーになれずに、そのまま退職しました」(同前)
 X氏にラーメン十杯の完食を強要されたのは元社員のBさんだ。

残業代未払いで労基署に相談

「会食後の深夜、ラーメン店で『食べないとクビだから』と豚骨ラーメンを十杯、目の前に並べられ、私は必死に食べました。Xは笑いもせずに見ていました。その夜は吐きたいのに吐けず腹痛で眠れませんでした」
 牛丼店やカレー店などで全メニューを注文するなど、過剰な飲食の強要は日常的に行われているという。
 元社員のCさんが目撃したのは“丸刈り謝罪”だ。
「同僚が突然丸坊主になって出社したんです。なぜかと聞くと、営業宣伝部部長のZを怒らせたからだという。他の先輩社員から『お前は丸坊主にしないと生き残れないぞ』と言われたそうなんです。どんなミスをしたのかと思えば……出張先で銭湯に行ったとき、入浴後、Zが『銭湯に行こうとは言ったが、一緒に入れとは言わなかった』と怒りだし、同僚の荷物を車から投げ捨てて、そのまま東京に帰ってしまったのだそうです。近くに駅もなく、同僚はタクシーで帰京。その態度が気に食わなかったらしい。部長は運転中に煙草で“根性焼き”をしようとしたこともあります」
 こうしたパワハラに音を上げれば“闇の部署”に配属されることも。
「通称『準備隊』です。ここでは中目黒のコインランドリーで一日中メンバーの練習着の洗濯をさせられる」(別のLDH関係者)
 元社員のDさんは長時間労働と残業代未払いについて、労働基準監督署に助けを求めた。退職した現在、未払い残業代の請求など、対応を考えているという。
「給与は基本給や業務手当などを合わせて手取りで二十万円程度です。労働時間は大体月に四百八十時間ほど。時間外勤務は二百二十時間にもなります。七十時間分の残業代は月八万円の業務手当に含まれているのですが、それ以上の残業代は一切支払われません」
 彼の勤怠表を確認したが、厚生労働省が定める時間外勤務の“過労死ライン”が月八十時間であることを考えると異常な労働時間だ。
「サーフィンが趣味の役員がいるのですが、その人の運転手になると、夏は出勤前に海へ行くため朝三時に迎えに行き、夜は会食が終わる深夜二時まで勤務。キャバクラに行った時はキャバ嬢も送らされる。自宅ではシャワーを浴びるだけで一睡もできず、寝るのは車中でした」(同前)
 EXILEのメンバーの中にも「絶対に付きたくない」人物がいるという。
「MATSUさん(松本利夫・41)です。朝六時頃まで飲むし、酔ったら暴れる。病気の時は特に酷かった」(前出・LDH関係者)
 MATSUはEXILE結成初期からのメンバーで、〇七年には難病「ベーチェット病」を患っていることを告白。現在は病状も落ち着き、六月二十五日には初プロデュース映画「KABUKI DROP」の舞台挨拶に出演者の早乙女太一や島袋寛子らと出席した。
「泥酔したら自宅へ送っても『この車はお前の車じゃない』と降りてくれない。やっと帰ったと思ったら、メールで『今からTSUTAYA行って来て』とパシらされる。自宅のゴミ捨てまでやらされた」(同前)
 LDHに取材を申し込んだところ、個別の事案に関しては「関係者のプライバシーも含まれているため、回答は差し控える」とした上で、「元従業員から未払残業代の請求を受けた事案がございますが、誠実に対応させていただいております。一カ月ほど前からコンプライアンス体制構築を専門とする弁護士に依頼して幹部に対する指導や研修を実施していただいているところです」と答えた。
 労働基準法に詳しい佐々木亮弁護士が解説する。
「事実なら刑事罰が科される可能性もある。土下座は強要罪、根性焼きは傷害罪や暴行罪にあたる。手術や丸刈り、飲食強制も損害賠償を請求できる案件です」
 愛や夢に溢れた経営方針を語る前に、まずは社員たちの悲痛な叫びに耳を傾けるべきではないか。

「週刊文春」2016年7月21日号
 

小泉進次郎は牙を抜かれたか?

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 7月14日(木)10時24分43秒
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  小泉進次郎は牙を抜かれたか?

安倍一強と言われる自民党内にあって、鋭く疑問を呈する若手のホープ。それが、小泉進次郎だった。しかし今回、彼は“いい子”になった。党本部の指示通りに激戦区をまわり、野党を厳しく批判する。変身か、それとも変節か。小泉進次郎、二〇一六年の夏を追う。

