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石原慎太郎とドン内田“無責任コンビ”の癒着 「豊洲問題」混迷の元凶

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 9月29日(木)08時51分50秒
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石原慎太郎とドン内田“無責任コンビ”の癒着 「豊洲問題」混迷の元凶

一度動き始めた巨大プロジェクトは、チェックされることなく、暴走を始める。その象徴が、築地市場の豊洲移転であり、膨らみ続ける東京オリンピック予算だ。十三兆円の年間予算を持ちながら、無責任体制に堕した東京都。その根源は、十一年前の事件に遡る――。

 九月二十四日夜、“都議会のドン”こと内田茂都議(77)は、千代田区内で行われた地元の会合に姿を見せていた。会場を後にする内田氏に声をかけた。
――小池さんが昨日、「私の政策は都民ファーストだから、都議会も反対できない」と言っていた。
「はっはっは。一切、(私は)やってないからさ」
――議会前に小池氏ばかりが喋っていますが。
「いやー、やっぱり是々非々でやる以外にない」
――二元代表制だから?
「そうそう」
 余裕の表情を見せながら内田氏は、傍らにいた娘婿の内田直之千代田区議とともにタクシーに乗り込んでいった。
 一方、その前日の二十三日夜、豊島区の講演会に顔を出した小池百合子都知事(64)。二千人近い参加者を前に「今、快進撃というね。自分で言っちゃーいけない(笑)」と上機嫌に語り、自民党から離党勧告を受けた七人の区議を「七人の侍」と持ち上げた。
 講演会後に小池氏を直撃したが、何を尋ねても「頑張ります、頑張ります」と繰り返すのだった。

浜渦起用を巡り都議会と対立

 小池氏の都知事就任後初となる都議会定例会が九月二十八日、開会した。最大の焦点は、豊洲新市場への移転問題だ。主要建物の地下で「盛り土」がされていなかったことが発覚。空洞には地下水が漏れ出た可能性も指摘された。
 土壌汚染、談合疑惑、交通アクセスの不備……。なぜ、築地市場の豊洲移転問題はかくも問題を抱えたまま、見切り発車で進んでいったのか。
「これは僕、騙されたんですね。都の役人は腐敗している」
 当初、そう語ったのは、豊洲移転の旗を振ってきた石原慎太郎元都知事(83)だ。だが、その後説明は二転三転する。
「二〇一一年八月、都が土壌汚染対策工事を落札した各JVと結んだ契約書では、豊洲市場の建物予定地は盛り土しないことになっていました。当時の石原知事はこの契約書にサインしているのです。いくら都庁職員の責任にしようとしても、行政機関のトップとして、責任は免れようがない」(都庁担当記者)
 本来なら、都知事や都庁の“暴走”をチェックすべき、都議会も沈黙したままだった。いや、むしろ石原氏の豊洲移転を二人三脚で推進していったのが、ドン内田氏だったのである。
 実は、石原都政が誕生した直後は、内田氏との関係は険悪だった。
 石原氏が初当選した一九九九年四月の知事選。都議会自民党の幹部だった内田氏は森喜朗自民党幹事長(当時)とともに、明石康元国連事務次長を擁立していた。
「石原氏は内田氏のことを念頭に『都政の悪人を成敗する』と言って、都庁に乗り込みました。かたや内田氏は石原氏を『発言がクルクル変わる宇宙人みたいだ。基本姿勢や理念が理解できない』と痛烈に批判していたのです」(都連関係者)
 石原氏は就任直後から議会運営で苦境に立たされる。腹心の浜渦武生氏を副知事に起用しようとしたが、内田氏らは都議会で、その人事案を否決したのだ。
「困った石原氏は就任から数カ月後、当時の小渕恵三首相らに『議会が回らない』と相談します。結局、野中広務官房長官の仲介で、内田氏との手打ちの場が設けられました。場所は築地の料亭。石原氏、野中氏と内田氏ら都議三人が向き合い、石原氏は『よろしくお願いします』と頭を下げたのです。内田氏らも支持率が高い石原氏を利用しようとしていた」(内田氏周辺)
 その直後、石原氏は築地市場を視察する。同年九月のことだ。
「狭い、古い、危ない」
 石原氏はこう述べ、豊洲にある東京ガスの工場跡地への移転に舵を切った。
 都議会自民党も二〇〇〇年七月、浜渦氏の副知事就任に同意する。先週号で詳報したように、浜渦氏は移転候補地・豊洲の買収に向けて動き出した。独自の再開発計画を立てていた東京ガスを説得し、豊洲移転交渉をまとめた浜渦氏とは、どのような人物なのか。
「もともと右翼活動家だった浜渦氏は、石原氏が国会議員時代から公設秘書を務めてきました。浜渦氏が信頼を得るようになったきっかけとして、次のような“伝説”がまことしやかに、語られています。石原氏が田中角栄首相の金権政治を批判していた頃、ピストルを持って『俺がこれで田中をやってきます』とまで言い放った。石原氏はその時以来、『こいつは俺のためなら人を殺せる』と信用するようになったというのです。九九年の都知事選に石原氏を引っ張り出したのも浜渦氏。選挙戦では石原氏の家族を中傷する怪文書がばら撒かれましたが、浜渦氏は文書の発信元が自民党東京都連と特定。都連に乗り込み謝罪を求めていました」(石原氏の元秘書)
 それだけ信用していた側近に、最大の懸案になった東京ガスとの交渉を任せたのだ。
「浜渦氏は、当時の江東区長に『豊洲に架かる橋を五本、環状二号線の整備、観光施設の開設』を約束し、江東区長から東京ガスに『跡地を新市場に』と要望させた。東京ガスにも工事費軽減などの“アメ”を与え、〇一年七月に移転合意にこぎつけたのです。しかし、その後も、東京ガスに譲歩を重ねた結果、都は“汚染された土地”に“きれいな土地”並みの代金を支払う羽目になった。その額は計千九百億円近くにのぼります」(都庁幹部)
 石原氏は、先週号で小誌の取材に「このような重要な案件を任せたことで、浜渦氏が過剰な権限を行使するのに至ったのであれば、強く反省しています」と文書で回答している。
 今回、浜渦氏は小誌記者の直撃にこう答える。
――東京ガスとの交渉を。
「うん、俺がやった」
――石原氏は「過剰な権限を与えてしまったことを反省している」と。
「そんなことはない。そんな失礼なことを言うな」
――石原氏が言っていた。
「じゃ(石原に)言っといてくれ。俺が言っとく。知ってるようなこと言うな」
 豊洲移転問題に限らず、石原氏は重要課題を浜渦氏に丸投げしていた。浜渦氏は週に数日しか登庁しない石原氏に代わって、都政を取り仕切るようになり、言わば“都庁のドン”として君臨するようになっていく。
「浜渦氏に説明に行く時は手紙を書かないといけない。手紙を見て、来る必要のない職員には電話で断ったり、×と返事を出したりしていました。気に入らないことをした職員には詫び状も書かせていた。この“お手紙行政”によって、浜渦氏は情報をコントロールするシステムを作り上げたのです」(元都庁幹部)
 そんな浜渦氏に警戒心を強めていったのが、〇三年に都議会議長に就任した内田氏だった。
「内田氏をはじめ都議会自民党は都政に大きな影響力を持ち、利権を握っていた。国との太いパイプを利用し、そこに手を突っ込んだのが浜渦氏です。対立が決定的になったのが、大手町の再開発案件でした」(同前)

“都議会のドン”誕生の瞬間

 〇四年、地元・千代田区の合意がないまま、大手町の合同庁舎跡地が事実上の随意契約で、三菱地所などに払い下げられる計画が進められていた。
「国の都市再生本部の和泉洋人氏(現・首相補佐官)と連携し、この計画を主導していたのが浜渦氏です。一方、地元業者から陳情を受けていた内田氏は特定企業を優遇していると不満を持っていた。〇四年末、議長室で内田氏は浜渦氏と話し合いましたが、交渉は決裂。内田氏は激怒していました。浜渦氏は後に三菱地所と都が出資する東京交通会館の副社長に天下りします」(同前)
 内田氏は逆襲に出る。
「発端は、都の包括外部監査が東京都社会福祉総合学院の運営に関する問題点を指摘したことでした。内田氏の関与も囁かれ、石原氏は当時『都の利権を一掃したい。けが人がでるかもしれない』と言っていた。この件を民主党都議が予算特別委員会で質問し、浜渦氏は違法性を示唆する答弁を行った」(自民党都議)
 都議会は強い調査権を持つ百条委員会を設置し、学院の運営に対する調査を開始した。
「まず学院運営に問題がないと認定。そして、浜渦氏が民主党都議に質問を依頼したことを『やらせ質問』として、追及する展開になります」(同前)
 この時、百条委の委員長だったのが内田氏最側近の山崎孝明氏(現・江東区長)、筆頭理事が高島直樹氏だった。
「高島氏は『こんなに多くの資料読みきれないよ』と言いながら議会内を走り回っていた。この時汗をかいたことで、内田氏に重用されるようになったのです。

 当初、浜渦氏は『質問をお願いしたことはない』と証言していましたが、内田氏は、自ら百条委で『民主党の政調会長が浜渦副知事からかなりしつこく福祉学院の件で質問するよう言われて困っている』と証言。これで浜渦氏の偽証が決定的になったのです。『内田さんは頼りになる』と、浜渦氏を嫌う都庁官僚らの喝采も浴びました」(同前)

 内田証言から六日後の五月十八日夜、窮地に追い込まれた石原氏は内田氏と密かに会合を持っている。
「売られた喧嘩を買った以上、簡単に拳を収めるわけにはいかない。どうか副知事を辞任させてほしい」
 こう要求する内田氏の言葉に頷くしかなかった石原氏。その後、山崎委員長が内田議長に提出した調査報告書は「浜渦氏が疑惑を捏造した動機として内田氏らの追い落としがあったことがうかがわれる」と結論づけた。
 そして、〇五年七月、浜渦氏は辞任に追い込まれたのである。“都庁のドン”に代わって、“都議会のドン”が誕生した瞬間だった。
 この直後、石原氏と内田氏は手打ちする。
「九月の都連会合で、内田氏は都連幹事長に就任します。これまで国会議員のポストだった幹事長に都議が就くのは初めてでした。この時、都連会長になったのが、石原氏の長男・伸晃氏。史上最年少の都連会長で、党内の反対意見を押し切っての起用だった。この体制は、今年九月まで十一年続くことになるのです。内田氏が老獪なのは、その後浜渦氏とも関係を深めていくことです。先日の内田氏のパーティーでも浜渦氏の姿が目撃されていました」(都連幹部)

「知事の道楽と思えば安い」

 住民の負託を受けた知事と議会が相互のけん制を働かせることで、公正な行政を機能させる二元代表制。そのツートップである都知事と“都議会のドン”が、結託したことで都政のチェック機能は失われたのだ。
「以来、都政の問題は、内田氏の了解なしに進まなくなった。またツートップが握った案件は、無理筋でも進めるしかない。ただ、これは石原氏にとっても都合がよかった。自分の思い入れのある案件だけやって、後は都庁と都議会に丸投げすればいい。パフォーマンスに専念できるわけです。このスタイルは、その後の知事にも踏襲されていったのです」(前出・都庁幹部)
 石原氏が新銀行東京の経営悪化問題で批判の矢面に立たされた時のことだ。
「石原氏は自民党が議会で追及しないよう根回しし、内田氏もそれを了承しました。内田氏は『知事の道楽と思えば安いもんだ』と言っていました」(同前)
 石原氏と内田氏は築地移転問題を巡っても、“癒着”を続けた。〇八年には豊洲の土壌からベンゼンが環境基準の四万三千倍も検出。汚染対策費は一千億円を超える見通しとなった。
「与党公明党までが豊洲移転を白紙に戻すよう石原氏に迫りましたが、自民党は内田氏側近の高島氏が『冷静かつ長期的視点から議論すべき』と質問するだけで汚染問題を検証しようという姿勢を見せなかった。石原氏も『こっちだって困っている』などと当事者意識のない発言を繰り返していました」(別の都庁幹部)
 その後、汚染対策費が一千億円超から五百八十六億円に圧縮できる試算が出ると、石原氏は「予想よりも短期間で、はるかに安い価格でできる目処が付きましてね」などと無責任な発言を重ね、豊洲移転を強引に推し進めていく。
 そんな石原氏にとって誤算だったのは、〇九年の都議選で自民党が惨敗し、移転反対を掲げる民主党が第一党になったことだ。
「一〇年度予算は移転計画の凍結も可能な付帯決議つきの成立で、予定していた一四年度中の豊洲市場開業は大幅に遅れる見込みになった。石原氏は当時、会見で『時間がない。こっちはこっちで行政の都合がある』などと言い放っています。一〇年秋の議会の閉会後には移転反対を掲げる民主党の控室に足を運び、『恥をかくぞ』と恫喝していました」(同前)
 いくら石原氏が移転を掲げようと、議会で予算が成立しなければ、土壌汚染対策工事も進められない。そこでドンが動いた。内田氏は〇九年の都議選で落選していたが、都連幹事長を続投。都議会自民党の控え室には個室も用意されていた。
「その頃、条例を変える重要案件でもないのに、いま渦中の比留間英人元市場長(当時・総務局長)の部下が内田氏の個室に入るのを目にしました。比留間氏に聞くと、『一応お伺いを立てないといけないんです』と言っていた。落選中にもかかわらず、内田氏は都政に睨みを利かせていたのです」(元都議)
 その内田氏が水面下で指揮していたのが、豊洲移転を巡る議会対策である。
「議会局の職員からも情報収集をして、離党しそうな民主都議に接触を図っていた。築地に関する特別委員会の委員長だった民主党の花輪智史都議は高級中華料理店『維新號』に誘われ、内田氏と党内情勢を語り合っていました。その花輪氏が移転賛成に寝返り、ギリギリ一票差で一一年度の移転関連予算が成立したのです。
 翌一二年度の関連予算も民主党の寝返りで成立した。これらの予算には、地下空洞の存在を前提とした土壌汚染対策工事費や実施設計費などが盛り込まれていた。ところが都議会自民党は豊洲移転ありきで、工事の中身まで精査していなかったのです」(都政担当記者)
 そして、豊洲の工事を内田氏が役員を務める親密企業が受注していたことは、小誌既報通りだ。
 内田氏は築地移転について、「市場関係者や都及び都議会などで協議して決めたことです」と答えるのみで、都議会の責任を自覚している様子はうかがえない。
 内田氏の後を受けて、都連幹事長に就任した高島氏はこう語る。
――築地の移転について。
「地下空間については、議会にも報告がなかった。過去の検証をして、当然、頭を下げるべきところがあれば下げ、都民に理解をえられる努力をすることです」
――移転中止もあり得る?
「いや、それは……これからの課題です。今の築地は既存不適格ですから、衛生上の問題、狭隘という課題もあります。築地ブランドは重要だと思いますけど、一〇〇%豊洲にいかないよ、という決断を知事がなさるのか、議会がどう考えるのかはちょっと性急には」
――都議会自民党はチェック機能を果たしていなかったのでは。
「否定はできないと思います。残念なことに、当時、民主党さんが第一党の時だった。私自身も落選中でした。特別委員会の資料や議事録を見ましたが、(空洞が記載された)断面図も何もなかった。知らなかったから責任はない、とは一切言うつもりはない。ただ、言い訳ではなくて、情報は性善説で共有化するものだと思っていました。共有化されなければなす術もないし、忸怩(じくじ)たる思いです」

ドンについて沈黙する石原氏

 石原氏は、自身の責任をどう考えるのか。九月二十六日夕方、石原氏に話を聞いた。小誌記者がまず尋ねたのは、ドンとの関係だ。
「それは調べたらいい、自分で。誤解を被(こうむ)るから言わない。尾ひれがつくから。浜渦には聞いた? あの二人仲良いんだろ」
――内田氏は地元で「ミニ角栄」と言われています。
「角さんに悪いよ(笑)」
――似ていると思うが。
「答えません」
 内田氏に関しては頑なに口を閉ざす石原氏。記者に「目障りだ」と言いながらも、他の質問には少なからず言葉を継いだ。
――豊洲移転は石原氏が知事時代の話だが。
「そりゃ上がってきたら、最後判子を押すだけ。恐怖症のように、私、判子を押すんです。歴代の市場長が何も知らないんでしょ。俺も最後に判子押しただけ」
――知事当選直後に、内田氏らと会合を持ち、その直後に築地を視察している。
「築地はね、とても汚くて、アスベストが多くて、いざとなったら大変だなと聞きましたから。だから移転ということで決まったんでしょ。だから、浜渦が……彼が仮契約したんでしょ」
――浜渦氏との交流は?
「いや、時々電話がかかってくるよ」
――浜渦氏が辞任した際、「泣いて馬謖を斬る」と発言していた。
「浜渦はフライングだよ。なんで百条委員会が開かれたか、調べたらいい」
――やらせ質問をしたと。
「全然違う。調べなさい」
 自宅が近づき「足の力をつけないと」と小走りになって、約四十分間のウォーキングを終えた石原氏。
――浜渦氏は社会福祉学院の件で、内田氏らに追いこまれた。
「社会福祉学院と言ったっけ? 覚えてる。それを聞いた時、驚いて『これ、本当だったらケガ人が出る』と言ったんです。個人の名前を言ったんです。それで百条委員会にかかったんですよ。でも結局、論拠はなかったんでしょ、それ」
 最後はそう言い残して、自宅に消えたのだった。
 小池知事のヒアリングに応じるという石原氏。内田氏との“無責任コンビ”は、説明責任を果たすのか。

