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> No.88[元記事へ]
すぎもと かずえさんへのお返事です。
すぎもと かずえ 様
しばらくの間、この掲示板を見るのを放置しておりました。
気づくのが遅くなってたいへん申し訳ありませんでした。
嶋上検校について、貴重なご教示ありがとうございました。
擬宝珠の施主の嶋上検校は、ご指摘のとおり、真田女是一(如是一)の坊主にあたる人物で間違いないと思われます。
当サイト「検校列伝」にはかなりの数の検校のプロフィールを掲載していますが、嶋上検校については、まだ載せておりません。
検校の大多数は、名前、坊主(師匠)、権成(検校昇進)年月日のほかには判明している情報がないためです。
嶋上検校は、3代江戸惣録の嶋浦検校の弟子で、名を「ゑい一(栄一)」あるいは「ゑ一(恵一)」と称しました。
元文5年(1740)3月23日の権成です。
真田女是一は検校昇進の明和4年の時点では別の師匠の同宿弟子となっているので、その頃までに嶋上検校は死亡(または引退)していたことになるのですが、今回ご教示をいただいた擬宝珠の奉納によって、少なくとも宝暦6年までは存命であったことが明らかになりました。
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