 小泉進次郎は演説の直前に必ず寄り道をする。駅やパーキングエリアの売店、神社仏閣、偉人の銅像、田畑や牧場、酒蔵などを訪れ、その土地の売りを確かめるのだ。車から飛び出すと高校野球で鍛えた健脚で全力疾走し、滞在時間は三分にも満たないこともある。
「リアル」にこだわる理由を彼はこう説明した。
「『行った』という事実が大事なんです。演説のつかみでその土地のことを話す時、本当に行った上で言っているのか、そうじゃないかは聴衆にバレますから」
 七月七日、長野県辰野町では登壇時刻の五分前でも運転手に頼んで、町全体が一望できる高台を探した。
 その後、演説会場に急いで入った進次郎は、待ち受けた三百人ほどの聴衆を前にこう語りかけた。
「私はここに来る前に隙間を縫って、荒神山公園の展望台に行って、この町の全景を眺めてきました」
 会場から歓声が上がる。
「私はその景色を見ながら何を考えたかというと、私の父、小泉純一郎を支えてくれた飯島勲さんの出身地がこの辰野なんです。親父の秘書をずっと長いことやってくれて、小学校四年の時から納豆を売って歩いて、その後に定時制に通いながら苦学して勉強して、親父の秘書になってくれて、自分の母親が危篤の状態になっても帰らず、親父の選挙を支えてくれたんです」
 飯島は純一郎の政界引退後、小泉家から距離を置いているとされる。しかし、進次郎は時々、彼の元を訪ねている。昨年十月、門外漢の農林部会長に就任してからは、族議員が跋扈する農政特有の遊泳術を指南された。演説はこう続く。
「飯島なくして、小泉なし。辰野なくして、飯島なし。そう考えると、辰野なくして、小泉進次郎なし!
 今日、長野県内四カ所で演説を行いますが、辰野は私から『やらせてくれ』って言ったんです。飯島さんへの感謝、彼を生んだ辰野に感謝を伝えたかった」
 飯島は昨年四月にあった長野県議選で元辰野町長の自民現職ではなく、前町長の新顔を応援し、苦杯を舐めていた。辰野は、保守分裂のしこりを残していた土地でもあった。
 長野は自民党にとって、参院選の最重点区だった。自民現職の若林健太は、民進党公認の杉尾秀哉に大きくリードを許していた。総裁の安倍晋三にとって、同じ清和会の若林は何が何でも勝たせたい候補の一人。陣頭指揮を執り、夫人の昭恵も起用してテコ入れをした。進次郎も“県農政のドン”とブロッコリー畑で密かに接触し、地上戦を展開。若林は猛追していたが、県内の保守勢力を結集する必要に迫られていた。

進次郎の来援を煙たがる農業県

 辰野の会場には、勝った自民党県議と敗れた前町長の姿があった。筆者が県連関係者にそう指摘すると、
「今回ばかりは一つにまとまらないと勝てない」
 と、胸をなでおろした。
 地方組織の力が強い自民党では、閣僚や大物政治家が応援弁士として各選挙区に送り込まれる際、九割五分が県連の意向に従って会場や日時が決められる。
 残り五分の例外が、総裁の安倍、幹事長の谷垣禎一、そして当選三回生議員の小泉進次郎が応援に入るケースだ。特に進次郎の場合、市町村だけでなく、演説スポットまで党本部がトップダウンで指定する。
 進次郎は六月二十二日から二十二道県九十八カ所を巡った。筆者はその全十八日間、密着取材した。
 今回、進次郎は公示日の山形・大蔵村を皮切りに、新潟・関川村、長野・川上村、岩手・金ケ崎町、青森・田舎館村、沖縄・伊良部島、福島・天栄村、秋田・上小阿仁村など、各選挙区での第一声を農山漁村で行った。
 党農林部会長のイメージに合う遊説日程を練ったのは、過去三回の大型国政選挙と同じ党本部職員三人からなる特命チーム。JTBの時刻表と路線サイトの情報を掛け合わせ、さらに各地のタクシー会社に電話で移動時間を聞くなど、アナログな手法で進次郎の足取りを描いていく。候補者不在の会場でも公選法上、街頭演説に必要な許可証をやりくりし、車は黒塗りの高級車を避ける。「将来の総理候補」に傷を付けぬよう細心の注意が払われた。
 だが、参院選を総括すれば、「効果」という面で疑問符が残った。進次郎が三日以上入った四選挙区のうち勝利を収めたのは滋賀のみ。農協の政治組織である農政連がTPP合意に反発して「自主投票」とした東北五県での遊説で進次郎は「自主投票はすばらしい」「農協だから自民党に入れる時代は終わった。自分の頭で考えて投票すべき」と強がったが、結果は一勝四敗。農業県では進次郎の来援を煙たがる声さえあった。
 党職員は移動中の彼に候補者名をもじったダジャレのアイデアを吹き込むことに腐心していた。
「今日の演説はニクソンの著書にヒントを得たんです」
 そう得意気に明かす進次郎は演説中、自分の世界に入り込み候補者の紹介が疎かになる傾向があるからだ。会場に到着すると車の周辺に人だかりができ、壇上で話す候補者の存在感は霞んでしまう。マイクを持った弁士が「お目当ては進次郎でしょ?」「本当にやりにくいなあ……」などとぼやく場面さえ少なくなかった。
 最大の変化は、進次郎の「演説」だった。
 筆者は、一二年の衆院選以降、彼の演説を四百回近く聞いてきた。ご当地ネタで聴衆を喜ばせる話術ばかりが注目されがちだが、党内野党を演じ、安倍政権に批判的な聴衆をもスカッとさせる言葉を繰り出すのが彼の得意技でもあった。
 過去の選挙では「アベノミクスの実感なんてないでしょ?」「突然の解散は誰も腑に落ちていない」などと安倍への牽制にも聞こえるフレーズを連発し、安倍がアプローチできない層のハートをつかみ、自民党のウイングを広げる役割を担ってきた。
 ところが、今回は方言も身内批判も封印。演説の中心は、安倍と同じ民進党と共産党の攻撃に絞った。
 昨年九月には安保法制の強行採決に「権力のおごりと捉えられる」と異を唱え、今年五月には安倍が決断した消費増税に伴う社会保障政策の拡充方針について、「そんなおいしい話に若い人たちはだまされない」と正論を吐いたが、選挙中の応援演説に、これまでのような切れ味はなかった。
 進次郎の狙いは、どこにあったのか。そのキーワードの一つが、農業だ。
 進次郎は十八日の選挙期間中、十七日を党本部に体を預けた。激戦区を回らせたい党本部と農村部を回りたい進次郎の思惑が合体したのが、今回の日程だった。
 先の辰野町の演説会場は、JA上伊那・辰野支所の駐車場だった。到着した進次郎は、壇上に上がるように促すスタッフを振り切り、窓際に並んで見守るJAの女性職員たちのもとに駆け寄って、一通り握手を交わしながら声をかけた。
 さらに、民進党代表の岡田克也が進退をかけた三重。進次郎は、第一声を度会町にあるJA伊勢で行った。そこのトップは、奥野長衛。JA全中会長だ。
 進次郎は街宣車の上で奥野と並んでこう切り出した。
「なぜ私が最初に四日市とか行かないで、度会町に来たのか。初めてじゃないんですよ。実は今年三月にも、来ているんです」