「週刊文春」2016年10月6日号


鹿島建設グループの保険代理店・造園工事施工
かたばみ興業(株)(鹿島建設グループ)



 

「『北方領土問題』の落とし所」

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 9月29日(木)07時51分22秒
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「『北方領土問題』の落とし所」

 いやー、安倍晋三首相と十二月に訪日するロシアのプーチン大統領との首脳会談に向けて、オレの長年の見果てぬ夢がいよいよ実現に向けて動き出しそうだぜ。
 プーチン氏が日本に何より期待しているのは、極東シベリアの経済開発に向けた協力よ。中国と長大な国境線を接する地域にもかかわらず、ロシア人の数は減る一方で、中国人がどんどん入り込んできてるからね。
 陸続きなので止められないわけさ。ロシアは、五年間シベリアに居住した者には一ヘクタールの土地を提供するとか、色々な手を打っているけど、焼け石に水だな。ソ連崩壊後だけで見ても、シベリアの人口は八百二十万人から六百万人に落ち込んじゃったしね。
 安倍・プーチン関係は対中国という戦略的なパートナーシップを秘めていて、そのカギがシベリア開発への協力ってわけよ。首相は世耕弘成経済産業相に、新たに対ロシア経済協力担当相の辞令を交付しただろ。
 特定の一つの国だけを対象にして担当相を設けたのは内閣史上、初めてだぜ。世耕氏のカウンターパートになるロシア極東発展省もさっそく動き出してるよ。
 日ロ間で様々な協力プロジェクトが始動してるけど、いよいよ具体化に向けて走り出すのが、シベリア鉄道をユーラシア大陸から北海道までつなぐ夢の構想よ。
 大陸のロシア側から、サハリンに渡る間宮海峡にはまず鉄道と自動車両用の二階建ての橋を架ける。サハリンの南端ユジノサハリンスクと北海道の北端・稚内の間の宗谷海峡にはトンネルをぶち抜くって計画さ。
 オレのインテリジェンスでは、JRグループや国際協力銀行も察知しているはずだけど、日ロ関係者で合意のうえ、プーチン訪日の際に了解覚え書きに署名する方向で調整が進んでるな。
 オレもかれこれ十年近く、この夢の構想の実現を目指して水面下で動いてきたから、男冥利に尽きるぜ。

ポイントは潜在主権

 シベリア鉄道が北海道まで延伸されれば、東は東京駅や上野駅から、西はロンドン、パリ、はたまたマドリードまでだって列車を直通で走らせることが可能になっちゃうんだからね。
 日欧間に陸上で新たな一大物流ルートが開かれるわけよ。最近じゃ、中高年層には世界一周船の旅とかいって、豪華クルーズ船であちこち回るツアーが人気らしいけど、海ってのは下手すりゃ二十四時間、水平線まで延々と同じ景色だろ。
 その点、シベリア鉄道なら、刻々と移り変わる車窓の風景も満喫できるしね。
 だいたいね、江戸時代までは、日本海を行き交う商業交易が実は盛んでさ。新潟なんて今じゃ考えられないくらい栄えていた街だったのよ。それが明治以降は何でもかんでも東京中心、太平洋側に固まっちゃって、日本海側は「裏日本」なんてバカにされてきただろ。
 冗談じゃないよ。オレは「日本海の夜明け前」って呼んでるけどさ。日ロ関係がこれからシベリア開発を軸に、安倍・プーチン両首脳の山口県での「温泉会談」で一気に弾みがつけば、いよいよ本物の夜明けだぜ。
 え? 懸案の北方領土問題はどうするのかって? 首脳間でじっくり話し合い、四島の潜在主権が日本にあることをロシアに認めさせれば、首相には百二十点満点あげていいんじゃないかな。
 プーチン氏は国内に民族紛争や独立運動を抱え、それらに火をつけかねない「領土返還」には神経質よ。安全保障上の理由もあるしね。いつ返還するかはまた別の知恵を絞ればいいだろ。
 シベリア開発はウィンウィンの関係さ。政治家はこんな夢を語って欲しいね。

いいじまいさお 特命担当内閣参与。5年5カ月続いた小泉政権を政務担当首相秘書官として支える。『小泉官邸秘録 総理とは何か』が文春文庫で発売中。

「週刊文春」2016年10月6日号
 

横浜〈点滴殺人〉「内部犯行説」と6人の当直スタッフ

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 9月29日(木)07時49分43秒
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  横浜〈点滴殺人〉「内部犯行説」と6人の当直スタッフ

「私は職員を信じている」
 点滴殺人事件で揺れる横浜市の大口病院。二人目の中毒死が発覚した九月二十六日、内部犯行の可能性を報道陣に問われた高橋洋一院長は、苦悶の表情を浮かべ言葉を絞り出した。

 事件の発端は九月二十日午前四時、四階病室でのことだった。
「当時、当直スタッフは病院全体で六人、そのうち四階の病棟は女性看護師二人が担当していました。そのうち一人が患者の心拍数が低下しているのを発見。医師が救命措置を行なったが、四時五十五分に死亡が確認されました。その後、点滴袋の液体が泡立っていることに看護師が気付いたのです」(県警担当記者)
 司法解剖の結果、死因は中毒死と判明。体内と点滴袋からは消毒液に含まれる界面活性剤の成分が検出された。院内の消毒液が点滴に人為的に混入された可能性が高く、殺人事件へと発展したのだ。
 亡くなった八巻信雄さん(88)は、九月十四日から終末医療が専門の四階病棟に入院していた。
「地元の老人会ではコーラス部に所属し、温厚な人でした。二、三年ほど前に奥さんが他界。ほどなくして息子さんの家に移っていきました。最近は寝たきりの生活であまり外出せず、車椅子に乗っていたようです」(八巻さんの近隣住民)
 さらに、八巻さんの二日前に死亡していた西川惣蔵さん(88)も中毒死だったと判明。八巻さんと西川さんは同室の患者だった。
「十七日午前に三日分の点滴が四階のナースステーションに搬入され、無施錠で保管してあった。ここで異物が混入されたと見られています。四階には常に看護師が二人配置されていましたが、部屋の巡回等でナースステーションが無人の時間帯もあった。異物はチューブの接続部のゴム栓から注射器で混入された可能性が高い。県警は専門知識を持つ内部犯を想定し、看護師らへの事情聴取を続けています」(捜査関係者)
 内部犯行説を裏付けるかのように、四階病棟では、以前から不気味な出来事が頻発していた。
「今年四月に看護師のエプロンが切り裂かれ、六月には入院患者のカルテが紛失。さらに八月には看護師のペットボトルへの異物の混入が起きています」(同前)
 呪われた四階病棟――。こうした一連の出来事は横浜市に通報されていた。
「七月と八月に、実名でのメールが届きました。『病院スタッフが漂白剤の混入した飲料を飲んで唇がただれた』などとあり、九月の定期立ち入り調査で病院側に事実関係を確認しました。その際、口頭での注意のみで留めています」(医療安全課の担当者)
 別の捜査関係者が内情を明かす。
「実は、通報者の妻というのが大口病院に勤務する看護師なのです。彼女がエプロンの切り裂きやペットボトルの異物混入の被害にあっていたようです。男性は妻からの相談を受け、通報に至ったとみられています」
 通報者本人のものと思われるツイッターには〈大口病院側はエプロン切り裂き事件の時に警察に通報していればその後の事件は未然に防げたと私は思います〉と書き込みがある。
 だが、そう単純な話でもないようだ。
「事件発覚当初、一連の騒動と殺人事件は同一犯で、早期に解決すると見られていました。しかしエプロンの切り裂きとペットボトルの異物混入の犯人は、それぞれ別の看護師の名前があがっており、捜査は難航を極めています」(同前)
 病院に対する不信を払拭するためにも、一刻も早い事件の解決が待たれる。


「週刊文春」2016年10月6日号
 

中田(鄭)宏、在日韓国人三世横浜市議より賢く資金稼ぎ!

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 9月26日(月)21時54分39秒
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  中田(鄭)宏、在日韓国人三世横浜市議より賢く資金稼ぎ!
リーブ21の社長通名:岡村勝正氏=本名:盧 勝正氏や
元暴力団構成員の不動産会社社長からもカネ貰う!
反日左翼集団オール沖縄の支援者のホテル・かりゆしにも宿泊!























 

横浜のトライアスロン大会で58歳男性が溺れ死亡

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 9月26日(月)13時28分3秒
  横浜市体育協会の不手際が招いた惨事と言っても過言では無いでしょう。
横浜マリノスとの癒着も酷い体育協会の実態を横浜市役所はきちんと把握すべき。
度々、トライアスロンで参加者が死亡するとは情けない。


横浜のトライアスロン大会で58歳男性が溺れ死亡
TBS系(JNN) 9月26日 2時5分配信

横浜市で行われたトライアスロンの大会で、参加していた58歳の男性が溺れ、死亡しました。

 25日午前10時ごろ、横浜市・八景島で行われたトライアスロンの大会で、水泳競技に参加していた神奈川県横須賀市の58歳の男性が溺れ、病院に運ばれましたが、その後死亡しました。

 横浜市によりますと、男性は400メートルのコースを平泳ぎで泳いでいましたが、スタートからおよそ300メートル地点でライフセーバーが、男性が息継ぎをしていないことに気づいたということです。男性がこの大会に参加したのは初めてで、前日と当日の自己申告による体調チェックでは特に問題はなかったということです。

 警察によりますと、この大会では2011年と2012年にも参加者が溺れて亡くなっています。(25日20:58)
 

加山雄三にゴーストライターがいた! “絶縁妹”元夫が「作詞のギャラを払え」と通告

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 9月24日(土)11時05分11秒
編集済
  加山雄三にゴーストライターがいた!
“絶縁妹”元夫が「作詞のギャラを払え」と通告


“♪アイラブユー、イエス、アイ、ドゥ”。映画『ハワイの若大将』において“若大将”が英語で歌い上げた「Dedicated(恋は紅いバラ)」。加山雄三の人気を不動のものにした名曲をめぐり、海を越えてゴーストライター疑惑が浮上。若大将、本当に“ユー、ドゥ?”

 ここに、留守番電話を録音した一本のテープがある。

〈僕の名前と君の名前では値打ちが違うからね。(報酬が支払われたら)お金を送るように努力するよ。それでいいかい? だから君はこれまでと同じように僕のゴーストライターでいてくれないといけないんだ〉

 実際の音声は英語だが、この声の主は、“若大将”こと加山雄三氏(79)。加山氏が電話をかけたのは、カリフォルニア州に住む米国人作詞家のマイケル・ルノー氏。加山氏の実妹・池端亮子さんの元夫でもある。
 これを聞く限り、加山氏本人がルノー氏が加山氏の“ゴーストライター”であることを認めている。二人の間に、いったい何があったのだろうか。
 事情を知る音楽業界関係者が匿名を条件に二人の“関係”を打ち明ける。
「作曲から作詞、演奏まで全てこなし、またたく間にスター歌手の座に昇り詰めた加山さんですが、六六年から六八年にかけて加山さんが『弾厚作』という作曲家名で発表した曲の英詞の一部を加山さんに代わって手がけていたのが、実はルノーさんなんです」
 二人の出会いは、半世紀以上前に遡る。当時の二人を知る人物はこう語る。
「私がルノーさんと知り合ったのは六六年頃、加山さんとお父様の上原謙さんらが共同経営していた茅ヶ崎の『パシフィックホテル』で開かれたパーティーでした。ルノーさんはハンサムな好青年で、米軍の厚木基地に配属されて来日したと聞きました。後に妹の亮子さんと結婚されましたけど、当時は加山さんととても親しい様子で、パーティーで一緒のところをよく見かけました」
「パシフィックホテル茅ヶ崎」は六五年開業。湘南海岸に聳え立つ白亜のホテルは展望レストラン、ボウリング場を備え、日本初の複合リゾート施設と称された。当時は国内外の芸能人がお忍びで訪れることでも知られ、若者の憧れだった。
「亡くなった俳優の田宮二郎さんも加山さんと仲が良くて、よく出入りしてました。ただある時、『加山雄三という男は素晴らしい男なんだが、ひとつだけ欠点がある。ケチという病にとりつかれているんだ』と漏らしたのが印象的です」(同前)
 若き米兵だったルノー氏がどのような経緯で加山氏と知り合ったかは不明だが、同じく茅ヶ崎にあった加山氏の実家にも出入りを許される関係で、加山家との親密さが窺える。
「結局、亮子さんとルノーさんは、七〇年代に離婚してしまいます。加山さん自身も、亮子さんとは、お金をめぐるトラブルが原因で十数年前に絶縁していて、彼女は以前住んでいた港区内の高級マンションを出て、現在はお子さん二人と困窮されていると聞きます」(同前)
 だが、実妹と絶縁した後も、加山氏とルノー氏との関係は続いていた。
「日本ポップス界きっての大スター」と「ゴーストライター」という形で――。
 半世紀以上も封印されてきた関係が明るみに出るきっかけとなったのは、今年五月、代理人を通じて加山氏の楽曲を管理する渡辺音楽出版などに送られたルノー氏の“通告書”だった。
「そこには、加山氏が六〇年代に発表した十一曲などについて英語作詞を担当したルノーに“当時の業界の標準に沿った”報酬を支払うよう書かれていました」(前出・音楽業界関係者)
 ルノー氏がゴーストライターを務めたと主張するのは、六三年公開の映画『ハワイの若大将』で加山が英語で歌い、同氏のデビュー作と呼ばれることもある名曲「Dedicated(恋は紅いバラ)」、山下達郎がカバーしたことで知られる「ブーメラン・ベイビー」、「マイ・ジプシー・ダンス」など、加山氏の初期の代表作十一曲と、加山氏が一五年に「弾厚作」名義で発表した新曲「I Simple Say」の計十二曲だ。

ルノー氏に自宅で作詞を依頼

「一三年に仙台で行われた野外ロックフェスで、『東北を元気に!』をスローガンに加山さんの下に十三人のミュージシャン有志が集まり、『キングオールスターズ』が結成されました。『I Simple Say』はバンド結成後の一五年に鳴り物入りで発表された加山さんの最新曲です」(芸能記者)
 実はこれに先立つ一五年六月、ルノー氏はフロリダ州マイアミにある加山氏の自宅に招かれ、ある相談を受けたという。
「加山さんは、直後にレコーディングが予定されていた『I Simple Say』の歌詞がないことを打ち明け、ルノー氏に作詞を依頼したのです。ルノー氏は、六〇年代に作った十一曲に対して約束された報酬すら得ていないことを挙げ、難色を示したそうですが、『昔の分と今回の分を合わせて必ず支払う』と押し切られ、作詞に同意したのです」(前出・音楽業界関係者)
 ルノー氏は英詞を提供し、レコーディングは無事に終了。その後、「弾厚作」名で同曲が発表されたのは前述の通りだが、ルノー氏の再三の催促にもかかわらず、約束された報酬が支払われることはなかった。
 すでに米軍を退役し、つましく暮らすルノー氏にとって、日本音楽界の重鎮である加山氏が、わずかな報酬を出し渋り、連絡もままならないという状況は、長年にわたり“沈黙”を守って来た自分に対する二度目の裏切りだった。
 そして昨年十月、ルノー氏の留守番電話に加山氏からメッセージが残される。

〈この前の話はわかってくれたかな? わかって欲しい。僕は長年にわたり作曲家、作詞家として暮らしているんだ。僕のギャラは普通の人の五倍だ。だから君の「I Simple Say」は僕の名前で(著作権)登録してあるんだ〉

 続けて、加山氏は冒頭の通り、ルノー氏に“you must be a ghostwriter of me like before, same(君はこれまでと同じように僕のゴーストライターでいてくれないといけないんだ)”と求めたのである。だが、その後、加山氏サイドからの音信は途絶えたという。
 業を煮やしたルノー氏は、加山氏サイドに録音テープとともに、前述した“通告書”を送付、報酬が支払われなければ、米国と日本の両方で訴訟を起こすべく準備を進めていると告げたのである。
「法律上、六〇年代の作詞に対する報酬を請求することなど出来ないことはわかっているのですが、ルノー氏は義兄だった加山さんに書面での契約など求める立場にありませんでしたし、『悪いようにしない』という加山さんの言葉を信じ、その度に裏切られて来たのです。ルノー氏の代理人が送った通告書には『加山さんの名誉を傷つけることが目的ではない』と明記されています。『I Simple Say』の未払いがなければこのような事態に発展することはなかったでしょう」(前出・音楽業界関係者)
 この件について、小誌がルノー氏の代理人に連絡をとったところ、「既に代理人としての役目は終えており、お話しすることはありません」と回答した。
 加山氏本人に事実関係を質した。
――ルノー氏とはどういう経緯でお知り合いに?
「妹の友達ということで来ましたね」
――その妹さんとは今は絶縁状態?
「絶縁というか、まあ、そうですね。どういった事情って、難しいことですけどね。それは全親戚とうまくいくかっていえば、いかないことも世の中にあることじゃないですか」
――「ぼくの妹に」という曲がありましたので……。
「それは関係ない。あの曲は僕が考えたんじゃないですから。岩谷時子さんが『こういうお兄さんがいたらいいわよね、と思ってくれるような曲にしましょう』とお作りになられた」
――(ルノー氏が主張する)六〇年代の十一曲の英詞は誰が書いたのか?
「私自身が書いたんです。で、それを、英語的な歌詞にするにはね、ポエットと普通にしゃべるのは違うんで、(ルノー氏に英語の表現として)正しいか? 聞いたわけです。それで、“ここはこの方がいいよ”とか修正してもらう立場。だから彼がゴーストライターなんて言葉はどこから出たんですかねと」
――「I Simple Say」はルノー氏の作詞ですね? フロリダで依頼された?
「はい。あの曲だけはね、マイク(ルノー氏)が詞を送って来たんです。(それだけでは)足りないので、その分、僕が英語で足してます。つまり僕の作詞です。レコーディングが進んで(作詞にルノー氏の名前を入れる前に)終わっちゃったんですよ。これだけのことを言って来たのにはびっくり仰天」
――ゴーストライターという言葉は加山さんご自身がはっきり仰っています。
「いいえ、私は一切言っておりません。(電話の表現を伝えると)それはちょっと言い間違ってますね。とっさにそういう表現をすると分かりやすいかなということと、彼を立ててあげようじゃないかと。(その上で)あんたは作詞家として仕事をしているわけじゃないんだと、わかりやすく伝えるにはそれしか方法ないじゃんと思ったわけ」
 だが、ルノー氏側は“通告書”において、それぞれの曲について、ルノー氏が作詞を手掛けたことを証明できる材料があると指摘している。
 加山氏はその後、ルノー氏に支払いをしなかった理由について、「七一年に彼に二万五千ドルを持ち逃げされた」などと語ったが、およそ一時間に及んだインタビューの最後にこう漏らした。
「この事が(マスコミに)出て、ゴーストライターがいたなんて言ったらば、もうそれまでよ……すべてが終わっちゃいますからね」
 ゴーストといつまでも、というわけにはいくまい。

「週刊文春」2016年9月29日号
 

似ているなぁ

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 9月23日(金)09時10分34秒
編集済
  似ているなぁ・・・。同胞か?!
S建設のブローカーとの噂が・・・。



 

石原慎太郎、逗子の別荘を鹿島建設グループに 売却して引き続き賃貸しながら利用中

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 9月23日(金)08時44分29秒
編集済
 


石原慎太郎、逗子の別荘を鹿島建設グループに
売却して引き続き賃貸しながら利用中


鹿島建設グループの保険代理店・造園工事施工
かたばみ興業(株)(鹿島建設グループ)



 

豊洲の「戦犯」石原慎太郎とドン内田

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 9月21日(水)23時59分40秒
編集済
  http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1735642.html


石原裕次郎の手術の執刀医がオウムの林郁夫。これが縁で石原慎は、
オウム真理教への資金提供をはじめる。
そのオウム真理教が宗教法人になれたのも石原慎太郎の圧力だった。
そして、あの凄惨な地下鉄サリン事件がおこる。

つづいて、日本中をワカせた上九一色村での大捜索劇。
その第7サティアンで、石原慎の4男、延啓クンが“救出”される…。
延啓クンは、なんと! オウムの幹部(官房長官副秘書官)だったのだ。
で、麻原の瞑想座の後ろの曼荼羅絵は、画家でもある延啓クンの作。

地下鉄サリン事件の数日後、石原慎太郎は”謎”の議員辞職をした…。
この理由が「オウムとの親密すぎる関係によるもの」であること、さらに、
石原慎の議員辞職が「司法取引」の結果で、石原慎を不問に付したの
が、当時の野中広務国家公安委員長だったことも、みーんなバレバレ。

地下鉄サリン事件は、石原慎の一家にとっては、何が何でも隠蔽して
おきたい事件なのだが、トラウマ(精神的後遺症)になってしまっていて…、
長男の石原伸晃クンが東電福島原発を「サティアン!」と言ってしまった
のも虎馬の暴走だろーな。

トラウマだけなら、まだEー。
「オウムの秘密」。この弱みをネタにされ、ハマコーや米国戦争屋にオド
されてきた石原慎太郎。
「尖閣買収」発言も、「弱み」を握られたからなんだろーが、恐いのは…、
「弱みを握られた男」は何をするか分からない!ということだ。







豊洲の「戦犯」石原慎太郎とドン内田

盛り土問題をきっかけに混迷を深める豊洲新市場問題。誰が、いつ豊洲への移転を決めたのか。なぜ、豊洲でなければならなかったのか。その経緯を検証すると、二人の「戦犯」が浮かび上がる。そして、暗躍した副知事の存在。すべては石原都政時代に始まった――。

 九月十八日夕方、閑静な高級住宅街にある石原慎太郎元都知事(83)の自宅前は、多くのテレビカメラと記者に囲まれていた。玄関に姿を見せるや「あなた方に話をする必要はない。邪魔だ、帰りなさい」と言い残し、足早にウォーキングに出掛けていく石原氏。小誌記者は一人その後を追いかけ、声をかけた。
――なぜ汚染された豊洲の土地を買ったのか。
「何も知らない。あれは福永(正通副知事)から引き継いで浜渦(武生副知事)がやったんでしょ。僕はね、横田(基地)とか、大江戸線とか、尖閣諸島を守ることに必死だったから」
――つまり豊洲は専門ではない?
「まあ、彼は一緒に使命感を持ってやっていたけどね、僕は人から聞いたんだけど、浜渦が胸張って『俺が実質的知事』と言ってた(笑)」
 築地市場の移転先となる豊洲新市場。だが、その主要建物の地下で、都が土壌汚染対策に実施したとしていた「盛り土」がされていなかったことが明るみに出ると、移転を推進してきた石原氏の関与が注目を集めるようになった。
「当初、石原氏は『これは僕、騙されたんですね。手を抜いて、していない仕事をしたことにし、予算措置をした。都の役人は腐敗している』と“被害者”であると説明していた。ところが、二〇〇八年五月の知事会見で建物下にコンクリートの箱を埋める案に言及していたと報じられると、『市場長から(地下空間案の)報告を受けた』と言い出したのです。これに対し、当時の中央卸売市場長の比留間英人氏は『知事から提案がありました』と否定しました」(都庁担当記者)
 二転三転する石原氏の説明。小誌に対しても、石原氏は「比留間君には僕のほうから言ったんだ」と前言を翻してこう続けた。
「比留間から(報告が)上がってきたんじゃない。この話はね、週一回の副知事もいる幹部会で『こういう話もあるよ、やってみたらどうだ』と言ったら、なるほどとなって、その後の記者会見で僕は披露したんだよ。あれ(地下空間案)は、悪いわけじゃない。あそこに本当に二階、三階の駐車場を作って建物を造ったほうが支えになると聞いて、なるほどと思って、比留間君に言ったんだよ。
 その後、ふぁーっと物事が進んでね、後は全く何の報告もない。(特別秘書だった)兵藤(茂)も『あの話の後、不思議なことに何の報告もなかったです』と言っていた。(彼は)克明に時系列でメモしていたみたいだからね」
 そして「足腰弱っちゃうから。野垂れ死ぬのは嫌だから」と言って、一定のリズムで腕を振り、ウォーキングを続けたのだった。
 混迷する豊洲移転問題。もともと移転を巡っては、「築地」ブランドが失われる、豊洲の交通・物流アクセスの悪さ、土壌汚染の危険性などから反対論が根強かった。にもかかわらず、なぜ豊洲だったのか。

大赤字を消すための移転

「一九六〇年代から築地の移転計画はありましたが、反対論が根強く、八六年に築地での再整備が決定しました。一旦工事が始まったものの、二十年という工期の長さや整備費用が問題視され、九六年に工事はストップ。そこで都が移転候補地を調査したところ、東京ガスの工場跡地で広大な土地がある豊洲が浮上したのです」(元都庁幹部)
 九九年四月、石原都知事が誕生すると、豊洲への移転構想が一気に動き出した。その背景にあったのが、都が抱えてきた“ブラックボックス”だ。
「それは、都が推し進めてきた台場、青海、有明などの臨海副都心開発です。豊洲もこの再開発地区に含まれ、駅が開業するなど整備が進められた。しかし、バブル崩壊で開発は失敗に終わり、その特別会計は、累積五千億円超の大赤字を抱えていました。まず、石原氏はこれを黒字の羽田沖埋立事業会計などと統合させ、赤字を見えにくくした。そして、築地市場を豊洲に移転させて、超一等地の市場跡地を民間に高値で売却し、赤字削減と臨海再開発の一挙両得を狙ったのです」(同前)
 だが、移転は簡単ではなかった。土地の所有者である東京ガスとの交渉が難航したのである。
「交渉は当初、福永副知事の担当でしたが、なかなか前に進まなかった。東京ガスは、芝浦工業大を誘致するなど独自に豊洲の再開発計画を立てており、土地の売却を渋っていたのです。また、東京ガスは〇一年一月、環境基準値を大きく上回るベンゼンなどが検出されたと公表した」(同前)
 ただ、石原氏は諦めておらず、交渉担当を浜渦副知事に交代させていた。
「浜渦氏は、石原氏が国会議員時代から公設秘書を務めてきた側近中の側近。庁内で人事権を振り回し、浜渦氏に近い人間が市場長にも就任していました」(当時、知事本部に勤務していた都庁職員)
“実質的知事”を自任していたという浜渦氏に改めて経緯を尋ねると、
「私、(豊洲移転は)タッチしましたよ。担当の副知事がいたけど、話が進まなかったので。ダメだったから私が引き取ったんです」
 浜渦氏は、持ち前の“豪腕”で、渋る東京ガスとの交渉を進めていく。
 二〇〇一年二月二十一日には、浜渦氏は東京ガス副社長と〈覚書〉を交わし、十月を目途に地権者との最終合意を得るとした。
 そして、七月六日には、ついに基本合意に達する。
 これにより、築地市場の豊洲移転は大きく動き出すことになった。

 前出・元都庁幹部の解説。
「もともと防潮護岸の整備費は東京ガスも相当程度負担する予定でした。ところが合意文書では、東京ガスの負担をゼロにするという条件が盛り込まれたのです」
 当時、東京ガス副社長として文書にサインした伊藤春野氏は「十年以上前で全部忘れています」と答えた。
 東京ガスの広報部は、「築地市場は都民をはじめ多くの人々の生活を支える重要な公益施設であることから、基本合意に達しました」と回答した。
 さらに都と東京ガスとの契約では、都の保有地と、工場跡地の五、六、七街区の一部を交換した上で、残りの土地代金を東京ガスなどに支払うことになった。その額は一五年三月現在、千八百五十九億円にのぼる。
 この土地購入を巡って公金支出金返還請求訴訟を起こした水谷和子氏が語る。
「きれいな土地と、汚染された土地を等価で交換していることが、まずおかしいのです。さらに、都は〇六年に約七百二十億円で予定地の一部の約十三ヘクタールを東京ガスなどから購入しましたが、この土地の評価額は、汚染なしの土地とほぼ同じです。その理由として、都の財産価格審議会は『東京ガスが〇六年三月までに掘削除去することになっているため、土壌汚染対策に関わる要因を考慮外とした』と説明していました。ところが、東京ガスは汚染の“封じ込め”をしただけで、すべての汚染の“掘削除去”までは行っていなかった。この事実は、東京ガスが都に提出した汚染処理の報告書にも明記されています」
 豊洲移転の目算をつけた都は、〇七年以降、予定地全体の土壌や地下水の調査を実施した。その結果、ベンゼンが最大で環境基準の四万三千倍、シアンが九百三十倍も検出される。
 都は専門家会議(座長=平田健正和歌山大教授)を設置。同会議は〇八年七月に「敷地全体に盛り土を実施するべき」と提言した。

「石原には全部言っている」

「『新たな土壌汚染対策を徹底的にやる』と言っていた比留間市場長に対し、石原氏は『時間もかかる。カネもかかる。そこまでやることないだろ』と不満を滲ませていた。平田氏にも『いつまでも四角四面のやり方のままだ』と怒ったことがありました。そこで会見でコンクリ箱案を披露するのです。石原氏の頭にあったのは、早く安く市場を豊洲に移転させることだけでした」(元市場部門幹部)

 紆余曲折をへて進んできた豊洲移転が、最大の危機を迎えたのは、二〇〇九年だった。
 七月の都議選で、移転反対を掲げる民主党(当時)が第一党を占めたのだ。都議会で関連予算が成立しなければ、土壌汚染対策工事も進められず、移転はストップする。
 ここで登場したのが、“都議会のドン”こと内田茂氏(77)である。当時の内田氏は、前出の都議選で落選したものの、自民党東京都連幹事長に留任。都議会に部屋と車が用意され、都政に大きな影響力を持っていた。
 そもそも内田氏が“ドン”としての地位を揺るぎないものにしたきっかけは、浜渦氏だった。
「当初、石原氏と内田氏の関係は険悪でした。九九年に初当選した石原氏が挨拶回りをした際、都議会自民党の控え室には誰もいなかった。内田氏の指示で石原氏と対決姿勢を取ったのです」(都連幹部)
 そして〇五年、内田氏主導で都議会に百条委員会が設置され、石原氏の右腕だった浜渦氏はやらせ質問を巡る答弁偽証で副知事辞任に追い込まれる。
「公明党や民主党と太いパイプを持つ内田氏は都議会の意向をバックに、石原氏に『浜渦氏を辞任させるべき』と引導を渡したのです。一方で、内田氏はこの後、伸晃氏を都連会長に担ぎ、石原氏に恩を売ることも忘れませんでした」(同前)
 以降、石原氏は内田氏との関係を深めていく。
「〇八年の新銀行東京問題では、自民党が議会で追及しないよう内田氏側に根回しをしていた。内田氏も国会議員や都庁幹部に対し、『石原には全部言っているからよぉ』と言い放っていました」(同前)
 豊洲移転の最大のピンチに、石原氏はやはりドンを頼った。内田氏は落選中にもかかわらず、民主党との交渉を水面下で指揮する。

次々民主党都議を寝返らせる

「当時、知事与党対野党の勢力図は六十二対六十三で劣勢だった。そこで内田氏は、築地に関する特別委員会の委員長だった民主党の花輪智史都議を寝返らせたのです。東日本大震災当日に行われた移転関連予算案の採決は、一票差で可決しました。内田氏は、世田谷区長選への出馬を狙っていた花輪氏に『石原知事を応援に行かせるから』と約束していた。実際、石原氏は応援に行きました。花輪氏は区長選に落選しますが、その後の就職の世話も内田氏がしていたといいます。後に内田氏は『花輪への義理は果たせた』と言っていました」(民主党都議)
 その後、花輪氏は石原氏率いる日本維新の会から、都議選や衆院選に出馬したが、落選した。今回、小誌の取材に「築地と区長選は絡んでいない。内田氏は関係ない。就職の世話も受けてない」と回答した。
 だが、議会運営はその後も綱渡りだった。一一年七月には〈内田、許さない〉と綴った遺書を残して樺山卓司自民党都議が自殺したのだ。すると内田氏は再び民主党を切り崩した。
「民主党の相川博都議が離党届を出し、再び与党会派が上回ります。翌一二年三月、移転関連予算案は賛成多数で可決された。内田氏は、この相川氏を一五年に都議会自民党幹事長に就任させます。借りを返すことで求心力を高めるのがドンのやり方なのです」(自民党都議)
 相川氏はこう語る。
「佐藤広副知事(当時)が高校の後輩で、内田先生に一度会ってくれないか、と言われて会った。(幹事長は)お断りしたんだけど、義理人情だと思いますよ」
 地方自治は、議会と知事が、相互の牽制と調和によって公正な行政を確保する二元代表制をとる。しかし、知事の石原氏と都議会のドン・内田氏が手を結ぶことで、豊洲移転はチェック・アンド・バランスが働かないまま、今日を迎えたのだ。
 その結果、総事業費は〇九年二月時点の約四千三百億円から約五千九百億円と大幅に膨らんでいる。そうした事業費はどこに流れているのか。
 一一年八月にはまず豊洲新市場の青果棟(五街区)、水産仲卸売場棟(六街区)、水産卸売場棟(七街区)の土壌汚染対策工事という三件の競争入札が実施された。

五街区=鹿島ほか六社JV(落札額=約百十四億円)
六街区=清水建設ほか十社JV(約三百十八億円)
七街区=大成建設ほか五社JV(約八十五億円)