農協改革に熱心な官房長官

 進次郎は、奥野を農協の“改革派”と見て、既に一度、お膝元を訪れていた。
 応援要請が殺到する選挙戦最後の週末には、無風区の茨城に入った。昨年十月に水害被害を受けた常総市を指定したが、実は全国農政連会長の加倉井豊邦の自宅が隣町にある。「ドンへのご挨拶」という意図もあるのか、進次郎に問うた。
「それは深読みし過ぎ。三重には奥野会長を訪ねる意図はあったけど、ね」
 昨年の内閣改造。進次郎には、初入閣の声があがっていた。翌年の参院選を見据えて、人気者を閣内に取り込もうというプランだ。だが、進次郎は自ら党務に戻ることを希望し、入閣説を封じて見せた。そんな進次郎に自民党があてがったのが、まったくの畑違いだった農林部会長だった。
 TPP合意に対し、農協の自民党への反発は強まり、農業対策を求める族議員たちの声が強まっていた。そうした鉄火場に、進次郎を起用した人事は「官邸の進次郎潰し」とも囁かれた。
 遊説の合間、当時のことを聞いてみた。
――昨年、農林部会長に選ばれた時は驚きました。
「僕も驚きましたよ。最初はジョークかと思った」
 だが、こう続けた。
「こんなに現場感のある政策分野は他にないでしょう。大きな財産ですよね」
 部会長に就任した進次郎は、天性の気配りで、西川公也らベテラン農水族を籠絡しつつ、父譲りの“改革”にも目覚めていった。
 その一つが、農協にメスを入れることだった。
 選挙戦中、農家との意見交換ではこう語っている。
「農協から資材を買おうとすると値段が書いていない。農協の人が聞いたら怒られるかもしれないけど。スーパー行って、値段のないものを買いますか。農業の常識は他の世界の非常識です」
「こういうことを国で言ったら矢が飛んでくるばかり。でも、僕は当たり前が通じる世界に変えたい」
 進次郎は、今年一月、農協系の金融機関・農林中金不要論を唱え始めた。
 三月には部会で突然、ある資料を配り始めて同僚議員たちを驚かせた。同じ農薬が各県の農協によって価格差があることを一覧表にまとめたそれは、新聞にこぞって取り上げられた。さらに、二割にとどまる加工食品の原産地表示を「全て」に拡げる方針を打ち出した。それは参院選への公約にも盛り込まれた。
 純一郎が郵便局を抵抗勢力に仕立てたように、進次郎が“農業改革”へと突出していくのではないか――。
 そんな警戒感が広がる中、農協関係者を震撼させる人事が六月に発表された。
 農水省の事務次官に、経営局長だった奥原正明が起用されたのだ。前次官と入省同期。一期に一人の次官という慣例からすれば、異例だった。農協改革の中心人物でもあった奥原は、「彼の名を聞くと、農協は顔をしかめる」と言われるほど敵の多い人物だ。この人事を主導したのが官房長官の菅義偉だった。菅はTPPに反対する農協を苦々しく思っていると言われる。
 奥原次官の狙いを“農協潰し”と受け止める向きは少なくない。奥原は若手の省内改革派を通じて、「総理候補の進次郎を洗脳している」とまで言われている。実際、進次郎は、経産省と農水省を統合した「農商務省」の可能性を公言し、奥原と歩調を合わせているようにも見える。

「大臣」という言葉に進次郎は

 進次郎は移動中の車内で筆者にこう語った。
「JAと郵便局は似ている。農協のネットワークは全国に張り巡らされていて、病院、ガソリンスタンド、葬儀屋までやっている。これは農業組織というより地域組織、町内会の発展形みたいになっている。だから大きな組織になっている。強いですよ」
――その大組織に立ち向かうのは、怖くないですか。
「全中会長が奥野さんでよかった。ああいった農協頼みじゃない、変わらないといけないんだと言う人が会長なのは大きいですよ」
――農水次官も代わった。
「そう。農水省史上初めて経産省から局長を招いて、経産省との人事交流を始めた。改革の基礎ができつつある。農水省も腹が決まってきたんじゃないかな」
――でも、進次郎さんの姿勢に対し、「農家いじめ」と反発する声もあります。
「農家に優しいふりして、数字は全部右肩下がり。それで『農家を思う政治家』なら、それほど楽なことはない。だったら、私は嫌われても結果を出しますよ。人に嫌われるのが嫌なら政治家になっていませんから」
 だが、農水族が最も恐れるのは、農協が持つ大票田を失うことだ。その懸念にも、進次郎はこう答えた。
「農協は今、自民党支援でいいのかと揺れているけど、TPP反対を貫くなら共産党支援しか選択肢がなくなる。そうなったら農協の終わりの始まりですよ」
 進次郎から見れば、農協や農水省の改革派と組めば、自らが理想とする「若者が憧れる農業」が実現できるのかもしれない。参院選の全国行脚は、その視察でもあり、各地の農協幹部との人脈作りでもあった。
 進次郎はこう総括した。
「こうして全国遊説を繰り返すと、『どこに行った』という次元から、『どこ村の誰と何を見に行った』と語れるようになる。頭の中にある日本地図のメッシュが、どんどんきめ細かくなっていくのがわかりますよね」
 ただ、一方で官邸からみれば政権批判は封印し、“いい子”になった進次郎ほど、農業改革の広告塔として、便利な人物はいない。
 八月に予想される内閣改造では、昨年同様、進次郎入閣を期待する声が上がるだろう。改革に燃える進次郎は、「農水相」を提示された時に断れるのだろうか。
 最終日、進次郎が出張時に必ず訪れる仙台駅構内の売店で待ち構えていると、マイク納めを終えた彼がやってきた。最後の寄り道先で大好物の「ずんだシェイク」を買い、ホームで一緒に飲みながら談笑していると新幹線が滑り込んできた。
「大臣になってSPが付いたら、こんな近い距離で密着取材できなくなりますね」
 それまで笑っていた進次郎は筆者が「大臣」と口にした瞬間、真顔に変わり、何も語ることなく車両のドアに歩を進めた。(敬称略)