「いずれも九五%前後の落札率でした。この土壌汚染工事を巡っては、都は入札の四日前に談合情報を入手していたことを認めています」(ゼネコン関係者)
 しかもJVの筆頭幹事として落札しつつ、他街区でもJVに加わり、結果、五~七街区全てで工事を落札した社がある。鹿島だ。
 鹿島は一四年二月、豊洲新市場(五街区)の建設工事も、JVの筆頭幹事として落札している。落札率は九九・九六%だった。
「入札直前に都幹部がゼネコン側にヒアリングを行っていたことを朝日新聞がスクープし、官製談合疑惑が取り沙汰されています」(社会部記者)
 実は、鹿島と石原氏には太いパイプがある。鹿島の栗原俊記専務執行役員が石原氏の元公設秘書なのだ。
「栗原氏は鹿島に入社後、すぐに休職して石原氏の秘書になります。石原氏と同じ一橋大学卒で信頼も厚かった。事務所内では総務関係の仕事をしていました。約十五年間秘書として働いた後、鹿島に復帰するのです。それだけブランクがあったにもかかわらず、営業畑であっという間に出世し、いまや専務です。石原都政下では、秋葉原の再開発事業で鹿島に有利にコンペが行われていたと報じられたこともありました」(石原氏の元秘書)
 栗原氏が社用車に乗って帰宅したところを直撃したが、「私の口からお話しすることは何もありませんので」と語るのみだった。
 鹿島は「栗原氏は(土壌汚染対策工事の)担当ではありません」と回答。都財務局も「一般競争入札の手続きにより適正に行われたものです」と回答した。
 豊洲市場工事を巡っては、内田氏の親密企業も受注したことは、小誌既報の通りだ。豊洲新市場の管理施設棟の電気工事を一三年十二月に約三十八億円で落札したのが、東光電気工事が中心のJVである。
「内田氏は落選中の一〇年から東光の監査役を務めています。報酬は年三百五十万円程度。東光には娘婿まで入社させています」(東光元幹部)
 東光は小誌に「個別の営業は(内田氏に)相談していない」と回答している。
 巨額の税金が投入される中、数々の“闇”が付きまとう豊洲への移転。渦中の石原氏は、小池氏に「徹底してやってもらいたい」とエールを送るが、小池氏の心境は複雑だという。
「都知事選の最中には、石原氏が都連の大会で小池氏を『大年増の厚化粧で嘘つき』と罵倒していましたから」(政治部デスク)
 小池氏は都知事選出馬前、小誌の取材に石原氏との因縁をこう明かしていた。
「父が石原さんの後援活動をしていた関係で、猪瀬(直樹)さんが辞めた年末、石原さんから電話がかかってきた。事務所でお会いすると、『知事選に出ないか。必要なカネも出す。お父さんへの恩返しだ』と言われて。ところが、いつの間にか田母神(俊雄)さんを支援していた。私もビックリしましたよ」
 一部では小池氏と浜渦氏の連携も囁かれるが、
「浜渦氏は小池氏の初登庁時に勝手に都庁に姿を見せていました。ただ、小池氏は『浜渦さんは学生時代、我が家に居候していたけど、今は全然関係ない。近いと言われて本当に迷惑している』と言っていた」(小池氏周辺)

石原氏「強く反省しています」

 石原氏は書面での事実関係の確認に対して、改めて次のように回答した。
「(浜渦氏の交渉経緯について)このような重要な案件を任せたことで、浜渦氏が過剰な権限を行使するに至ったのであれば、強く反省しています。質問内容が事実であるなら、当時の知事としての責任を感じています。経緯等は浜渦氏自身に聞いてもらいたい。
(鹿島の土壌汚染工事について)これら複雑な事情に関しては、一切関知しておりません。(内田氏に頭を下げたことなどは)すべて事実と異なります」
 一方、内田氏が取り仕切ってきた自民党都連に対しても小池氏は引き続き対決姿勢を取っている。
「内田氏の地元、千代田区の区長選が来年二月に行われます。現区長の石川雅己氏は内田氏と対立していますが、小池氏は石川氏を推薦する方向。政治塾の立ち上げも、小池氏を支援した地元区議七人に離党勧告を行った都連への牽制球でした」(前出・小池氏周辺)
 その都連は九月十六日の会合で新執行部を決定。内田氏の顔色を窺う都議からは「小池知事から豊洲移転について都議会に何ら報告がない。マスコミに流れている嘘の情報も含めて、議会で問い質していきたい」との声まで上がっていた。
「都職員の虚偽説明を批判する声も聞こえてきますが、安全対策は万全だと強調して、チェック機能を果たしてこなかったのは、内田氏率いる都議会自民党自身です」(前出・デスク)
 この日、正式に幹事長を辞任した内田氏を直撃した。
――週刊文春です。
「(否定的な)いいよ~」
――豊洲移転について。
「知らないよ~。聞いているだけ」
 徹底した情報公開を掲げて“伏魔殿”に斬り込む小池氏。豊洲移転問題をどう決着させるのか。
「小池氏はリオから一日何回も側近に電話し、盛り土問題について指示をしていました。都幹部には全然相談していない。市場担当の中西充副知事はげっそりしています。ただ、当初の想像以上に様々な疑惑が噴出しているのが実情で、落とし所は決まっていません」(前出・小池氏周辺)
 パンドラの箱を開けて見つかったコンクリの箱。都民にとっての希望はどこにあるのだろうか。

「週刊文春」2016年9月29日号
 

日露急接近 一気に動き始めた北方領土返還問題

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 9月21日(水)23時53分35秒
編集済
  日露急接近 一気に動き始めた北方領土返還問題
週刊実話

 日露関係がにわかに熱くなってきた。12月15日には安倍晋三首相の地元・山口県で首脳会談も開催される。露プーチン大統領の来日は実に11年ぶりだ。
 「首相は政権浮揚に拉致問題を利用してきましたが、一向に進展のメドが立たない。そこで視点を北方領土に変えたのです。12月のプーチン来日で5月に提案した経済協力を具体化させ、郷里に場を移してからはプーチンが大好きな温泉やフグ料理でもてなし、一気に“北方4島返還”の言質を引き出すつもりでしょう」(北方領土に詳しいジャーナリスト)

 5月のソチ会談後、日本側から日露関係担当の原田親仁政府代表、ロシア側はアジア担当のイーゴリ・モルグロフ外務次官が出席し、東京で両国外務省による平和条約交渉が行われている。
 「首相は原田代表以外にもロシアに幅広い人脈を持つ上月豊久氏をロシア大使に、第一次安倍内閣で首相秘書官を務めた林肇氏を欧州局長に配置し、また世耕弘成経産相に新設のロシア経済分野協力担当相を兼務させるなど、領土返還をにらんで盤石の体制を敷いている。一方、ロシアも8月、プーチンと同じ旧KGB出身の側近セルゲイ・イワノフ大統領府長官を更迭し、副長官で若いアントン・ワイノ氏を昇格させる人事を断行している。ワイノ氏はロシアきっての知日派です」(国際関係アナリスト)

 日ソ共同宣言から60年。島を侵略され追い出された元居住者の平均年齢も80歳を超え、北方4島返還のチャンスはこれが最後かもしれない。日露間に平和条約が締結されれば返還に向けて大きく動き出すのではないかとの見方もあるが、領土問題はやはりそう単純なものではなさそうだ。
 「首相が強調している『新しいアプローチ』がよく分かりません。ロシア極東地域の開発を中心とする経済協力『8項目』ですが、橋本首相や小渕首相がエリツィン大統領と試みた『共同経済活動委員会設置の合意』とさして変わらず、安倍、プーチンがそれぞれ“先祖返り”したにすぎません。2島返還か、択捉を放棄しての3島返還か、4島返還でなければ応じないのかという基本方針についても、官邸と外務省の間で共通認識ができているのかも不明です」(全国紙外務省担当記者)

 今年2月、当時の北方担当大臣が「歯舞群島(=色丹島を含む)」を「はぼ…何だっけ?」と読めずに話題になった。それほどまでに北方領土は、多くの日本国民にとって忘却のかなたにある。それを多少なりとも思い起こさせたのが2006年。当時の麻生太郎外相が、4島全体の面積を2等分する境界線を両国の国境とする新たな解決案を示したのだ。
 「日本政府の主張する4島返還論や日ソ共同宣言に基づく2島先行返還論とは全く違う発想でした。最大の択捉島(全体の64%の面積)の25%を残り3島に合算すると、ちょうど50:50の比率になるという“引き分け論”です」(前出・ジャーナリスト)

 2番目に大きい国後島の広さは約1490平方キロメートルで、同島1島で沖縄本島(約1207平方キロメートル)より大きい。つまり麻生試案での返還であれば、沖縄県二つ分の領土が返ってくることになる。そうは言ってもこれは希望的観測にすぎない。戦後70年が経ち、択捉、国後両島の風景は今や完全にロシアそのものだ。
 「ロシアは択捉と国後を『特別発展地域』に指定しインフラ整備も着々と進めていますが、さらに昨年、この2島で計392の軍事関連施設の建設に着手。3500人規模の部隊を駐留させ、新たな駐屯地の建設も行っています。返還される可能性の高い歯舞と色丹2島は、陸地面積では北方領土全体の約7%にすぎず、特に歯舞は無人島のようなもの。色丹にはすでに中国資本が進出し、北朝鮮やベトナムからも労働者が流入しています」(同)

 9月9日、北朝鮮が5回目の核実験を行った。いよいよ本気で第2次朝鮮戦争の準備に入っていることが明らかになった。そして、その盟友中国も、ロシアと並んで日本の脅威であることは言うまでもない。
 「かつてロシア国営の国際放送『ロシアの声』が『反日統一共同戦線を呼び掛ける中国』という内容を報じたことがある。《日本との間に領土問題を抱える中国(尖閣諸島)は、ロシア(北方4島)と韓国(竹島)と共同戦線を組み、日本の指導部に第2次世界大戦の結果を認めさせ、近隣諸国への領土要求を退けさせよう》という内容です」(軍事アナリスト)

 韓国の抱き込み成功まであと一息の中国だったが、韓国国内の経済の低迷や北朝鮮の不穏な動きにより“野望”は遠のきつつある。
 「アメリカの著名な軍事戦略研究家・エドワード・ルトワックが自身の著書で、日本にとってのロシアの重要性について触れています。要は『日本はシベリア開発に中国を押しのけて入り込み、中露を分断させろ』と説いているのです。北方領土返還が第一であるにしても、日本が最重要視すべきポイントは“中国の戦略を無力化させること”に全力を注ぐべき。そうすれば北朝鮮だって中露の後ろ盾を失うのです」(同)

 日韓関係については、ようやく“過去”を乗り越えて課題に取り組もうとの機運が生まれつつある。その上でロシアとの関係改善を果たせば、中朝の無力化、やがては北方領土返還の道筋が本当に見えてくるのかもしれない。
 

高畑裕太(23)「強姦」全真相 慰謝料は1500万円!

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 9月21日(水)06時49分42秒
編集済
  高畑裕太(23)「強姦」全真相 慰謝料は1500万円!

「てめーふざけんなよ! 何してくれるんだ! 高畑はこれから売り出し中で大事な時期だろ。ふざけんなよ! 情報が出たら大変なことになるよ」
 白のTシャツに白い短パン姿の小太りの男は姿を見せるやドスを利かせた声で凄んだ。男のTシャツの胸元からは黒光りする入れ墨が見え隠れしている。
 八月二十三日の早朝四時頃、群馬県前橋市のビジネスホテルのロビーは騒然とした空気に包まれていた。一一〇番通報を受け、捜査員が二十人ほど狭いフロアを慌しく行き交う。
「強姦致傷だと示談で五百万円はかかるぞ。(被害者は)これから働けなくなるし、精神的なダメージもある。わかってんのか! これが世に出たら本人も映画も大変なことになるだろ。とにかく母親の高畑淳子を今から呼べ!」
 小太りの男は警察官の存在を気にすることもなく、映画スタッフらしき男性に詰め寄り、大声で怒鳴り上げる。そのあまりの剣幕に、傍らにいた茶髪の長身女性が「お願いだからやめて!」と間に入った――。
 俳優・高畑裕太が強姦致傷容疑で逮捕された事件。発生当初から容疑を認めたという報道が相次いだが、結局、十七日後の九月九日、不起訴という結末を迎えた。
 だが通報した知人男性の存在をはじめ、示談の理由、釈放後の高畑サイドが公開した声明文など、未だ数多くの疑問が残っている。
 本誌は改めて群馬県警、前橋地検、ホテルなどに徹底取材を敢行。関係者の証言に加え、捜査資料を元に、事件の全容を再現する。





事件前夜の二十二日、撮影を一足早く終えた高畑はひとりで近くのサウナに行き、二十時半頃、映画のスタッフとホテルのロビーで合流した。
 このとき高畑はフロントに立っていた二人の女性従業員に声をかけた。
「この近くで食事ができる、いいお店はないですか」
 そのうちの一人、黒いTシャツにジーパンをはき、エプロンをしていた茶髪の長身女性こそが、事件の被害者である吉田恵子さん(44・仮名)だった。
 他の従業員が制服を着用するなか、ラフな格好にくわえ、スレンダーな美人でもあり、ひときわ目立っていたという。

「これから部屋に来ませんか」

 その第一印象を高畑は、県警の取調べに次のように供述している。
〈身長は百六十五cmくらいで体格は細身だったと思います。髪形は茶髪を後ろでひとつにまとめていました。化粧もしっかりされて、他の従業員は黒髪で地味な方が多かったので印象に残っています〉(以下、〈 〉内は高畑の供述、捜査資料から構成する)
 過去に、吉田さんは、ファッション誌の読者モデルを務めたこともある。一部で報じられた橋本マナミ似というより、タレントのあびる優に雰囲気は近い。
 フロントで吉田さんから周辺地図を受け取った高畑は、スタッフらと共に前橋の街に食事に出かける。
 二十一時過ぎ、まず一軒目の「I」という居酒屋に入店。共演者、監督、衣装スタッフら三名と飲食を始め、その後二人が合流。高畑は生ビール中ジョッキ二杯、ハイボールを中グラスで四杯空けた。そして二万二千六百九十円の会計のうち一万円を支払っている。

 その後、一行は「Y」というショットバーに流れる。すでに酔いが回っていた高畑は「頃合いを見て帰ろう」と思っていたそうだが、正反対の行動に出る。カクテルのカミカゼを一杯、サイドカーを二杯、XYZ一杯を次々に飲み干すのだ。

 周囲のスタッフらも酔うなかでひとりのスタッフが転倒。そのスタッフを介抱した高畑は、「送ろうか」と声をかけた。しかしスタッフは「大丈夫、一人で帰れます」とタクシーに乗り込んでいった。高畑はバーのテーブルから台本ケースを取り出し、一人ホテルに向かった。
 深夜一時四十分を回った頃、ホテルに到着した高畑は、フロントの吉田さんに声をかけた。
「四〇五号室の高畑ですが、鍵が欲しいのですが」
「かしこまりました。居酒屋さんは見つかりました?」
「あー、見つかりました。『I』という居酒屋と『Y』というバーに行きました。でも酔っ払いました」
「そうですね。だいぶ酔っていますね」
 吉田さんは笑顔で会話を続けた。
「明日も撮影なんですか」
「朝早いんですよ」
「大変ですね。群馬にはいつまでいるんですか」
「明日には帰ります」
「そうですか、それは残念ですね」
 この時の心中について、後に高畑は〈吉田さんの優しく友好的な接し方と、お酒を飲んでいることもあって高揚してしまった〉と語っている。そして、〈暗にセックスをしませんかという意味合い〉を込め、こう切り出すのだ。
「ねー、残念ですね。これから部屋に来ませんか」
 この突拍子もない一言が、高畑の運命を大きく狂わせることになる。
 吉田さんは高畑の問いかけに「えっ!」と驚いた表情を見せ、やんわり諫めた。
「仕事中だから行けませんよ。部屋に行って何をするんですか。早く寝たほうがいいですよ」
〈僕は彼女の困惑したような態度を見て、『押せば部屋に来てくれる』と思い、何か理由をつけて彼女を部屋に誘おうと思いました〉
 そんな高畑の目に入ったのは宿泊客用のタオルやマクラ、歯ブラシなどが陳列されているアメニティグッズの棚だった。
「あそこにある歯ブラシを部屋に持ってきてください。五分後に四〇五号室に来て下さい」
 即興で思いついた誘い文句を口にし、エレベーターに乗り込んだ。
 だが吉田さんは高畑の誘いには乗らなかった。自室に戻った高畑は、ベッドに横たわり、思いを巡らせた。
〈もしかしたら彼女は部屋に来ないかもしれないし、このままだと寝てしまうと思いました。勤務中のホテルの従業員を口説けるチャンスを逃したくなかったので、もう一度フロントに向かいました〉
 部屋を飛び出し、エレベーターでフロントのある二階へ。エレベーターのドアが開くと、ドアを手で押さえたまま、フロントの吉田さんに声をかけた。
「歯ブラシ、持ってきてくれないんですか」
「また来た」と呆れた表情の吉田さんは、こう応えた。
「自分で持っていけばいいじゃないですか」
 意地になっていた高畑は叫んだ。
「歯ブラシが欲しいんじゃなくて、部屋に来て欲しいんです!」
 粘りに根負けしたのか、吉田さんはフロントを出た。
 アメニティの棚から歯ブラシを取る吉田さんの姿を見た高畑は、〈誘いに乗ってくれた〉と喜び、エレベーターの中に入り彼女が来るのを待った。
 無人となったフロントには「部屋に行ってきます」というメモが残されていた。
 そして二人を乗せたエレベーターのドアが閉まるや否や、高畑は吉田さんに唇を押し付けた。
〈一瞬、僕の両肩を抑えたり、口をつぐむなどはありましたが、すぐに舌が絡まり合う感触を感じました。激しい抵抗感を感じなかったので、僕はいけるみたいなことを思いました〉
 これまで高畑が部屋からフロントに電話をし、「歯ブラシを持って来てくれ」と吉田さんを呼び出したと報じられたが、事実ではない。県警の取調べに吉田さん自身も、高畑がフロントまで迎えに来たことを認めているという。