「週刊文春」2016年7月21日号
 

斎藤佑樹 汚れたハンカチ ファンの期待を裏切る「王子の私生活」 「ポルシェ〈800万円〉」「高級マンション」おねだり

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 7月14日(木)10時20分5秒
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  斎藤佑樹 汚れたハンカチ ファンの期待を裏切る
「王子の私生活」 「ポルシェ〈800万円〉」「高級マンション」おねだり


二〇〇六年の夏、一人のスターが誕生した。決勝再試合で田中将大に投げ勝ち、甲子園優勝投手となった斎藤佑樹。早稲田大学でも日本一に輝き、ドラフト一位で日本ハムに。だが、その輝きは失なわれつつある。あれから十年、ハンカチ王子に何が起きているのか。

 東京都港区にある芸能人や政治家が住む高級ヴィンテージマンション。昼下がり、ポルシェに乗った北海道日本ハムファイターズの斎藤佑樹(28)が姿を現した。小誌記者が近づく。
――週刊文春です。
 一瞬目を見開き、左手を挙げた斎藤。いくつか質問をぶつけたが、記者とフロントガラスを交互に見て、目を泳がせるのみ。そして、窓を開けることなくハンドルを切って走り去った。
 それから約三時間後、日本橋の出版社。社長は来訪を予期していたかのように「あ~、はいはいはい」と小誌記者を笑顔で社内に招き入れた――。

「人生最大の、一番幸せな日になりました」
 斎藤の爽やかな笑顔がはじけたのは、二〇〇六年の夏のことだった。早稲田実業のエースとして延長十五回、引き分け再試合を経て田中将大擁する駒大苫小牧を破り、早実悲願の夏の甲子園初優勝を飾った。
 無名の存在だった斎藤は、“平成の怪物”と言われた中田翔、夏三連覇を目指した駒大苫小牧を抑えこみ、国民的ヒーローとなった。
 昨夏、甲子園をにぎわせた清宮幸太郎も、斎藤に憧れ、早実に入学した一人だ。野球少年だけでなく、ハンカチで汗を拭う姿は母親世代の心も鷲づかみにした。文武両道で爽やかな受け応え。我が子にしたい理想的な好青年を体現していたのが“ハンカチ王子”だった。
 たとえば、クルマについて聞かれてこう答えている。
「ずっと地元で見てきたので、スバルが一番いいと思ってるんですよ、自分は。ベンツよりもポルシェよりも、世界のトヨタより、スバルがいいと思ってるんです」(「日刊スポーツ」〇八年十二月二十五日付)
 父の寿孝氏が地元・群馬の富士重工に勤務していたこともあり、お気に入りだったのだ。
 当時の斎藤は、早稲田大学の二年生。大学に入っても彼には“華”があった。一年の時にエースとして大学日本一。主将として迎えた四年ではチームを大学日本一、秋のリーグ戦優勝に導いた。個人としても通算三十勝を達成するなど輝かしい記録を残している。
 そして、ドラフト会議では四球団から一位指名を受け、日本ハムファイターズに入団する。入寮した際には、荷物がリモワのスーツケース一つだったことが話題になった。
 先にプロ入りした田中とのライバル物語第二章がいよいよ始まったはずだった。
 しかし今、その背中ははるかに遠い。
 田中は、シーズン二十四勝無敗で楽天を日本一に導き、メジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースの先発陣の一角を担う。
 一方の斎藤は、プロ入り五年で十四勝。一軍と二軍を行ったり来たりの日々だ。

二軍練習場に通う車が欲しい

 そんな彼が乗りまわすのが、ポルシェのマカン。一昨年に発売されたSUVタイプの車で、価格は最低でも八百万円を超える。
 問題は、このクルマが、出版社社長から提供を受けたものであることだ。
「社長は昨年夏頃から会社のカネで、斎藤にポルシェを提供しています」
 こう語るのは、老舗出版社ベースボール・マガジン社の社員。ベーマガは、一九四六年に故池田恒雄氏が創業。「週刊ベースボール」を始め「週刊プロレス」など多くの競技専門誌を出し“スポーツ誌王国”を築いた。恒雄氏は、雑誌記者としては初の野球殿堂入りを果たすなど、野球ジャーナリズムの発展に尽力した人物である。現在、社長を務めるのは恒雄氏の息子・哲雄氏。この哲雄社長が、斎藤にポルシェを提供した人物だ。
「去年の春先に、社長と斎藤はポルシェ銀座店を訪れました。シートの仕様や色をカスタムしたそうです。夏に納車されると、斎藤の父親が受け取りに来ていました」(同前)
 斎藤は、池田社長にポルシェをこうねだったという。
「鎌ケ谷の二軍練習場に通う車が欲しい。札幌には車があるけど東京にはないから。池田さんなら、なんとかなるんじゃないですか」
 斎藤が欲しがったのは、ポルシェSUVタイプの最高級車カイエン。価格は二千万円を超えるものもある。
「あまりにも高すぎるということで、マカンになりました。ベーマガの関連会社でリースして、それを斎藤に又貸しすることにしたのです」(前出・ベーマガ社員)

熱望したポルシェで練習に通う

 池田社長は、早実から早大教育学部を出て、現在は早実の校友会会長を務めている。早実関係者が語る。
「池田社長は、斎藤が在籍した当時の監督・應武篤良氏と懇意にしていたそうで、大学時代から斎藤を可愛がっていました」
 実は、斎藤が池田社長に面倒を見てもらったのは、ポルシェだけではない。おねだりは、早大野球部時代から始まっていた。
「斎藤は、女の子がおじさんに『ヴィトン買って』というノリでプレゼントをねだってくるそうです。社長もまんざらではなく、『誕生日にボッテガヴェネタの財布を買ってあげちゃったよ』と言い触らしていました。他にも、フランス製の高級バッグ・ゴヤールなどもプレゼントしたとか」(前出・ベーマガ社員)
 さらに斎藤は不動産の提供まで受けていた。
「大学四年生の時には、会社が所有する明大前のマンションを自由に使わせています。斎藤はそこで乱痴気騒ぎをしていたそうで、社長は『部屋を掃除したら“ゴム系のもの”が落ちてたんだよ』と苦笑していました」(同前)
 斎藤は、早大時代、「ずっと野球部の寮にいた」と語っているが、学生らしからぬ“セカンドハウス”があったのだ。
 プロ入り後も、池田氏との蜜月は続いた。
「一年目のオフには、月島の高級マンションに住まわせてもらっていました。コンシェルジュが常駐する二十階を越えるタワーマンションで、もともと池田社長が自宅として使っていた部屋です。広さは約七十平米。普通に借りれば、月二十五万円ぐらいはするはずです。斎藤は『一般人とエレベーターホールが同じだから嫌だ』とお気に召さなかったようですが」(前出・ベーマガ社員)
 日ハム関係者が語る。
「大卒の新人でも二年間は鎌ケ谷の『勇翔寮』に入ることになっています」
 当時の斎藤は、一年目のシーズンを六勝六敗で終えたばかり。本来は、寮に住みながら、二年目に向け、自主トレに励むべき時期だった。プロ入りの頃から、斎藤は変わってしまったという人は多い。
「外国人と交際する女性記者が取材に来たときの話です。佑ちゃんはいきなり『彼氏のアソコはやっぱりデカいの?』と質問し、女性記者を唖然とさせたそうです。池田社長が自慢気に話していました」(ベーマガ関係者)

過去には金品提供で処分も

“物欲”についても、ドラフト直前、テレビの取材にこう本音を吐露している。
「ポルシェ! カイエン乗りてぇ。(中略)うわぁ、頑張ろう。ビッグになろう、俺も」(一〇年十二月二十五日放送、「情報7daysニュースキャスター」)
 だが、斎藤が頼ったのは、プロで実績を積み重ねて稼いだ自分の金ではなく、他人の財布だった。一方、“タニマチ”に対しては、こんな“お返し”をしていた。
「四年前に行われた社長の結婚披露宴に出席していましたね。それから、一二年三月に戦闘機をバックにした斎藤の写真が、『週刊ベースボール』の表紙を飾りました。実は池田社長は、大の軍事オタク。野球雑誌とは思えない表紙に、さすがに社内から『公私混同が過ぎる』との声が漏れました」(別のベーマガ社員)
 ただ、気前よく斎藤にプレゼントする一方で、ベーマガの経営は火の車だった。
 一三年には経営悪化から三十名超がリストラされた。
 今年一月には本社ビルを売却し、貸しビルに移った。それでも経営は好転せず、今年一~五月期は一億円を超える赤字を出している。
「給料が低く、『これじゃあ結婚もできない』と若手社員の転職が相次いでいます。看板雑誌の『週刊ベースボール』も実売は三万部前後に低迷しています」(同前)
 そんな苦境にもかかわらず、池田社長には誰も諫言できない状況にある。
「ベーマガは実質的に“一人株主”のオーナー企業です。社長の意に沿わず、新潟支社に左遷された社員もいます。社長は、これだけ経営が悪化していても、月三百万円超の報酬をもらうほか、業務実態のない近親者にも給料を払っており、その額は合わせて年間五千万円を超えます」(別のベーマガ社員)
 だが、そもそも企業が一野球選手に対して利益供与することに問題はないのか。企業法務に詳しい大塚智倫弁護士はこう指摘する。
「一般的に、会社の代表が、私的な交友関係を維持するために、会社がリースした車を無償で貸した場合、会社法の特別背任罪に当たる可能性があります。代表自らが会社のお金を私的に流用すれば、会社や株主たちの信頼を裏切り、損害を与えることになりますから」
 また、出版社ベーマガは「週刊ベースボール」を発行する報道機関でもある。取材対象者である斎藤に対する利益供与について、メディア倫理に詳しい服部孝章立教大名誉教授はこう指摘する。
「当然ながら、報道機関と取材対象者は一線を引く必要があります。利益供与は論外です。代償として球団に関する情報の入手を依頼される恐れもあり、不祥事が生まれやすくなる」
 青少年の模範たるべきプロ野球選手は、毎年「統一契約書」にサインをする。その十七条には「模範行為」として次のような記述がある。
〈個人行動とフェアプレイとスポーツマンシップとにおいて日本国民の模範たるべく努力することを誓約する〉
 野球選手への金品授受を巡っては、一九九〇年、桑田真澄がこの十七条に反するとして、巨人から登板禁止一カ月、罰金一千万円の処分を受けた。また水野雄仁も高級乗用車と二百万円程度の金銭を受け取っていたとして、罰金百万円と譴責処分を受けたほか、他の複数の選手が厳重注意などの処分を受けている。
 小誌が、斎藤に事実を確認するべく直撃したのが、冒頭の場面だ。斎藤は何も語らなかったが、池田氏は饒舌だった。
――ポルシェを提供した?
「斎藤から『ポルシェが好きなんで』と言われてね。『お前には頑張ってもらわなけりゃならないから、俺が払ってやる』と。奴も一軍の選手ですからね、(ポルシェを)持っていても不都合という感覚はなかった」
 昨シーズンが開幕した頃に契約をし、リース料は月額十万円程度だったという。
「ただ斎藤もプロだし『そろそろ自分から出しますから』と言って、今年五月から自分で払ってるんです。契約切替の書面なんかは残ってませんけどね」