ズボンだけを脱がせた

 この夜、四階は映画の撮影スタッフで貸切っていた。高畑の部屋は角部屋ではなく、両隣の部屋にもスタッフが宿泊していた。
〈エレベーターが四階に着く直前、彼女から離れました。二人でいるのを見つかると『明日仕事なのに何をやっているんだ』と呆れられそうだったので、エレベーターを出ると先に自分の部屋へ戻りました〉
 吉田さんも後から高畑を追いかけて部屋に入った。
〈彼女は閉まりそうなドアを手で開けて、部屋に入ってきました。部屋の電気は点けていなかったので薄暗かった。隣の部屋に関係者がいるかもしれないから、あまり大きな音を立てないようにしなければと思いました。僕は彼女の左手を右手で掴み抱き寄せて、ベッドに押し倒しました〉
 部屋での行為について、高畑と吉田さんの主張は真っ向から対立している。
 吉田さんは「高畑は手足を押さえつける等の暴行を加え、『黙れ、言うことを聞け』と脅迫された。さらには『警察に言うなよ』と口止めもされた」と主張。こうした主張が強姦致傷容疑での逮捕に繋がっている。
 一方で高畑は次のように取調べに語っている。
〈少なくとも女性が泣き叫び助けを呼ぶような事はありませんでした。押さえつけたり、脅迫もしていない。ベッドに倒れ込んだとき、頬に手を当てられ、『生理中だからダメ』と言われたが、拒否している感じではないと思いました。彼女は決して受身ばかりだったわけでもないし、逃げようと思えば逃げられたはずです。
 また彼女は右手の手首や親指を打撲したと主張していますが、行為の最中に、彼女が右手を動かしていたことをはっきりと覚えていますし、少し疑問です〉
 吉田さんはジーパンにTシャツ姿だったが、高畑は彼女のズボンだけを脱がせ、性行為に及び、避妊もしていなかった。
〈彼女の上半身の服を脱がそうとしたが、『仕事中だから』と拒否されました。自分は服を脱いで全裸になって仰向けになりました。
 なかなか射精ができませんでしたが、行為が終わると彼女はズボンを上げてすぐに部屋を出て行きました。自分は頭がフラフラしていたので、目覚ましをかけて全裸で寝ました。
 彼女とは行為の最中に『四十四歳、旦那と子供もいる』という会話もしています。三十代だと思っていたので、年齢を聞いて驚いたのを覚えています〉
 群馬県警の捜査によると、吉田さんは午前二時頃から約三十分間部屋にいたと見られている。
「自白調書を作成するときに、高畑は、捜査員から『相手が嫌だといったらそれは強姦なんだよ』と言われ、素直に『そうだったらすいませんでした』と容疑を認めていました。『欲望を抑えられなかったのか』という問いにも『はい』と答えている。ところが取調べを進めていくと、彼は『合意』を主張し始めた。捜査員からは『それだと(強姦容疑の)否認じゃないか。本当に反省しているのか』と厳しく問い詰められています」(群馬県警関係者)
 そして何よりこの事件を複雑な状況にしたのが、吉田さんの“彼氏”というX氏の存在だ。
 吉田さんが高畑の部屋を出た約一時間後の午前三時三十分、知人男性から「女性がレイプされた」という一一〇番通報が入る。この知人男性X氏こそが冒頭の男だ。事件直後、吉田さんは他の従業員などに自分の彼氏だと説明している。

「夢じゃないですよね」

 通報から十数分後、ホテルのロビーでは、吉田さんとホテル従業員が映画スタッフを呼び出し、話し合いを行なっていた。
「ロビーに駆けつけた映画スタッフに向かって、吉田さんは『こんな大事になってしまってすいません。彼氏に話をしたら怒ってしまって』と謝っていたそうです。ところがX氏がホテルに乗り込んできてから空気が一変した。当初は映画関係者に詰め寄るX氏をなだめていたのですが、結局吉田さんは、X氏の指示で診断書を取るために病院へ行き、強姦致傷で高畑を訴えるという方向へ話が進んで行ったのです」(前出・県警関係者)
 姿を見せるや否や、「強姦致傷だと五百万はかかるぞ」と映画スタッフの前で息巻いたX氏とは一体何者なのか。一部報道で六十代の暴力団関係者と書かれていたが、それは別人である。
 ある捜査関係者が明かす。
「現在四十四歳のX氏は、東京に本部を構える暴力団に所属していた元組長です。これまで強盗や拉致監禁容疑で二度の逮捕歴があります」
 そして午前五時すぎ、階下の大騒動を知らず、全裸で寝ていた高畑の部屋を捜査員が訪れる。
 数回ノックしても反応がないため、スタッフらが携帯電話を鳴らすと、前日と同じTシャツを着た高畑が姿を見せた。
「わかっているよな」と捜査員が任意同行を求めると、事態を飲み込めない高畑は「これって本当ですか。夢じゃないですよね。嘘じゃないですよね」と激しく動揺を見せたという。
 高畑が警察に拘束されたことを知ると、X氏はますます強気な態度に出た。
「当時、高畑が所属していたプロダクションの社長、映画の責任者が前橋署の控え室でX氏に対して謝罪したそうです。捜査員が聞いたところによると、このとき二人は土下座をしたというのです」(前出・捜査関係者)
 二十三日、午後一時四十分に高畑は強姦致傷容疑で逮捕される。
 高畑の取調べが続く一方で、吉田さんサイドを仕切っていたX氏と高畑サイドの間では示談を巡る金銭交渉が続いていたようだ。そのなかでX氏は次のように語ったという。
「俺の友達が三人でレイプ事件を起こしたときは、計一千万円かかった。今回も同じくらいかかるよ。高畑の俳優人生を買い取るつもりで考えてくれ。示談すれば刑期が短くなるのだから、その分を買うつもりでやってくれ。今後、彼女は働けなくなるのでその分も補償が必要だ。慰謝料も加味すべきだし、心身のケアも必要だからな」
 示談金の額は当初X氏が口にした「五百万」から瞬く間に跳ね上がっていった。
 地検関係者が続ける。
「群馬県警は、高畑が当初容疑を認めたことで強姦致傷の起訴に自信を持っていた。しかし地検サイドは慎重でした。最終的に吉田さんの弁護士が三千万円以上を要求したという情報が入っていましたから。いつか示談交渉が折り合うだろうとみていたのです」
 X氏に代わって吉田さんの代理人を務めることになったのが都内の法律事務所Cだった。高畑の代理人には数多くの有名事件を手がける弘中惇一郎氏率いる「法律事務所ヒロナカ」が就いた。地検は示談を受ける形で九月九日に高畑を不起訴処分にした。
「このたびはッ! 皆様に多大なるご迷惑をおかけしてしまい……本当に申し訳ありませんでしたァ!」
 釈放された高畑は、勾留されていた前橋署の正面玄関でこう絶叫すると、頭を下げた。

X氏を直撃すると――

「謝罪するときに大声で怒鳴って、報道陣を睨み付ける視線を送っていたことに対して、『反省していないのではないか』と大きな反響がありました。実際は、勾留されていたため、自分が置かれた状況を把握できず、いきなり大勢のマスコミに囲まれ、極度に緊張していただけだと思います」(別の群馬県警関係者)
 示談にはなったものの、高畑、吉田さん双方の言い分はかけ離れている。吉田さんは「暴行、脅迫された」と強姦致傷を訴えている。一方の高畑は弁護士の声明文でも「合意があるものと思っていた可能性が高く」「違法性の顕著な悪質な事件ではなかった」などと主張。仮に和姦の認識に対する誤解があったとしても、嫌がる女性を強姦するといった“故意の犯罪性”はなかったとしている。仮に起訴されたり、民事裁判となっても、双方の主張は平行線を辿っていただろう。
 一方で事件解決のネックとなっていたのがX氏の存在だった。
「群馬県警は高畑サイドにも『相手は元ヤクザだから気をつけてくれ』とアドバイスをしていたそうです。強姦致傷事件の不起訴には示談が必須条件ではありませんが、今回は、示談なら不起訴も止むを得ないという判断が下りました。高畑サイドが支払った示談金は一千五百万円と聞いています。示談金としては破格といえるでしょう」(前出・地検関係者)

 吉田さんの自宅を訪ねた。自宅は前橋市内から電車で一時間半ほどの遠距離にあった。インターホンでは男性が吉田さんの不在を告げ、次のように話した。
「前橋の件ですか。なんか本人は全然関係ないと言っています。事件を知らないと言っていました。彼女は仕事に出ており、今日は戻らないと思う」
 X氏の自宅も訪ね、ドア越しに話を聞いた。
――Xさんが示談の場に出て来ていたと聞きました。
「はあ。ちょっと全然違うんで。話が錯綜していて」
――吉田さんをご存知ですか?
「認識がない。私は暴力団員でもないし、(普通に)生活しているもんで困るんですよ」
――当事者ではない?
「そうですね(笑)」
 吉田さんの代理人を務めるC弁護士事務所にも、事件の経緯、X氏の経歴について取材を申し込んだが、期日までに回答はなかった。
 高畑の代理人を務める法律事務所ヒロナカはこう回答した。
「事件についてはFAXで発表した通りです。これ以上、取材等にお答えすることはありません」
 吉田さんと高畑の間では示談が成立し、事件は一応の決着を見た。司法的には不起訴となった高畑だが、社会的に大きな制裁を受けることは間違いない。
「このままでは芸能界への復帰は絶望的ですし、映画、CMなどの損害賠償問題も山積しています。勾留時に接見した知人の前で、『事務所や家族に迷惑をかけてしまった』とぼろぼろ涙を流していた。現在も茫然自失の状態が続き、埼玉県の心療専門病院に入院しているそうです」(高畑の知人)
 だが高畑の身勝手な欲望により、吉田さんは、彼以上の肉体的、精神的苦痛を感じているはずだ。
 事件が残した傷跡は今なお深い――。

「週刊文春」2016年9月29日号
 

“ジャニーズの女帝”メリー副社長の正体 ファンクラブ“錬金術”と娘への“王位継承”

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 9月21日(水)06時42分13秒
編集済
  “ジャニーズの女帝”メリー副社長の正体 ファンクラブ
“錬金術”と娘への“王位継承”


「事務所への感謝は当たり前。わからなかったらアホ」。秘蔵っ子・滝沢はまるでメリー氏のように言った。だがSMAPのファンが“不幸の手紙”一枚で斬り捨てられたことに、多くの“ファミリー”が悲しんでいる。世代交代で果たしてジャニーズ事務所はどうなるのか。

「僕は(SMAPのことは)知らないし、直接話す機会もない。何も分からない分際で答える資格もないですよ。大体派閥って何? 何をもって派閥というの?」
 九月十五日の午前三時過ぎ。東京・銀座の会員制バーから出てきた滝沢秀明(34)は、小誌の直撃取材に、ときに声を荒らげながら一時間近くにわたって答えた。
「うちの滝沢」
 昨年一月、小誌がメリー喜多川副社長(89)にインタビューした際、メリー氏は彼のことをこう呼び、その寵愛ぶりをのぞかせた。一方でメリー氏は「飯島のSMAP」と表現した上で、かつて元チーフマネジャーの飯島三智氏が、SMAPの番組から滝沢を降ろした疑惑を記者の前で指摘した。滝沢はそのインタビューを覚えていた。
「あれ、貴方が書いたの? 飯島さんは辞めましたから。もう終わったこと。派閥があろうが無かろうが、関係ないですよ。うちのタレントは事務所に守られているけど、それぞれ自分の仕事は自分で決めてますから。(事務所には)ただ恩返しをしているだけです。僕だけでなく、ジャニーズは全員そう。ただの少年が百八十度人生を変えてもらったわけですから、感謝するのは当り前。それをわからなかったらアホでしょう」
――次の社長には娘のジュリー氏(藤島ジュリー景子副社長・50)が就くそうです。
「僕らじゃなくて会社が決めることだから」
 雄弁で熱い語り口はメリー氏を髣髴とさせる。取材を終え、礼を言って立ち去ろうとする記者に向かって、滝沢は話し続けた。
「僕らの仕事は、ただキャーキャー言われてるだけじゃないんです。自分の後ろにはスタッフとかたくさんの方がいて、その人たちの生活もかかっている。文春さんは好き勝手に書くけど俺らの人生、そんなに軽くないですから!」
 滝沢が説いたのは、まるで女帝・メリー氏の受け売りのような、ジャニーズ事務所の組織論と、タレントたちの不変の忠誠心だった。
 たしかにジャニーズ内部には喜多川一族を「ロイヤルファミリー」と呼び、まるで王室のように敬う気風がある。それが証拠に、本社の内線電話表には「メリー様」「ジュリー様」と二人だけには敬称が付記されている。だがメリー氏が五十年超に渡って牛耳ってきた絶対的なヒエラルキーは、いま内外から大きく軋み始めている。
「三年前、メリー氏が目をかけていた関連会社の社長が辞任。さらに今年二月には長年メリー氏の秘書を務め、ファンクラブ管理部門のトップだった幹部も退社しました。一方で、ジュリー氏が信頼を置く若い“渋谷組”のスタッフが本社の中枢に登用されています」(芸能関係者)
“渋谷組”とは、ジュリー氏が二〇〇一年に立ち上げ、代表取締役社長に就いたジェイ・ストームの拠点がある渋谷に由来する。同社は、主に嵐のCDを製作する会社として発足した。
「早ければ来年にもジュリー副社長が社長に就任し、新体制がスタートする見込みです」(同前)
 そもそもジャニーズ事務所は一九六二年、ジャニー氏が初代ジャニーズ結成とともに始めた小規模な芸能事務所だった。それが一代にしてここまで栄華を極めた。その理由は明確だ。売れっ子の素質を見抜くジャニー氏の「目利き」と経営面を担うメリー氏の「商才」。姉弟の両輪ががっちりと噛み合ってきたからに他ならない。

後援会長を社員に抜擢

「以前、試しに総資産を計算してみたところ、三人合わせて一千億円を超えていた。もっとも彼らは自分たちに貯金がいくらあるかなんて考えたこともないでしょう。特にジャニーさんはお金にはまるで執着がなく、車もほとんどメリー氏のお下がりです」(ジャニーズ事務所関係者)
 最後に公示された二〇〇四年度の納税額は、ジャニー氏が三億三千百二十六万円(推定所得約九億円)、メリー氏もほぼ同額で、ジュリー副社長は二億四千万円(同約六億五千万円)。三人の年収は合計で二十五億円近くに上る。その後、嵐がブレイクしたことを勘案すれば、収入はさらに増大しているだろう。
 黄金時代を築いたジャニーズ事務所の“金脈”は、メリー氏が開拓した「ファンクラブ・ビジネス」にある。芸能プロはタレントを売り出すためにドラマやCMなどテレビ出演に頼るが、ジャニーズはファンを直接取り込み、ファンクラブを通じて興行チケットを売り捌く。テレビに頼らないビジネスモデルなのである。
 メリー氏は黎明期から図抜けた才能を発揮した。
「最初は『ジャニーズ後援会』というファンクラブを立ち上げて全国的組織として運営していた。各地のファンの自宅を支部にして、支部長に売り上げを競わせる。優秀なスタッフを幹部に起用したのもメリーさん。ファンの心理はファンが一番よく分かっているからです。フォーリーブスの後援会長は事務所の社員に抜擢され、後に本社の重役にまで出世しました」(芸能記者)
 フォーリーブスと郷ひろみが人気を博した七〇年代、後援会の会員数は約三万五千人(「週刊平凡」一九七三年四月五日号)。当時の芸能界においても最大級の規模だった。
「現在、正確な数字は公にされていませんが、通し番号から推定される会員数は、トップの嵐がのべ人数で約二百万人。二番手のSMAPが約百万人。他のタレントも合わせれば、六百万人近い会員を擁している計算になる。四十年間で百倍以上です」(同前)
 現在では少年隊からジャニーズWESTまで十五のグループにファンクラブが存在し(SMAPを除く)、全体は「ファミリークラブ」と総称される。どこのグループも入会金は千円、年会費は四千円。ひと口あたりは高くはないが、仮に会員数を六百万人とすると、年会費だけで約二百四十億円の売り上げとなる。
 入会すると、コンサートチケットの優先的な申し込みや会報の発行などの特典が受けられる。そこに会員数膨張のカラクリがある。
 ジャニーズJr.の熱狂的な女性ファンが語る。
「お目当てのJr.は様々な主役級のタレントのバックダンサーとして出演します。だから複数の主役級のファンクラブに入るのです。私は好きなJr.の舞台を観るために、特に好きでもない嵐やKinKi Kidsのファンクラブに加入しています。十口入っているファンなんてザラですよ」
 特徴的なのは、昔ながらの申し込み方法。入会希望者は、タレントごとに決められた郵便局の振込口座に郵便振替で入金する。手続きが済むと、会員証が手元に郵送で届く。
 ジャニーズ関係者の証言。
「メリーさんは古き良きアナログな感覚を今も大事にしているんです。ネットじゃない分、タレントと直接繋がるという感覚がある。
 昔はブロマイド(生写真)が売り上げの大きな比率を占めていました。ジャニーズのタレントは、本や雑誌の表紙などでも、インターネットではくり抜くようにトリミングさせる。メリーさんは『ネットで一枚売れても九枚は盗まれる。タダで配ってるのと同じ』だと、よく言っていました」
 意外なことに、グッズを扱う「ジャニーズショップ」は全国に原宿、大阪、名古屋、福岡の四店舗しか展開していない。
 以前、ジャニーズ事務所顧問の小杉理宇造氏は小誌の取材にこう話した。
「メリーさんは『やっぱり若い子にそんなにお小遣いを使わせちゃいけない』と言う。ジャニーズショップは販売店ではなく、コミュニケーションプレイスだという発想なんですね。そこへ行くだけでウキウキワクワクする、そういう場所。『北海道の子たちは東京に修学旅行にくる、その一生に一度、買えばいいじゃない』という考え方なんです」
 だが、それがかえってファンの飢餓感を煽り、各地のショップにはファンが行列を作っている。
 飯島氏は、ジャニーズにもeコマース(電子商取引)を取り入れようとしていたが、ことごとくメリー氏に却下されたという。
「『利益優先ではなく、まずファンを大事にする』というメリーさんならではのフィロソフィー(哲学)なんです」(同前)