父は「すみませんでした」

――マンションを提供していた?
「月島はプロ一年目終わったときに二カ月くらいかな。『合宿所を出たいので、ちょっと置いてくれないか』とね。明大前は大学四年のドラフト前に一、二カ月いました。どちらも家賃を取って、明大前は十数万円くらいかな」
 ただ、これも領収書などは残っていないという。
――ボッテガヴェネタやゴヤールをプレゼントした?
「ボッテガヴェネタはプレゼントしてないと思うなあ。ゴヤールのバッグはない。プロ入り後、誕生日にリモワのスーツケースはプレゼントしました」
――社員は利益供与を納得しないのでは?
「納得してると思うよ。取材対象だから頑張ってもらわなきゃいけないし。飯食わす…よりはちょっと高いかな。そりゃ斎藤が(雑誌に)出れば売れますよ。まだ商品価値ありますよ」
 だが、取材後に改めてベーマガに確認を求めると、明大前のマンションについては、「短期間のため」として家賃は受領しておらず、無償提供だったことを認めた。また、月島の物件は池田社長所有のため、ベーマガとしては関知していないという。
 池田家関係者はこう嘆く。
「恥ずかしい限りですが、哲雄は本当のことをあまり言わないので。ポルシェのことは初耳ですが、斎藤君の人間性を疑いますよ。ベーマガは王(貞治)さんや長嶋(茂雄)さんにもお世話になりましたが、物をねだられたことはありません。初代の恒雄社長は『スポーツマン精神を忘れるな』とよくおっしゃっていました。社員をないがしろにして選手にそんなことをしてはいけません」
 ポルシェを受け取りに出向いた斎藤の父・寿孝氏にも話を聞いた。
「本人から取りに行ってくれと言われただけなので、誰の名義かは聞きませんでした。『スバルはもう乗ったから違う車にチャレンジしてみたい』と言ってました。別にお金が無くてタカリに行ったわけではなくて、安易な気持ちだったんだろうと思います。ただ子供たちから羨望の目で見られている職業ですから、色々な面で誤解を受けるようなことがあれば舛添さんになってしまいますから。すみませんでした」
 運動部記者が語る。
「通常、選手の価値は数字で決まりますが、斎藤にはハンカチ王子という絶対的な経歴がある。つまり自分の価値を失わないために努力する必要がないのです。そこに安住して、プロの世界で生き抜くにはどうすればいいのかを、根本的に考えていない。中継ぎに活路を見出すべきですが、『僕は先発での勝ち方しか知らない』とこだわりを見せている。その結果、キャリアハイが高校三年生というのが悲しい現実です」
 今年も甲子園を目指して地区予選が始まった。今の斎藤は、高校球児たちに胸を張れるのだろうか。十年前の自分に、胸を張れるのだろうか。

今季は未勝利(12日現在)

「週刊文春」2016年7月21日号
 

プリンスの墓標 堤義明怨念の家系

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 7月13日(水)18時19分42秒
編集済
  沢口某は愛人であることは有名。


プリンスの墓標 堤義明怨念の家系
http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-49c1.html