ジュリー氏のプライド

 そんなメリー氏を間近で見てきたのが、一人娘のジュリー氏だった。インタビューでメリー氏も明かしていたが、複数の外国語習得から海外での舞台視察まで、それは“帝王教育”とも言うべきものだった。しかし、血は繋がっていても、叩き上げの初代と温室育ちの二代目では、自ずとフィロソフィーは異なる。
 ジャニー氏と仕事上で親交のあった元編集者で、作家の小菅宏氏が語る。
「ジャニー氏に後継者について尋ねたことがあるが、いつも曖昧にされた。誰かの名前を挙げたことはなく、そもそも興味すらないようだった。ジャニーズはジャニー氏の夢を実現させるための世界。私見ですが、ジュリー氏はあくまでも経営の後継者。ジャニーズに真の意味での後継者はいないように思います」
 ジュリー氏は学生時代から現場に顔を出し始めたという。叔父のジャニー氏と同じ、上智大学を卒業後、フジテレビに入社する。
「秘書室に配属されて約一年勤務しました。メリーさんにジャニーズで働かせないのかと聞いたら、『あの子は興味ないから無理よ』と突き放すように言っていた」(フジ関係者)
 それでもメリー氏の手伝いから始め、少年隊のスタイリストなどを担当するうちに稼業の楽しさに目覚めていった。初めてプロデュースしたのがTOKIO。
 ジュリー氏の知人が言う。
「ただ人に頼みごとをするのが苦手で口では言えないから、いつも手紙に書いてスタッフの机に置いていました。プライドが高くて人に頭を下げるのが嫌い。よく言えば上品で冷静。人に声を荒らげることもない」
 九七年にはレコード会社ジャニーズ・エンタテイメントを設立し、三十歳の若さで代表取締役に就いたあと、ジャニーズ事務所の役員に就任。さらに〇一年には、嵐のプライベートレーベルとしてジェイ・ストームを設立した。そして〇五年、渋谷区に推定二十五億円で地上五階地下二階のジェイ・ストームの自社ビルを購入する。
「向かい側に閉店したラブホテルが放置されているのを嫌がったジュリーさんは、景観が悪いという理由だけで土地を買い駐車場にした。売りに出せば五億円から七億円の評価額がつく物件です。さらに近隣の古い物件もキャッシュでいくつか買っています。彼女は購入価格に糸目をつけない」(別の事務所関係者)
“王位継承”は順風満帆で何の問題も見当たらなかった。たった一人の例外を除けば――。
「ジュリーさんは自分以外の特別扱いが嫌なんです。飛ぶ鳥を落とす勢いのSMAPが幅を利かせ、飯島さんが社内を闊歩するのが気に食わなかった。『タレントは平等にすべきだ』と。二人は現場で顔を合わせることもなく、お互いに陰で『なんなのあのファッション!』などと、悪口を言い合っていた」(飯島氏の知人)
 母親であるメリー氏でさえ、もともと飯島氏の手腕は評価していた。
「何度も解散が噂されたSMAPを繋ぎ止めるために、〇五年、メリー氏は飯島氏のために『ジェイ・ドリーム』という別会社を作ってあげたのです。子会社の役員というポストまで与えるほど優遇する母親に対し、ジュリー氏は内心面白くなかった」(同前)
 二人の確執に苦慮していたのがテレビ局だ。各局は、嵐やTOKIOなど、ジュリー氏が担当するタレントを「J1」、SMAPやKis-My-Ft2など飯島氏の担当を「J2」と呼び、明確に区別することで、スケジュールが重ならないよう徹底して管理した。
 二人の関係にはNHKでさえ頭を抱えていた。
「ジャニーズにオファーするときは必ず双方に連絡を入れてそれぞれの反応を窺う。激しいのは飯島さんで、気に入らないことがあれば電話でもギャーギャー喚く。局内で彼女がハイヒールで歩くコツコツという音が聞こえるだけで担当者は緊張していたほどです」(別の芸能関係者)
 昨年のインタビューでメリー氏はこう述べている。
「飯島を気にしている人はいっぱいいますよ。みんな。この人、怖いから。私の真似して私と同じように怖いの」
 そしてメリー氏は決定的な言葉を発する。
「対立するならSMAPを連れていっても今日から出て行ってもらう」

「不幸の手紙」

 SMAPがデビュー二十五周年を迎えた九月九日、ジャニーズ事務所は小誌への通告書の中で、SMAPの解散は事務所やメリー氏の指示ではなく、あくまでも〈メンバー本人らの希望によるもの〉であり、〈営利企業としての芸能プロダクションとその経営者が、国民的人気を誇る所属グループを自ら解散させることなどまったくもってあり得ない〉と反論した。だが、メリー氏は記者の目の前で飯島氏を威圧し、退社を迫ったのだ。そのことは一人娘への世襲を大きく前進させた。
「私の娘が継いで何がおかしいの?」
 メリー氏はそう言った。だが、それは結果的に、彼女が大事にしてきた「利益優先ではなく、まずファンを大事にする」というフィロソフィーまでも大きくねじ曲げることになった。
 前出の小菅氏が語る。
「ファンクラブを『ファミリークラブ』と呼ぶ理由のひとつに、孫の代までファンになってほしいという理想がある。ファンが結婚してその子が産んだ孫までファンになってくれれば嬉しいとメリー氏が言っていたことがある。彼女はファン心理や動向を独自の勘で見通し実践してきたのです」
 だがSMAPの“ファミリー”は斬り捨てられた。
 二十年来のSMAPファンの女性が語る。
「ファミリークラブからSMAPの解散を知らせる告知が、紙切れ一枚で来たときには涙が出そうになりました。ファンの間では『不幸の手紙』と呼ばれています。“公開処刑”のような一月の謝罪会見も解散発表も、ファンの気持ちは置き去りでした」
 九月九日のデビュー記念日にもジャニーズは何もイベントを行わなかった。
「有志のファンが全国で自前のイベントを行い励ましあっていました。SMAPがデビューイベントを行った西武園ゆうえんちには千人近いファンが集まったそうです。それでも、ジャニーズ事務所からは何のアクションもありませんでした」(同前)
 メリー氏は世代交代の節目として九十歳を挙げているという。彼女が九十歳の誕生日を迎えるのは、今年十二月二十六日。奇しくもその日は「SMAP×SMAP」(フジ系)最終回の放送予定日。この放送がSMAPのグループとしての最後の活動になる見込みだという。芸能史に残る一日になるだろう。

「週刊文春」2016年9月29日号
 

17歳女子高生モデルを“グアム同伴” 「有名化粧品会社」会長53歳の不徳

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 9月18日(日)05時15分11秒
編集済
  17歳女子高生モデルを“グアム同伴” 「有名化粧品会社」会長53歳の不徳

 今年四月九日、中村アン(28)、菜々緒(27)、森星(24)など、今を煌めく有名モデルのランウェイを一目見ようと、三万人以上の観客が国立代々木競技場第一体育館に押し寄せた。開催されていたのは、外務省や東京都が後援する日本最大規模のファッションと音楽のイベント「ガールズアワード2016」だった。

 テクノミュージックが大音量で流れる中、スキンケアブランド「ドクターシーラボ」で知られる東証一部上場企業「株式会社シーズ・ホールディングス」の城野親徳会長(53)は、その様子を関係者席で静かに眺めていた。
「もともと医師である城野会長はドクターズコスメの第一人者で、(同イベントを)長年支援しています。同社は二〇一〇年秋、イベント内でモデルオーディションを開催。それ以後もブース出展を続けている大口の協賛社です」(同イベント関係者)
 一際若い長身のモデルが緊張の面持ちで登場し、ぎこちないモデルウォーキングを披露したのは午後三時過ぎのこと。まったくの無名ながら一流モデルに交ざり、大舞台に出演を果たしたのは高校三年生のモデルA子(当時17)だった。
「そのA子と城野氏が“特別な関係”であることは間違いありません。なぜなら、今年二月、ふたりはグアムの五つ星ホテル『Dusit Thani』で三泊を共にしている。現地で城野氏は彼女にブランド品を買い与えていました」
 城野氏を告発するのは、海外投資物件を扱う不動産会社「日本グローバルプロパティーズ株式会社」の高橋裕司会長である。
「私が初めて城野氏と会ったのは、今年二月のこと。きっかけとなったのは、アジア各地でホテルを運営する『株式会社Colours International』の松本義弘社長が数年前から温めてきたグアム内のホテル売却に関する案件です。私たちは大型投資物件として買い手を探していたところ、旧知の不動産業者B氏を通じ、投資家としても知られる城野氏と知り合うことになったのです」
 高橋氏らが城野氏と初めて対面したのは、二月四日のことだった。
「会長室に革ジャンで現れた城野氏の隣には、投資仲間だという過払い金請求で有名な男性弁護士がいました。城野氏は終始携帯画面を見ており、口数は少なかった。しかし、最終的に二人が『面白そうだね』と興味を示したことで、後日一緒にグアムへ当該物件の視察旅行に行くことになったのです」(同前)
 渡航日程は二月二十日から三泊四日。だが、城野氏は渡航直前になりB氏を通じ、「お友達を一人連れて行きたい」と申し入れてきたという。高橋氏が続ける。
「ホテルの予約には同室者の名前も必要だからと言うと、城野氏はA子という名前を伝えてきた。投資家が視察に愛人を連れてくることは珍しくもないので、その時は特に何も思わなかったのです」
 グアム到着後、最初のミーティングが行われたのは、二十一日の夕刻だった。
 前出の松本氏が「パシフィック スター リゾート アンド スパ」にある高級レストラン「マンハッタン」を予約。城野氏の隣にはA子が密着するように座ったという。同席者のひとりが次のように証言する。
「A子は挨拶をしても『どうも』と会釈をする程度で、ずっと携帯をいじっていた。城野氏は終始彼女にベッタリで、耳元で『何食べる?』と聞いて、A子がそれに答えたり、彼女が手に持っていたグアムのガイドブックを指さし、『明日はどこ行く?』みたいな会話をしていましたね。(A子は)お父さんの仕事についてきた娘みたいな感じでした」
 A子の存在により、真剣なビジネスの場は終始白けたムードが漂っていたという。そして、一時間以上が経過した頃、事態は急展開を迎えたという。
「雑談のなかで高橋さんと弁護士の間で口論となったのです。結局、ビジネスの話はオジャンになった。そんな状況になっても城野氏は我関せずの様子で、デザートを口に運ぶA子と囁き合っていました」(同前)
 松本氏は城野氏と男性弁護士の三泊分の宿泊料金である約二千二百ドルをすでに一括で支払っていたが、城野氏は翌日予定されていた物件の内見が中止されても帰国せず、A子とグアム滞在を楽しんでいたという。
 松本氏が怒りを隠さずいう。
「城野氏らは、端からビジネスの話に興味はなかったのでしょう。A子との旅行に付き合わされただけで、ホテル代も食事代もこちら持ち。A子が当時十七歳の高校二年生ということが分かったのは帰国後のことです。おぞましさに震えました。そのことで城野氏を咎めると、今回我々と城野氏を繋いだB氏を通じて『青少年保護育成条例って、グアムにもあるんですかねー?w』というLINEを送ってきたのです」

「親だったら許せない」

 仲介者のB氏が証言する。
「確かにその文面は城野さんからのものです。私も帰国後、(A子の)年齢を知り、逆に驚きました。私の娘も松本さんの娘もA子さんと同世代の高校生。だから、親の立場としては、ちょっと許せないところがある。もし私が彼女の年齢を知っていたら絶対にNGでした。城野さんは悪気がないような感じでしたが、常識を逸しています。同じ部屋に泊まることが分かったら果たして親は承諾するのか。私が親だったら絶対に有り得ないと思います。今は城野会長と連絡は取っていません」
 わいせつ事件に詳しい清瀬雄平弁護士が解説する。
「物品や金銭の提供と引き換えに十八歳未満の児童と性行為もしくは類似行為を行った場合、児童買春・ポルノ処罰法が適用される可能性があります。法定刑は五年以下の懲役、または三百万円以下の罰金。同法十条には日本国民の国外犯の規定があり、グアムでの事案でも日本国内の法律で裁かれることになります。また、同法は児童の保護と性の商品化防止の観点から、被害者の告訴が必要ない非親告罪になっています」
 A子の「ガールズアワード」出演が発表されたのは、グアム旅行から約一カ月後のことである。A子の母親は本誌の取材に対し、文書で次のように回答した。
「信頼できる方々、複数名とグアムに行かせましたが、親も承知の上で、渡航承諾書も持たせております。未成年のため一人部屋は予約できず、便宜上城野様と同室予約はいれてもらいましたが、城野様は同行された顧問弁護士先生の部屋で就寝されています。同行者と娘は肉体関係があるような仲では一切ございません」
 だが高橋氏や松本氏は、二人がチェックインする場面や、最終日に買い物を終えた二人がホテルに戻ってくる姿を目撃している。
 城野氏に対して再三にわたり取材を申し込むと、シーズ・ホールディングス管理部からFAXが届いた。
「本件につきましては、事実関係を確認することができないため、かかるご回答並びに取材をお受けいたしかねます」
 城野氏率いる「シーズ・ホールディングス」は五、六年以内にグループ年商一千億円を目指すという。だが城野氏の所業を見る限り、今後、女性の支持を得られるか、甚だ疑問である。

「週刊文春」2016年9月22日号
 

横浜市長林文子女史がモデルのトップセールス

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 9月17日(土)10時35分26秒
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  横浜市長林文子女史がモデルのトップセールス













 

高畑裕太強姦事件は暴力団関係者にハメられた?

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 9月16日(金)23時21分11秒
編集済
  某大手新聞社記者談

 「あの事件の被害者とされている40代女性は、勤務先のホテル周辺でもちょっと有名な美人。彼女は地元ヤクザと親しい女性。最初に警察に通報したのは知人男性とされてますよね。僕が聞いてる限りでは通報した本人か、その知人が稲川会前橋一家の傘下にある組の幹部だそうです。名前はTという男です。被害女性はTと交際しているそうです。Tは美人局の常習者で、今までも群馬県内で何度も同じようなハニートラップを仕掛けて荒稼ぎしています。今回も売り出し中の俳優である高畑裕太を誘惑して、故意に肉体関係にまで持ち込んだようです」

 「性交渉が終わった直後に被害女性はTに連絡をして、すぐに高畑本人に対して高額の口止め料を要求したそうです。ところがTにとっては大きな誤算だったんですが、高畑はかなり重度の発達障害で、さらにあまり知られていませんが軽度の知的障害まであるそうなんです。Tが電話でいくら高畑に状況を説明して脅しても、高畑は理解できずに要求を拒み続けたようです。所属事務所や母親である高畑淳子と相談するように強く要求しても“合意の上だから問題ない”と意に介さなかったそうです。高畑は発達障害の典型的な症状として、与えられた情報を判断して未来に起きそうなことを想像する能力がないんです。だから空気が読めないんですよね。結局Tがいくら脅しても高畑は暖簾に腕押し状態だったみたいなんです」



高畑裕太強姦事件は暴力団関係者にハメられた?
激裏GATE PRESS


 世間を騒がせた高畑裕太のホテル従業員レイプ事件だが
 示談交渉に暴力団関係者が関与し、レイプ事件そのものが
 暴力団関係者にハメられたのではないかとの疑惑が噴出している。

 事件は前橋のビジネスホテル「サンカント」で
 高橋裕太が被害者に「歯ブラシを持ってきてほしい」と
 誘い込んだとされている。しかし群馬県警捜査一課の供述調書では
 女性側からそのような供述が一切なく、女性と二人で
 エレベーターに乗って部屋に向かったとあるという。

 ・強姦にしてはセックスに及ぶ時間が20分と短すぎる
 ・被害女性が警察でもホテル責任者でもなく知人男性に真っ先に連絡
 ・通報する時間が犯行直後
 ・早急に手首の捻挫の診断書は用意されたが性器の裂傷の診断書は用意できず。

 警察に連行される直前、被害女性の知人である暴力団関係者が
 ホテルに怒鳴りこみ罵声を浴びせていたという。

 不起訴になったことで被害女性と示談交渉に関与した
 暴力団関係者とのハニートラップなのか。
 とはいえ、芸能人が一般人を襲った時点でアウト、嵌められる方にも
 落ち度はあるだろう。