●大物女優の「口紅」

 東京都港区高輪にある「高輪プリンスホテル」は、堤義明にとって特別な意味を特つ場所であった。「特別」とは、西武グループが所有・運営する他のホテルとは別に、決して人に明かすことの出来ない「目的」を果たすために用いられるという意味である。Im_hotel2
 このホテルは、東京の南玄関口・品川駅から徒歩三分の地にある。品川駅からさくら坂を登ると同ホテル「さくらタワー」があり、雑木林の生い茂る広大な庭園を挟んで、奥に石作りの西洋建築「貴賓館」と「和風別館」、「高輪プリンスホテル」かあり、左手には巨大宴会場の「飛天」と「国際館パミール」があり、その間に当初からマンションヘの転用も計画に入れて建設したと言われる「新高輪プリンスホテル」の白亜の建築もそびえ立つ。
 三つのホテル棟を結広縁の庭園は約二万平方メートルに及ぶ。
 このホテル群へは、品川駅から「さくらタワー」玄関へのアプローチ、高輪プリンス正面玄関へのアプローチ、ざくろ坂を登った新高輪プリンス玄関へのアプローチという三つの入口があり、樹々に隠れて人目から逃がれられるという利点がある。
 三つのホテルのうち、最後にオーブンした「さくらタワー」のオープニング・イベントに筆者自身が招かれたことかあるが、各ホテル間を繋ぐ通路は複雑に入り組み、案内表示を確かめないと、方向感覚を失ってしまいそうな「迷路」の様相を呈していた。このオープニング・イベントで堤義明は、当時キャンペーンガールだった女優の沢口靖子を脇に立たせ、国内外からの賓客を出迎えていた。
 数多くの出入口があり人目につきにくいという構造を生かして、堤義明は「高輪プリンスホテル」を自らの「私邸」化した。
 好みの料理人を揃えて、そこに政治家や人気女優らを招いて密談する「秘密の館」と位置付けていた。
 「例えば、この3ホテルの敷地内に新しいレストランがオープンした際、堤は愛人と言われた秘書課の女性と、荻窪第二夫人と呼ばれた女性を同席させ、料理やサービスを自らチェックし、○△×といった項目で採点した。何かに落度があれば現場の責任者を呼んで、二人の女性の前で叱責するのです。秘書の女性はそうした場合、社員側の擁護に回っていました。
 一方でそのレストランがTV番組で紹介され、有名タレントが料理やサービスを誉めたりすると、途端に態度が変わって現場を評価するというかなりミーハーな部分もありましたね」 と元社長は語る。
 このように周囲も公認の愛人を伴なって堂々と「高輪プリンスホテル」を訪れることもあれば、時には大物女優と「お忍び」で真っ昼間から逢瀬を楽しむこともあった。
 「高輪プリンスホテル最上階の16階には、四室続きのロイヤルスイートルームがあり、最も手前にキッチン付の部屋がある。前会長が客を招いて食事される場合は、三人のスタッフが付いて、キッチン付の部屋で料理の準備をする。前会長のいるロイヤルスイートの奥のリビングとの間にもう一つ部屋かおり、そこは中からしか開けられぬ二重ドアが付いていて、そこに料理を乗せたダイニングテーブルを置くわけです。テーブルを置いて、ドアを閉めると担当者がドアを開けて、料理を取り出す。
 その担当スタッフは決まっていて、彼以外は中に入れません。
 食事が終るとテーブルを再び中央の部屋に移勤し、片付けるわけですが、使用したワイン・グラスに大物女優の口紅が付いていると厨房などで大騒ぎになるわけで、中にはそのグラスをこっそり持って帰りたいと冗談を言うスタッフもいました」もちろん女優の名は、ほとんどの社員が知らされていないが、ある程度事前に漏れる場合もあり、社内では「公然の秘密」となるわけである。
 こうした芸能関係者と堤義明の会食などのセッティングは、全国のプリンスホテルで行なわれるディナーショーの企画を一手に引き受ける株式会社プリンスホテルの経営幹部が専門 に行なうと、元社員は苦言する。
 「例えば、ディナーショーの企画を待ちかける時、堤前会長のお気に入りの女優やタレントがいたりすると、まず各ホテルのキャンペーンガールやクリスマスのディナーショーの仕事を振り、それが終った後に二度、ウチの会長に逢ってみませんか、と芸能事務所を通じて会合を待ちかけるわけです」
 ホテルで会食をし、女優の様子を見て、まんざらでもないと判断すると、軽井沢、苗場などのリゾート地にある別荘へと招待した。
 高輪プリンスホテルは、堤義明個人にとっては、ホテル本来の目的とは離れたレストラン、使用人付の「私邸」として利用されてきたわけである。
 その「秘密の館」を現在、頻繁に使用しているのが、他ならぬ小泉純一郎首相である。
 もちろん「高輪プリンスホテル」自体は、一般客を対象とした都市ホテルであるため、若い社員の中には、堤前会長がこうした利用をしていることを全く知らないスタッフも多かった。前会長専門に食事等のサービスを行なうスタッフがおり、専門のベテラン社員がそのセッティングを行なった。それは、プリンスホテルそのものの業務とは、全く関係なしに行なわれた。
 堤義明にとっては、「仕事」そのものが「遊び」であり、「遊び」が「仕事」であった。高輪プリンスホテルに限らず、オーナーの堤義明が系列のホテルに愛用のベントレーやジャガーで到着する際は、ホテル幹部及び指摘されるポイントを知り尽した古参社員が出迎える。
 中には、提前会長が玄関からエレベーターに乗るまでの数十秒を利用して、直接通したい案件を手短かに説明し、会長の承認を得る幹部もいた。万一、「何の話だ」と聞かれた際のために、事前に資料も用意しておく。そうすれば、早い者勝ちでダイレクトに会長決裁がもらえる。
 プリンスホテルは、ホテル同土互いの営業成績をかけて激しい「内向き競争」を行なっていた。普通、ホテル業界は、資本の異なる他ホテルと競争するのが通例である。
 ところが、プリンスホテルは、例えばカクテルの創作コンテストでも、プリンスホテル・チェーン内で技を競うのである。
 ホテル経営に関する提案も同様で、各地域のプリンスホテルが組織内で営業成績を競う。
それに勝つためには、提前会長が来館の折に直訴し、承認を得るのが最も手っ取り早いのだ。
 それによって、他のプリンスホテルを一歩リードできるわけである。ホテル玄関からエレベーターまでは距離にして約三〇メートル。その間に担当者は提案を手短かに話し、提から「ウーン、いいよ」と承認を取った方が勝ちである。
そしてその企画や提案がヒットすれば、ホテルの総支配人に引き上げられることも夢ではなかった。
 だが、この10年余り、提義明へ、現場の「真実の情報」はほとんど伝わっていなかった。代りに、「実権」を握ったプリンスホテル社長の山口弘毅らのグループが情報を遮断し、堤に現実を見せないでいたと元幹部は苦言する。そして、近年はむしろ堤の権威にすがる幹部は敬遠された。
 山口らから「君は、間違った山を登っている」と直接、注意された社員もいた。忠誠を尽すなら、実権を握ったN02の山口の方ではないかという意味合いが、この言葉にはこめられている。
 かくして、提前会長に忠誠を尽せば、側近のN02グループから批判されるという、ややこしい「二重権力構造」が出来上がった。その結果、板ばさみにあって退職する社員も少なくなかった。
 

鈴木貴子の演説 自民党参議院選挙 かきき克弘 応援演説

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 7月11日(月)21時57分24秒
編集済
  元秘書赤松の犯罪行為は隠蔽?