 弁護士が介入し、当人も認め示談となったレイプ事件。
 暴力団関係者の影が見えたとしても限りなく黒に近いグレーであることは
 間違いないようだ。
 

高畑裕太「冤罪声明」を仕掛けた親バカ女優

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 9月16日(金)08時35分24秒
編集済
  高畑裕太「冤罪声明」を仕掛けた親バカ女優

 群馬県警のある捜査幹部は、“冤罪声明”を指差して、地団駄を踏んだ。
「あぁ、こんなことを言ってくるんだなと。これについて個人的な感情はありますわね。あの日、『満期は(今月)十二日だよな』なんて話していたら、昼頃、突然、検察から釈放の連絡があったんですよ」

 それは急転直下の“無罪放免”だった。今月九日午後二時過ぎ、真白い半袖シャツを第一ボタンまで留めた俳優・高畑裕太(23)は、勾留されていた前橋署の正面玄関から現れると、報道陣に向かって絶叫した。
「このたびはッ! 皆様に多大なるご迷惑をおかけしてしまい……本当に申し訳ありませんでしたァ!」
 九十度以上の急角度で腰を曲げ、約三十秒間のお辞儀を終えると、充血した目で周囲を睥睨してみせた。
「裕太は、映画の撮影のために宿泊していた群馬県前橋市内のシティホテルの客室で、四十代の女性従業員を強姦。右手親指関節に打撲を負わせたとして八月二十三日、強姦致傷容疑で逮捕されました。当初、『女性を見て欲求を抑え切れなかった』と供述していましたが、示談成立により釈放となった。軽傷のため『致傷』で起訴するには弱く、根幹部分の強姦は示談により告訴が取り下げられてしまった。公判維持は難しいと判断され、不起訴となりました」(全国紙社会部記者)
 釈放当日、代理人弁護士は次のような声明をマスコミ各社にFAXしている。
〈私どもは、高畑裕太さんの話は繰り返し聞いていますが、他の関係者の話を聞くことはできませんでしたので、事実関係を解明することはできておりません。(中略)高畑裕太さんの方では合意があるものと思っていた可能性が高く、少なくとも、逮捕時報道にあるような、電話で「部屋に歯ブラシを持ってきて」と呼びつけていきなり引きずり込んだ、などという事実はなかったと考えております〉
 さらに〈違法性の顕著な悪質な事件ではなかった〉とし、〈起訴されて裁判になっていれば、無罪主張をしたと思われた事件〉と結んでいる。
 この声明は母である女優・高畑淳子(61)が所属する劇団青年座のホームページにも掲載された(現在は削除済み)。

被害の実態を疑問視

 代理人弁護士である「法律事務所ヒロナカ」の渥美陽子弁護士が声明の真意を説明する。
「事件後、報道が過熱する中で明らかに事実と違う部分が出てきてしまい、憶測が広がってしまった。そのため、あのような文書を発表することになりました。高畑さんの意向かどうかや、被害者の許諾の有無についてはお答えできません」
 異例の弁護士声明に対して、同業の弁護士からも疑問を感じる声が上がっている。
「示談後に当事者がこの類の声明文を出すのは異例です。示談の際には通常『本件に関わる一切の事実を口外しない』という秘密保持条項を取り決めます。声明文が秘密保持条項に違反しないのか。それとも違反しないような奇異な示談内容なのでしょうか」(危機管理に詳しい長谷川裕雅弁護士)
 実は、高畑は逮捕直後から“冤罪”の可能性を模索していた。先月二十六日の会見では「被害者とされる女性」と表現するなど、被害の実態を疑問視するような口ぶりだった。
 実際、事件直後、高畑は友人にこんなメールを送っている。
〈これからないことを書かれたり、報道されたりするのだと思います。おかしな事件だと思っている方々もいますが、今は、会見をまずして、黙る。これが最善のようです〉
 姉で女優の高畑こと美(29)も知人に対し、被害者に配慮を示しながらもメールで本音を吐露している。
〈今は私は何も言えませんしコメントも出せません ひたすら沈黙することにいたします それがいつか あ、だからあの時何も言わなかったんだなと活きてくると信じます〉
 高畑の友人が話す。
「逮捕直後、裕太くんは『欲求を抑え切れなかった』と供述をしていたでしょう。淳子さんに『あんな発言が公になる前に、何らかの形でストップできなかったの』と聞いたら『事件は報道で知ったんです』と。それで『ジャニーズの顧問弁護士を付けるから、これからは大丈夫』と話していました」
 高畑がいう「ジャニーズの顧問弁護士」とは、「のぞみ総合法律事務所」の矢田次男弁護士である。矢田弁護士は、ジャニーズだけでなく、様々な芸能事務所の顧問を務めるなど、“芸能界の守護神”の異名をもつ。
 劇団関係者が打ち明ける。

なぜ示談したのか?

「事件直後、高畑サイドはのぞみ総合法律事務所にマスコミ対策も含め、相談を持ちかけたが、タイミングが合わず契約しなかった。その後、高畑さんが頼ったのが“無罪請負人”として知られる弘中惇一郎弁護士率いる『法律事務所ヒロナカ』だったのです」
 高畑は有名弁護士に相次いで相談を持ちかけ、示談の道を模索していたのである。だが刑事事件に詳しい弁護士はこう疑問を呈する。
「本来、無罪主張と示談は矛盾する行為ですが、なぜ示談したのでしょうか。声明にある高畑さん側の主張が事実であれば、美人局の被害にあったようなものです。虚偽告訴罪の告訴、捜査機関への損害賠償請求もするべきなのに、なぜそれをしないのでしょうか」
「諏訪坂法律事務所」の望月晶子弁護士が憤りを隠さずいう。
「レイプ事件において、『合意の上だった』という反論は非常に多い。今回、弁護士は高畑氏以外の関係者から話は聞いていません。加害者側の一方的な声明のようで、無罪主張までされており、被害者はさらに傷付いているのではないか。今後同様の事件で被害者が被害を申告しにくくなる恐れがあります」
「性暴力救援センター・東京」運営委員の田辺久子氏が付け加える。
「今回の事件後、私たちの電話相談にも『フラッシュバックして具合が悪くなった』と話す被害者が多い。事件直後から被害者に落ち度があるかのような報道もありましたが、このコメントが出たことは被害者にとって二重苦でしょう」
 釈放当日、裕太の所属していた石井光三オフィスは解雇を発表した。
「弁護士の声明文によって、まず淳子自身の名誉回復を図ったのでしょう。また彼女はいずれ息子を芸能界に復帰させようと考えていました。しかし声明文によって、親子の印象は悪くなり芸能界復帰は遠のきました」(テレビ関係者)
 釈放当日の夜、高畑は「心身の不調」(事務所関係者)で入院する息子の元を訪れ、泊まりがけで“看病”を行なっている。
 事件によって親子が背負う損害金は五億円を下らないという。どこまでも“親バカ”な高畑が、背負う代償はあまりにも大きい。

「週刊文春」2016年9月22日号




 

“ジャニーズの女帝”メリー副社長の正体 ヤクザも恐れぬ肝っ玉と喜多川家のルーツ

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 9月15日(木)05時23分22秒
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“ジャニーズの女帝”メリー副社長の正体
ヤクザも恐れぬ肝っ玉と喜多川家のルーツ


SMAPの年内解散に大きく影響したメリー副社長のパーソナリティとマネジメント哲学。魑魅魍魎が蠢く芸能界にあって、彼女はなぜたった一代で事務所を“アイドル帝国”と呼ばれるまでに急成長させることができたのか。“ジャニーズの女帝”の素顔に迫る第二弾!

 ヤクザと興行は切っても切れない関係にある。アイドルが行うコンサートの会場近くでは、ブロマイドなどのグッズを売る露店を見かけるが、大抵は非公式な業者だ。興行主が文句を言えばウラから強面が出張ってくる。素人が興行に手を出せない理由の一つである。
 ジャニーズ事務所のメリー喜多川副社長(89)は、昨年のインタビューで小誌にこう語っていた。
「私、CDの海賊版を売っている人を見たら、車の中から伊勢丹か何かの袋を持って行ってそこにあるのを全部バーッと入れて『ババア何するんだ』って言われても『文句あるんだったらうちへおいで』と言ってやったもの。『取りに来るんだったら、おたくの上の人間に取りにこさせて!』って。私、どれだけテキヤさんと喧嘩したか分からない。上の人はみんな話が分かる。下っぱがだめなの。だってヤクザたちじゃないけれど怖い人たちだって上の人は全部話分かるから」
 ジャニーズ事務所が創業したのは、美空ひばりと小林旭が結婚した一九六二年。激動の昭和にあって、女性経営者が芸能を稼業にするのが、どれほどの困難を伴うことだったのか、想像に難くない。切った張ったの芸能界で、弟と共に一代で“アイドル帝国”を築き上げたメリー氏。人並み外れたバイタリティの由縁は、波乱に満ちたそのルーツにあった――。
「藤島メリー K」
 メリー氏の名刺にはこう書かれている。一方、会社登記簿などで確認できる本名は〈藤島メリー泰子〉。芸能界では、〈メリー喜多川〉と呼ばれることが多い。三十三年前の雑誌インタビューでは、インタビュアーの残間里江子氏に対して自身がこんな話をしている。
〈残間 メリーさんのご本名、なんかすごく長いんですよね。
 メリー アメリカというのは名前をいくらでも残してつけられるから、メリー・泰子・喜多川・藤島というの〉(「Free」一九八三年十一月号)
 メリー氏は一九二六(昭和元)年、米国ロサンゼルスで生をうけた。真言宗の僧侶だった父・喜多川諦道氏が布教のために渡米したのはその二年前。諦道氏は、リトルトーキョーの一角にある高野山米国別院の第三代主監に着任した。当時を知る喜多川家の知人が言う。
「喜多川先生は優しくて、とても気さくな方でした。サンデーサービス(日曜礼拝)のときは車を出して家まで迎えに来てくださって。ボーイスカウトを組織したり色々な催しごとをやってお寺にステージを作ったのも先生のアイデアでした」

米国ではベビー・シッターも

 戦前、人種差別や異国の環境に苦労していた日系移民にとって高野山は心の拠り所だった。
 一家が秩父丸に乗って帰国の途に着いたのは、一九三三年。メリー氏が六歳の時だった。同じ船に乗っていた日系二世の男性がおぼろげながらに当時のことを記憶している。
「喜多川先生は三人のお子さんと一緒でした。ジャニーは、まだ赤ちゃんだったと思います」
 同じくロスで生まれたジャニー氏は、メリー氏より五歳下。実はその間にもう一人弟がいた。“マー坊”と呼ばれた喜多川真一氏は五十代の若さで亡くなっている。
 開戦後に日系移民の多くが強制収容所に送られたが、戦前に帰国したメリー氏らは難を逃れた。二〇一〇年に草なぎ剛が主演したドラマ「99年の愛~ JAPANESE AMERICANS ~」(TBS系)は、このとき収容所に送られた日系移民の苦難を描いた作品である。
 帰国して間もなく母が亡くなるとメリー氏が弟たちの母親代わりになった。戦時中に子供たちは親戚筋に当たる大谷貴義氏のもとに身を寄せる。
「宝石商として財を成した大谷氏は、福田赳夫を総理にした男と言われたほどの人物。児玉誉士夫と並ぶ『戦後最大級のフィクサー』です」(社会部記者)
 メリー氏が十代を過ごしたのは、祖父ゆかりの地・和歌山。その時代を知る名和プロダクションの高橋純子氏は、かつて小誌の取材にこう語った。
「私の実家が和歌山で料理旅館をやっているとき近所に住んでいたのがメリーでした。彼女は明るい性格で人に気に入られる天才。古川ロッパさんがうちに泊まったとき、お手伝いで来た彼女を気に入って『メリー、メリー』と可愛がっていたのをよく覚えています」
 古川は戦前の昭和を代表するコメディアン。大物喜劇役者を前にしてもメリー氏はまったく物怖じすることがなかったという。
 弟のジャニー氏とは喧嘩が絶えなかった。
「ジャニーが『メリー!』って呼び捨てにして、キーキー言ってるんだけどメリーは“どこ吹く風”でした」(同前)
 高橋氏とメリー氏は、かつて宝塚と並び称されたOSK(大阪松竹歌劇団)で活動する先輩後輩の関係でもあった。
「普通なら後輩が近づけない大御所の京マチ子さんの部屋にもメリーは『おはようございまーす』って、平気で入って、パパッと掃除していました。可愛がられて、京さんが主演したアメリカ映画『八月十五夜の茶屋』(一九五六年製作)の撮影でも、つきっきりでお世話をしたそうです」(同前)
 戦後、OSKが占領軍のキャンプの慰問に回った際はメリー氏は流暢な英語で司会をこなしていたという。
 姉弟は再び渡米。アメリカの市民権を喪失しないために、横浜港からLST(米軍の軍用船)に乗って日本を後にした。米国での暮らしを、メリー氏自身が雑誌の取材でこう振り返っている。
〈決して楽な生活ではありませんでした。ベビー・シッターもやったし、ショップ・ガール(売り子)もやりました。学校が終わると、アルバイト先へ直行したり……(略)。楽しかったんですが、どうしても日系米人の社会に同化できなかったことや、日本へのホームシックも大きくて中退して帰ることにしたのです〉(「女性自身」一九七六年五月六日号)
 この頃、弟のジャニー氏が米国に来る日本の芸能人の世話をしたことが、姉弟が日本のショービジネスに携わるきっかけとなった。
 ジャニー氏も当時のことを語っている。
〈終戦直後のことですからね、とにかく場所がないでしょう。当時日本から公演に来られた芸能人の方々は皆さん、うちの教会を劇場代わりに使って下さったんですよ。(略)一番最初に来たのが女優の田中絹代さん(昭和二十五年)、そして山本富士子さんが初代ミス日本として。ひばりさんが十二歳でアメリカに来た時(同年五月)のことは今でも鮮明に覚えています〉(「SPA!」一九九〇年七月四日号)

四谷でスナックを経営

 その後、ジャニー氏は日本に戻ってから米国大使館に勤務した。ジャニー氏と仕事上で親交のあった元編集者で、作家の小菅宏氏が語る。
「大使館付きの軍事顧問という肩書きも持っていたそうです。不躾とは思いながらもジャニーさんに『CIAのスパイだったの?』と聞いたことがあるのですが、本人は『米国の情報機関で働いたことはあるけど、それ以上はノーコメント』と言っていました。ことアイドル像に関しては多弁になる彼も、自分のことには口を閉ざしがちでした」
 代々木公園に近所の少年たちを集めてはじめたのが「ジャニーズ少年野球団」。少年たちの中から選ばれた真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良の四人で初代ジャニーズを結成した。ジャニー氏が少年たちを連れて行ったのが当時、後から帰国したメリー氏が東京・四谷で経営していた「スポット」。作曲家・服部良一氏の妻と一緒に営んでいた、スナックである。
 真家氏(故人)が著書にこの店のことを書いている。
〈入り口のドアを開けると、右側には、黒いカウンターが目の前から奥へと長く伸びていた。背もたれのない、高めの黒い丸椅子が、八、九、十と続いていた。(略)カウンターの中には、ジャニーさんの姉・メリー喜多川さんが立っていた。『ミートソース、食べる?』〉(「ハイ!どうぞ ジャニーズ・タクシー奮走記」)
 スパゲティさえ珍しい時代だった。アメリカ大使館に勤務していたジャニー氏がPX(駐留軍ストア)から仕入れるウィスキーやバーボンを手軽に楽しめる店としても人気を博したという。前出の高橋氏もこう語っていた。
「映画プロデューサーの藤本真澄さんや力道山、政界、財界の偉い方たちがたくさん来ていました。なぜこんなにすごい人たちが集まるのだろうと考えると、やっぱりメリーの人間力に尽きるんです。彼女といるだけで明るくなるし、話も楽しい。普通の人とはまったく違う魅力がありました」
 一九六〇年、このスナックを訪れたのが後にメリー氏の夫となる作家の藤島泰輔氏(故人)。藤島氏は別の女性と結婚するが、メリー氏とも親密な関係にあった。二人の間に娘のジュリー氏が生まれたのは一九六六年。メリー氏は三十九歳、藤島氏と前妻の間にまだ離婚は成立していなかった。
 前出の小菅氏が語る。
「メリーさんは当初から弟の仕事を手伝っていて、タレントの取材にも同行していたのです。その彼女がある日、突然三カ月ほど姿を見せなくなった。あんなに仕事に熱心な人がどうしたのだろうと思ったら、すっきりした顔で何事もなかったかのように戻ってきた。出産したことはおくびにも出さず、その後も子供の話は一切しなかった」
 音楽プロデューサー・酒井政利氏の証言。
「当時、メリーさんは青山の公団に住んでいて、よく打ち合わせにお邪魔していました。ある日、深夜にレコードジャケットについて話し合っていると押入れから『ママー』と言いながら幼い子が出てきたのです。それが、ジュリーさんとの初めての出会いでした」
 ジャニー氏の仕事が多忙になるとメリー氏は店を畳み、経理面や衣装を一手に引き受けるようになる。前出の小菅氏が言う。
「何かトラブルがあっても、絶対にジャニーさんに影響が及ばないよう体を張って阻止していました。フォーリーブスのファンが補導される騒ぎがあったときも(一九七〇年)、ジャニーさんが追及されないようメリーさんが警視庁の記者クラブに行って二十人近い新聞記者に対応したのです。実は私も同行したのですが、一時間くらい詰問されて、あの気の強い彼女が冷や汗をかいていた。帰りの車の中で珍しく『心臓がバクバクした』と本音を言っていたことが強く印象に残っています」
 アメリカで生まれた彼らには、日本でひと旗揚げたいという強い気持ちがあったという。
「NHK紅白歌合戦にフォーリーブスが選ばれた時の喜びようといったらなかった。毎年秋口になると『紅白、紅白』と言っていたのはメリーさん。ジャニーさんは滅多に本音を言わないが一度だけ私に夢を語ったことがある。『将来、自分の劇場を持ちたい』『テレビ番組のゴールデンタイムを自前のタレントで独占したい』。当時は考えられなかったけど、今はどちらも実現させています」(同前)
 そんなジャニーズ事務所にも冬の時代はあった。一九七五年、メリー氏が四十八歳の時だ。事務所を法人化したのと同時期に、ジャニー氏が心血を注いで育てた郷ひろみを他の事務所に引き抜かれてしまう。続いてデビューした豊川誕や川崎麻世なども思うようにヒット曲を出せず、苦境と見るやメリー氏はすかさず事務所の規模を縮小し、経営の見直しを図った。

「メリーさんが泣いてた」

〈ひろみが出て行ったときは、精神的にも経済的にも辛かったわね。(略)郷ひろみが出て行くときも、フォーリーブスを越えて条件をよくしてまでとどまらせることはないと思ったんです。そうでないと内輪のけじめってつかないと思うの〉(前出「Free」)
 当時ジャニーズに所属していた東真司氏が言う。
「その頃、ファンクラブの会報はガリ版で刷っていたんです。僕や田原俊彦が『そこ、滲んでる』って叱られながら、わら半紙で作っていました。すでに飯島(三智)さんもいたけど、彼女は決まって五時に帰る。仕方なく僕らが電話を取って『はい、川崎麻世ファンクラブです』と応じていました」
 夫の藤島氏が参議院議員に立候補したのもこの頃だ。
 前出の酒井氏が言う。
「藤島さんが出馬したのは一九七七年。フォーリーブスの担当だったCBS・ソニーも社を挙げて応援しました。社長だった大賀典雄さんも、藤島さんの横に並んで拍手を送っていたのを覚えています」
 結果は落選。出馬前にメリー氏と藤島氏は正式に籍を入れていた。
 ジャニーズが再浮上したきっかけは、七〇年代後半に放送された「3年B組金八先生」(TBS系)。出演した田原、近藤真彦、野村義男が「たのきんトリオ」として大ブレイクした。当時の事務所関係者が語る。
「当初はそこまで売れると思っていなかった。ところが、たのきんのイベントを行ったところ百人規模のスタジオに入りきらないほどのファンが押し寄せた。大行列を作る若い女の子たちを見てメリーさんは手を叩いて喜んでいました」
 その後、事務所を東京・六本木の亀甲ビルに移転。四柱推命や風水に凝っていたメリー氏が選び抜いた物件だったという。
「メリーさんの部屋には神棚がまつられていて、毎日幹部が水を取り替えていました。めったに来ないジャニーさんの部屋はない。それは今と同じです。当時、社内は田原班とマッチ班に分かれてお互いの手の内を明かさず競い合っていました。その手の“派閥”は昔からあったんです」(同前)
 その後、ジャニーズ事務所は黄金時代へと突入する。少年隊、光GENJI、SMAP、TOKIO、嵐と途切れることなくスターを輩出し、一千億円企業と呼ばれるまでに成長した。
 元トップグループのあるメンバーが明かす。
「ジャニーズを辞めようか迷っているとき、メリーさんに相談しに行ったら、『弁護士をつけて契約書をきちんとしなさい』とあっさり言われた。最後に、挨拶に行ったときも『もうすんだから。どうぞ』って素っ気無くて、カチンと来ました。でも、あとで聞いたら、僕が部屋を出た後、メリーさんが泣いてたって言うんです。本気で心配してくれるし、怒るときは本気で怒る。そういう人なんですよ」
 タレントのためには身を投げ出すが、筋を通さない者には容赦なくケジメをつけさせる。果たしてSMAPに対してもメリー氏はその流儀を墨守したのか。
(以下、次号)

「週刊文春」2016年9月22日号








 

韓国検察がロッテ財閥解体着手で千葉ロッテマリーンズ身売りへ

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 9月14日(水)20時51分28秒
編集済
  韓国検察がロッテ財閥解体着手で千葉ロッテマリーンズ身売りへ
週刊実話

 広島カープの「25年ぶりのリーグ優勝」に沸く球界で、「ロッテ身売り」の情報が水面下で流れ、衝撃が走っている。韓国検察がロッテ財閥解体に着手し、それに伴い千葉ロッテマリーンズの重光武雄オーナーも「球団の身売りは避けられない」と判断したという。

 韓国ロッテグループの裏金捻出疑惑などを調べているソウル中央地検は9月1日、グループ創業者である重光武雄氏(韓国名・辛格浩=93)の長男で、日本のロッテホールディングス(HD)前副会長の重光宏之氏(韓国名・辛東主=62)を横領などの容疑で聴取した。これといった勤務の実態も役割もないにもかかわらず、系列会社の取締役として登記されていただけで、10年余りにわたって数百億ウォン(数十億円)の役員報酬などを受け取っていた疑惑がもたれている。
 系列会社の間で行ったとみられる秘密資金作り疑惑の一連の捜査は、グループナンバー2でグループ全体を統括する司令塔役だった李仁源・政策本部長(副会長)が8月26日に自殺したため中断していたが、これにより再開。創業家次男でグループ会長の重光昭夫氏(韓国名・辛東彬=61、千葉ロッテオーナー代行)も近く、取り調べを受ける可能性があるという。

 一連の捜査では、武雄氏の長女(兄弟2人の異母姉)で、ロッテ奨学財団理事長の辛英子容疑者(74)が背任収財や横領の疑いで韓国検察に逮捕されている。ロッテ免税店への出店の便宜を図る見返りに、約3億円の裏金を受け取った容疑だ。
 「日本では、長男、次男、長女による武雄氏の跡目をめぐるお家騒動のように報じられているが、韓国検察が目指すのは財閥解体です。そして武雄氏が、日本のロッテHDの持ち株を3人に贈った際の贈与税の問題もあります。こうした捜査を終えた後、武雄氏の取り調べに入り、韓国第5位の巨大財閥ロッテ解体に取り掛かることになる」(財界誌記者)

 韓国のロッテグループ売上高の比率は、日本が約4000億円であるのに対し、韓国は約4兆9000億円といわれるが、日本のロッテグループの利益率は高い。その中で日本ロッテの足を引っ張っているのが、千葉ロッテマリーンズの赤字だ。宣伝費の名目で年間20億円超の赤字分を補てんしているという。
 ロッテグループは、韓国にもロッテジャイアンツを所有している。そのため不良債権化した千葉ロッテの売却を求める声が強かったが、武雄氏はこれまで「日本での成功者の証」である球団売却には、頑としてして首を縦に振らなかった。
 とはいえ、今回の騒動で武雄氏が完全に経営から外れることになり、球団身売りは避けられないというのが関係者の見方だ。

 しかし、プロ野球人気がジリ貧なのに加え、ITバブルにも陰りが見えている昨今、かつてのソフトバンク、楽天、DeNAのように勢いのある新興企業はプロ野球の球団経営に興味を示さなくなっている。加えて、ファン離れが続く中日、神宮球場が取り壊しになるヤクルトにも球団売却の噂があり、マリーンズの高額売却は難しいのが現状だ。
 「千葉ロッテがカープのような市民球団として生き残るのか、球団参入に意欲を持つ『LIXIL』などが買収するかはともかく、ロッテが球団経営から撤退するのは確実の状況になっている」(ロッテ担当記者)

 パ・リーグは首位を争うソフトバンクと日本ハムが丁々発止の戦いを続けるが、クライマックスシリーズでは、かつて3位から日本一に駆け上がったロッテも侮れない。資産価値を上げるため、目の色を変えた“確変”があるかもしれない。
 

市長らを偽証容疑で告発へ 横須賀市議会、百条委で決定

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 9月14日(水)09時53分2秒
編集済
 





市長らを偽証容疑で告発へ 横須賀市議会、百条委で決定
カナロコ by 神奈川新聞 9月14日(水)

 横須賀市議会は13日、地方自治法100条による調査委員会(百条委)を開き、吉田雄人市長ら3人を同法違反(偽証)容疑で告発することを決めた。帆船「日本丸」招致の経緯について市議会で虚偽答弁があったと指摘された問題や、市の全額出資法人が建築基準法に違反した状態でバーベキュー施設を営業していた問題を巡る証人喚問で、虚偽の陳述があったとしている。10月14日の定例会本会議で議決する見通し。

 百条委の調査対象となったのは、横須賀開港150周年記念事業として昨秋実施した帆船招致の経緯。吉田市長は昨年11月の証人喚問で、招致決定前に面談した船長との会話に関して「(招致の話題や念押しは)なかったと記憶している」と証言したが、帆船側の説明と食い違うことから虚偽と判断した。

 バーベキュー事業では、市全額出資法人「シティサポートよこすか」が建築基準法に基づく建築確認の申請をしないまま、コンテナを活用して営業していたことが問題化。市の是正指導の過程で、市長が担当者に問い合わせや指示をしたかどうかに関する質疑で「特にありません」とした証言が、市職員の証言や法人の内部資料とみられる書類と異なるため、偽証に当たるとした。

 このほか、バーベキュー問題関連で同法人の石渡戸秋司前代表理事と事業に関わった男性職員も同容疑で告発することを決めた。

 市議会は昨年10月に百条委を設置後、帆船招致や違法バーベキュー問題に加え、市長の献金者を職員として採用した問題の計3件を審査してきた。
 

悠仁さま(十歳)“お受験”と“帝王教育” 〈秋篠宮と紀子さまは「スタンスが違う」〉

 投稿者:東京新報  投稿日:2016年 9月12日(月)06時00分5秒
編集済
  悠仁さま(十歳)“お受験”と“帝王教育”
〈秋篠宮と紀子さまは「スタンスが違う」〉


「悠仁さまの朝は早く、六時台にはご起床。八時十分までに登校すればいいのですが、慌てずに済むように早めの時刻を守られているそうです。約二年前、学校で他の子は団子になって集まって盛り上がっている中、悠仁さまはうつむいてお一人で歩かれる様子が目立った時期もありました。ですが、今ではお友達から名前を呼び捨てにされると、『なんだよ~』とやんちゃな感じで応じられ、すっかり溶け込まれているそうです」(皇室担当記者)

 お茶の水女子大学附属小学校四年生の悠仁さまは、九月六日に十歳のお誕生日を迎えられた。
「お誕生日に際し、宮内庁では悠仁さまのご近況を一部公開しました。悠仁さまは昨年秋からご家族と共にお住まいの宮邸の庭で『田んぼ作り』を始められ、田植えの後も鍬を使って水路の手入れをするなど、稲の成長を大切に見守られているそうです。田んぼにはメダカやヤゴを放し、側には小さな池を作って生き物が棲みやすい環境になるように工夫された。まもなく初めての収穫を迎えるとのことです」(宮内庁担当記者)
 その悠仁さまをめぐって、いま取り沙汰されているのが、“お受験”問題だ。
 実はお茶の水附属小の男子は、“十二歳が運命の分かれ道”と言われている。
「お茶の水の場合、中学までは男女共学ですが、高校からは女子校となり、男子は他校の受験を余儀なくされます。先々を見据え、小四の二学期ともなると、塾に通わせる家庭が多いのが現状です。開成や麻布、筑駒などの中高一貫の国私立校へ進学する優秀な男子もいます」(学習塾関係者)
 というのも附属中に進学すると環境が一変するのだ。
「附属小は男女比がほぼ同じですが、附属中に上がると女子が男子の二・五倍に増えるのです。女子高・女子大へと繋がる同校の特徴を考えれば当然ですが、中学の学習環境として男女比は三対二が黄金率とも言われ、採用している学校もある。お茶の水附属中は非常に特殊な環境だと言えます。附属小からの内部進学も少なく、一六年度の内部進学生五十八名のうち男子は十三名でした。倍以上もいる女子の同級生たちに圧倒されて、おとなしい男子が多い印象です」(同前)

「受験もできるように準備を」

 秋篠宮は周囲に「受験もできるように準備を」との考えを示されているという。
「お茶の水小では、中学受験をするかどうか、六年生のぎりぎりまで悩むご家庭もあるそうです。秋篠宮殿下が学習院大学に進学された際、希望されていた生物の研究をする学部がなかったご経験から、将来、悠仁さまの選択の幅を狭めないように、という思いが殿下には強くおありなのだと思います」(宮内庁関係者)
 そもそも、お茶の水小は学習指導要領にはない、先駆的な学習プランを実施している、いわば“実験校”だ。かねてより「実験段階の教育を将来天皇となられる悠仁さまが受けられるのは適切か」と懸念を示す宮内庁関係者は少なくない。
 昨年度には文科省から「研究開発学校」に指定され、新教科「てつがく」科をスタートさせた。
「従来の『道徳』はエピソードを読むことが中心でしたが、『てつがく』科ではあるテーマについてクラスで輪になって意見を出し合い討議します。『市民の感覚を持ちながら当たり前とされている事象や価値について立ち止まって考えなおす』。こういった子どもたちを育てることは非常に重要だと思います」(同校の指導助言を務める小玉重夫氏)
 実際に、四年生の授業で取り上げられたテーマは、「お金持ちは幸せか?」「どうして戦争は起きるのだろうか?」などと多岐にわたる。高学年に進むと、例えば「社会」では「川内原発の再稼動」問題、「保健」では「臓器移植と臓器提供の意思表示」について考察するといった授業内容もある。こうした社会に批判的な視点を持てる“市民”を育てようという同校の教育方針が悠仁さまのご教育として相応しいのか、という疑問の声は未だに多い。
 ただ、紀子さまは“お受験”には非常に慎重なスタンスだという。
「いま、同級生のお母さん方の頭の中は受験や進学にまつわることでいっぱいです。自然と話題がそちらへ流れたとき、『まだそこまでのところには至っていません』とおっしゃったそうです。お友達の中には受験組と、そうでないお子さんがいますから、双方に配慮をされて、お立場を明確にされなかったようです」(お茶の水関係者)
 しかし、大人たちの心配をよそに、悠仁さまは自然や生き物へのご関心を深め、健やかに成長されている。
「六月、悠仁さまは紀子さまとお二人で皇居を訪ねられ、時に朝七時半ころから御苑内で虫捕りをされたり、両陛下と御所でご夕餐をご一緒された後、生物学研究所の水田や宮殿の南庭付近で蛍を眺めたりされています」(秋篠宮家関係者)
 生物の分類学上の所属・名称を明らかにすることを「同定」というが、悠仁さまは同定がお得意だという。
「昨年、山形県遊佐町を秋篠宮ご夫妻と悠仁さまがご旅行で訪れられた際、はっと驚いたことがあります。悠仁さまが手のひらにチョウの幼虫を何匹か乗せて私に見せ、さなぎになる前の成長段階を具体的に『これは三齢ですよね』『これは四齢』と言い当てられたんです。さらにキアゲハの幼虫とまで見分けられ、種の同定をなさった。あるものは、日本語の和名と一緒にラテン語の学名をセットで覚えられていることにも感心しました」(岐阜経済大学・森誠一教授)
 ラテン語での学名は、父・秋篠宮も教えられているという。悠仁さまは、昭和天皇から今上天皇、そして秋篠宮へと伝わる「四代の生物学」の系譜にしっかりと連なっておられるのだ。
「悠仁さまが始められたという『田んぼ作り』も、昭和天皇が始められ、天皇陛下が引き継がれた皇居での稲作と通じています。天皇陛下ご自身が春に種籾をまき、初夏に田植え、秋には稲刈りをなさることで、日本の農耕文化の中心である稲作を大切にされてきた。悠仁さまがそれを継がれているというのは、秋篠宮家流の“帝王教育”と言えるのではないでしょうか。
 天皇陛下は孤独な存在です。激動の時代を生きた昭和天皇は生物学研究を心の拠り所とされました。論争を呼びかねない社会科学とは趣きを異にして、生物学を探究されることで、科学的な視点を持ちながら日本の国土を大切に思う気持ちを育まれるのでしょう」(千代田関係者)
 お誕生日当日は紀子さまのご実家である川嶋家が宮邸に集まり、家族水いらずで夕食を共にされたようだ。
「毎年、紀子さまの父・川嶋辰彦さんご夫妻と、弟の舟さんとお嬢さんが宮邸に集います。お嬢さんは悠仁さまと同い年ですから、宮邸の広い庭で一緒に遊ぶこともある。食卓を囲んで『ゆうちゃん』の誕生日パーティーが催され、普通の家庭と変わらず、ケーキなども召し上がりますね」(前出・秋篠宮家関係者)
 生前退位の問題が国民的議論となっている平成皇室で、元気はつらつの悠仁さまのお姿は頼もしい限りだ。

「週刊文春」2016年9月15日号
 

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