鈴木貴子の演説 自民党参議院選挙 かきき克弘 応援演説

 

ミサイル暴君 金正恩が「死亡説リーク」破滅的な精神状態

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 7月11日(月)10時56分51秒
編集済
  ミサイル暴君 金正恩が「死亡説リーク」破滅的な精神状態
週刊実話


 北朝鮮は今年に入りミサイルを計24発も発射している。そのうち、中距離弾道弾ムスダンは4月と5月に計4発発射されたが、いずれも直後に爆発するなどして失敗したとみられている。
 しかし、6月22日に発射された2発のうちの2発目は高度1000キロメートル以上に達し、約400キロメートルを飛行した。さらに、この2発目に関しては北朝鮮の計画通りに飛び、実験は成功だったとの見方が強まりつつある。

 注目は大気圏再突入時に、弾頭を超高熱から遮断する技術を開発したことだ。ただし、今回の発射が成功だったところで、今のところその成功確率は6分の1。それを脅威とするかどうかは意見が分かれる。
 「日本の防衛省によるとムスダンの推定射程は2500~4000キロメートルで、日本全域をカバーするばかりか、米軍基地のあるグアムまで射程内に捉えました。また、韓国国防省によれば、約650キログラムの核弾頭を搭載できるという。グアムは、朝鮮半島有事の際には米軍が援軍を送り出す重要拠点ですから、北朝鮮に対し、いずれかの国が先制攻撃を行った場合、核による報復を受ける可能性が出てきた。つまり、北朝鮮は核抑止力を持つことになり、米国に対して体制の保全と“核クラブへの入会”を要求する準備を行程通り進めているというわけです。トランプ米大統領候補をやたらと“ヨイショ”しているのは、この計画の一環でしょう」(軍事ジャーナリスト)

 金正恩朝鮮労働党委員長の高笑いが聞こえてきそうだが、いくら核開発やミサイル発射成功を自画自賛したところで、国民や政敵からいかに嫌われているかを示す報道が6月16日にもたらされた。上海に本社を置くインターネットメディアのイースト・アジア・トリビューン(EAT)では「爆弾テロで死亡した」と報じ、翌17日に韓国聯合ニュースも同じ内容を伝えたのだ。韓国国防部は「事実ではない」と即座に否定した。
 「EATによると平壌のポトンガン区内で開かれていた記念式典に参加中、警護をくぐり抜け近づいた女性の自爆テロによって死亡したという内容でした。すぐに疑問に思ったのが、まず、仮に女性が軍人であっても自爆できる手榴弾などを携帯できたかどうかという点。また、一般人に動員された党員、近衛軍の警護役、精鋭警護役が二重、三重に取り巻く中を突破できただろうかという点です。故・金正日総書記もたびたび暗殺説や病死説が流れましたが、独裁国家では独裁者の急死、暗殺情報が実際に死亡するまで何度も流れるのは通例。金ファミリーのプライバシーは徹底して守られており、海外メディアがファミリーの死亡をスクープすることなどあり得ません。これは反正恩一派を見つけ出すために正恩自身が発したリークか、さもなければ一攫千金を狙う勢力が市場操作したかどちらかです」(北朝鮮ウオッチャー)

 にわかには信じ難い正恩委員長自身からのリーク説--。聯合ニュース(日本語電子版)は、こんな配信をしている。
 《金正恩委員長が最近、北朝鮮の内部情報を韓国に流出させる住民を『南朝鮮(韓国)のスパイ』と見なし大々的な摘発を指示したことが分かった。北朝鮮事情に詳しい消息筋は6月19日、聯合ニュースの取材に対し、正恩委員長が「内部情報を外に流している不純分子が多くいる」として公安幹部を追及したと明らかにした。国の情報を敵に渡す不純分子の策動を排撃するという内容の指示文が、公安機関と住民に下されたようだと話した》

 北朝鮮には、反体制分子を摘発する国家安全保衛部(秘密警察)と人民保安部(警察)がある。しかし、スパイやクーデター計画の摘発は、泣く子も黙る保安部や保衛部でも容易ではない。そこで、意図的にさまざまな情報をあらゆる方面に流す。治安関係者は事前に情報の広がり先を把握しているので、それを元に海外メディアに通報した犯人を見つけ出すというわけだ。
“ミサイル暴君”と化した正恩委員長の今の精神状態なら、そこまでやっても不思議ではない。とすれば、正恩委員長に関する健康不安説、あるいは病死説や事故死説は、ウオッチャー氏の言うように亡くなるまで何度も流れてくるに違いない。

 そしてもう一つ、今回の作文的な報道からにおうのは市場操作説だ。
 「正恩死亡情報が流れた直後、韓国ウォンが一時急落するなどソウルの外国為替市場が動揺しましたが、防衛関連銘柄は急騰しています。北朝鮮に変事が起こるたびにこうした怪しい現象が起きているのです」(日本在韓国紙特派員)

 さて、日米にとって厄介なのは、ムスダンが移動式発射台からの発射が可能なことだ。固定設置のミサイルと比べ、移動式は発射前の探知、破壊が難しくなる。
 「ムスダンの原型は旧ソ連のR‐27潜水艦発射弾道弾(NATOのコードネーム=SSN6)で、これを潜水艦搭載型や車両型移動式に転用しているとみられます。それだけに、これまでは失敗が多かったのですが、今後は日本にとって、重要施設を射程内に捉えるミサイルの多様化という点からも、防衛に要する費用が青天井になる可能性が出てくると言えるでしょう。ロイターが韓国メディアの情報として伝えたところでは、最大30発のムスダンを所有しているといわれます」(前出・ジャーナリスト)

 手をこまねいている間に、朝鮮半島から不気味な足音が聞こえてきた。
 

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